初めましての方は、目次も見てみてね!
☆『ちぃ育児奮闘中♪GUN BIGLOVE♪』も宜しければ併せてお読み下さい。
こんばんは。
本日は13時40分ごろに起きてきました。
朝方、炬燵で寝ていて10時ごろにお風呂に入ったので、疲れている。
洗面を済ませて座禅40分です。
千鶴さんにブツブツ言い続けていたので機嫌が悪いw
座禅は足が崩れてくる。
ずっと続けていたので良くなるかと言えばそうでもない、笑
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痛みがあるから余計に組みづらいし、慣れてきた感じもない。
座っている間はずっと過去の記憶が再現されて、それに対して「あーでもない。こーでもない」と考えている。
勝手にね。
で、座禅を終えると読書です。
千鶴さんが野菜を湯がいてくれて、シチューも作ってくれている。
血圧が高いので、減塩生活をしないといけないのだが、千鶴さんにかかっているw
読書中にそれらを食べて、今朝の残りの麻婆春雨も食べる。
悠聖が起きてきたのでパンをあげる。
シチューをあげようとしたが、野菜が嫌いなので食べない(汗)
本の内容は、新しい宇宙像の新しい宇宙像の章ですね。
要するにニュートンの世界とアインシュタインの世界の違いみたいなのをやっているなあ。
で、世界の形態を定める『尺度』を知ることが不可能であるらしい。
なんでなのかは、よく分からないwwww
とにかく、電子とか量子の世界は、この現実の中で、実質のそれそのものは存在しない。
ウスペンスキーは、この電子とか量子の世界の研究には好意的であるように見える。
で、読書と食事を終えてから下腹体操。
悠聖が、すごく喜んで、お腹の上に乗って「もっとあげて」みたいに言うので千鶴さんが笑う。
着替えを済ませて、煙草を吸っていたら、炭酸ジュースを家の前の自販機で買ってきてと頼まれたので行く。
で、ブログの更新へ来たのでした。
さてさて心と宗教のテーマですね。
まあ、あれこれ書いていても結局「それでどうしたの?」と言われるわけです。
ここで書いていることの価値が伝わる人たちもいるのは間違いないのですが、なんと、その人たちは、もうすでに僕よりも理解の進んでいる人に限られている。
それが、現在の、課題ですね。
今年の、テーマはこれに違いありません。
『ありとあらゆるものが、跡を留めない』と書いても、それでどうしたの?
苦しみは消えないと言う。
消えないと言うか、苦しみも、あったら、常に変化しているのだが、それを見ようとしないのだ。
もしくは、感じることを避けるのである。
自分を見ることを避けるので、いつまで経ってもリアル世界と接触しない。
つねに見解を通して世界を見るので、純粋な直接経験にさらされない。
では、どのようにしたら、この真実の法に気が付いて利用できることができるのだろう。
たぶん、これは苦しむことであるwwww
苦しみが限界に成って、プライドを保つことができなくなった時に、自我は暫時崩壊して自然の姿に触れるのだ。
絶望する前は、自分の力だけで生きていると心底思っているので難しい。
ところが、この世界は、自分の世界では実質ないので、そのように生きていれば必ず絶望する瞬間がくるはずだ。
ある程度のショックならば、見て見ぬふりで済んでいくのだが、自分の本心が関わる部分では、そうはいかない。
諸行無常を感じたり、罪悪感を感じたりすることがあると、自分が、溶けてくる。
それで内省したり、考えている中で理解が生まれてくる。
とすると、やっぱり何も必要ないということになるwwww
ここで、このように書いていることも、すべては、起こるべくして起こっているのだから……。
まあでも、あんまり難しく考えないで、自分でいることに寛いでいることが大切だと思うなあ。
結構、得するかもだよwwww
ではでは、またですー!
⇒⇒VOICE OF JOKER 目次
☆『ちぃ育児奮闘中♪GUN BIGLOVE♪』も宜しければ併せてお読み下さい。
こんばんは。
本日は13時40分ごろに起きてきました。
朝方、炬燵で寝ていて10時ごろにお風呂に入ったので、疲れている。
洗面を済ませて座禅40分です。
千鶴さんにブツブツ言い続けていたので機嫌が悪いw
座禅は足が崩れてくる。
ずっと続けていたので良くなるかと言えばそうでもない、笑
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座っている間はずっと過去の記憶が再現されて、それに対して「あーでもない。こーでもない」と考えている。
勝手にね。
で、座禅を終えると読書です。
千鶴さんが野菜を湯がいてくれて、シチューも作ってくれている。
血圧が高いので、減塩生活をしないといけないのだが、千鶴さんにかかっているw
読書中にそれらを食べて、今朝の残りの麻婆春雨も食べる。
悠聖が起きてきたのでパンをあげる。
シチューをあげようとしたが、野菜が嫌いなので食べない(汗)
本の内容は、新しい宇宙像の新しい宇宙像の章ですね。
要するにニュートンの世界とアインシュタインの世界の違いみたいなのをやっているなあ。
で、世界の形態を定める『尺度』を知ることが不可能であるらしい。
なんでなのかは、よく分からないwwww
とにかく、電子とか量子の世界は、この現実の中で、実質のそれそのものは存在しない。
ウスペンスキーは、この電子とか量子の世界の研究には好意的であるように見える。
で、読書と食事を終えてから下腹体操。
悠聖が、すごく喜んで、お腹の上に乗って「もっとあげて」みたいに言うので千鶴さんが笑う。
着替えを済ませて、煙草を吸っていたら、炭酸ジュースを家の前の自販機で買ってきてと頼まれたので行く。
で、ブログの更新へ来たのでした。
さてさて心と宗教のテーマですね。
まあ、あれこれ書いていても結局「それでどうしたの?」と言われるわけです。
ここで書いていることの価値が伝わる人たちもいるのは間違いないのですが、なんと、その人たちは、もうすでに僕よりも理解の進んでいる人に限られている。
それが、現在の、課題ですね。
今年の、テーマはこれに違いありません。
『ありとあらゆるものが、跡を留めない』と書いても、それでどうしたの?
苦しみは消えないと言う。
消えないと言うか、苦しみも、あったら、常に変化しているのだが、それを見ようとしないのだ。
もしくは、感じることを避けるのである。
自分を見ることを避けるので、いつまで経ってもリアル世界と接触しない。
つねに見解を通して世界を見るので、純粋な直接経験にさらされない。
では、どのようにしたら、この真実の法に気が付いて利用できることができるのだろう。
たぶん、これは苦しむことであるwwww
苦しみが限界に成って、プライドを保つことができなくなった時に、自我は暫時崩壊して自然の姿に触れるのだ。
絶望する前は、自分の力だけで生きていると心底思っているので難しい。
ところが、この世界は、自分の世界では実質ないので、そのように生きていれば必ず絶望する瞬間がくるはずだ。
ある程度のショックならば、見て見ぬふりで済んでいくのだが、自分の本心が関わる部分では、そうはいかない。
諸行無常を感じたり、罪悪感を感じたりすることがあると、自分が、溶けてくる。
それで内省したり、考えている中で理解が生まれてくる。
とすると、やっぱり何も必要ないということになるwwww
ここで、このように書いていることも、すべては、起こるべくして起こっているのだから……。
まあでも、あんまり難しく考えないで、自分でいることに寛いでいることが大切だと思うなあ。
結構、得するかもだよwwww
ではでは、またですー!