おばさんは最近、パソコンを買い替えまして、やっと先週新しいのが届いたんです。
自分で研究して選んだから満足だ。
起動も動きも早くてねぇ。
一度にたくさんいろんなことしてもフリーズしないの。
今も音楽を流しながら書いてます♪
前のはメモリーが小さくて古かったからすぐフリーズしちゃってね。
そして最近、夏バテぎみだったの。
よく考えればここ最近、食べ過ぎだった。
小食にしたらだんだん元気になってきた。
体に毒素がたまっていると、気象の変化についていけないのかもしれないね。
そして、夏バテでだるいんだけど、なんだかそうじがしたくなってね。
換気扇のフィルターまでやっちゃいました。
フィルターの目詰まりが取れると、換気扇の音って静かなのね。。。
今まで詰まってて、空気が通れなくて、ゴーゴーいってたんだ。。。
はずかしい(´艸`*)
そうじ、さぼってる、ずぼらなおばはんであることがバレちゃう。
でも、フィルターをぬらさないで、重曹を粉のまま振りかけて、一晩おいといたら、翌朝、たわしや古い歯ブラシでこすったら、油がぽろぽろとれるの♪
ぬらしたり、重曹を水に溶かないのがミソなんだって!
なんだー、強い洗剤とか使わなくてもこんなに簡単にとれるなら、もっとマメにやっとけばよかった。
今は掃除のやり方もだれかが発信してくれているから、調べるとわかるのね。
ネットはゆるやかな助け合いの場だ。
自分の経験やよいと思われる知恵を置いておくだけで、必要な方が探して見てくれる。
イデオロギー論争や戦いや中傷の世界もあれば、すてきな世界もあるんだ。
もっとダークな世界も、もっとすばらしい世界も、同時に存在している。
いろんなレベル、状態が同時に存在している世界だ。ネットもリアルも。
いたいところ、見たいものは、自分で選んでいいんだ。ネットもリアルもね。
パソコン、体調、家のそうじ・・・
こんなことをしていたら、
おばさんの心に眠っている古い苦しい感情が呼び起されて、心のお掃除もする流れとなった。
私は、私の親が、私の兄弟を傷つけ人生を破壊していることが、どうしても許せなかった。
感情や自信を育ててあげられなかった自分を棚に上げて、
兄弟を悪く言うことが許せなかった。
私自身も同じ親に育てられたけど、自力で地獄から脱出、復活した。
他人はあてにならんと中年になって経験から悟って、自分の心で感じながら答えを探し、自力で取り組んできた。
こうせざるを得なかったわけだけど、
でもつまりこれは、自分自身への一貫した愛であったということに気が付いた。
愛しか解決できないんだわ。とくに心の問題は。
だから愛と反対のことをする者が許せないという感情。
愛の反対は支配なわけだ。支配しやがってと。
じゃあ支配をやめられない者に対して
「やめろ」ということは、
「そのかかわりは適切ではない」と言うことは、支配ではないのか?
いくら愛する兄弟のためとはいえ。
この答えは、自分の感情を感じると、わかるんだ。
相手が口に出さなくても、深いところで拒否してて言わせない場合もたくさんあります。
それをなんとなく感じ取る力があるのね。
拒否していないなければ、すんなり言えたり、言う機会が来たりするもんなんだ。
きつい感じがするなら、相手が言わせない、言ってほしくないということだ。
破滅確実でも、まだ、その状態でいたい。それを選択している。だから口出ししないでくれ。ということだ。
どうしても私自身もさんざん支配されてきたから、親に仕返ししたくなるのね。
責任を突きつけてやりたくなるんだわ。
すると、無理なことでも言ってやりたくなるんだ。
そんな自分の感情に気が付いた。
でもそれを感情のまま仕返しに走ると、ワナなのね。
せっかく抜けた支配関係に再度陥って、
またマイナス感情を量産することとなる。
そして私も彼らとともに滅びるんだと気づく。
マイナス感情も感じてあげることで楽になっていくんだけど、
また支配の関わりをしてしまえば、さらに増幅されていく。
今までそんなかかわりをしてきたからこそ、そんなマイナス感情があるわけで、
自覚して離れていかないと、やめられない。
感情が残って、やめられない人もたくさんいる。
でもどうしても親への恨みは、あるわけだ。
兄弟に対する仕打ちが許せずにまた顔を出す。
ことあるごとに顔を出す、無意識層にいる自分の感情。
これは一生続くかもしれない。
出てくるたびに、丁寧にみてあげる。
苦しい感情は見て見ぬふりをしがちだけど。
いつまででも見てあげる。自分が自分を見捨てない。
するとだんだん癒されて楽になっていく。
これでもだいぶ楽になった。苦しかった時に比べれば。
自分の感情の問題に取り組んでいた時に、わかったんだけど、
親や他人に対する恨みはもちろんなんだけど、
自分自身を守ってあげられなかった自分に対する怒りもあるの。
こどもだったから仕方ないんだけど。
「親や他人からなにをされようとも、もう二度と(私を)見捨てたり、否定したりせず、しっかり相手に言っていくか、その人から毅然と離れるかするからね」
と自分に約束してあげると、感情は落ち着くんだ。
安心するんだね。
それも、自分の守り方がわからないと自分自身と約束できないからな。
ちょっと学んでシミュレーションして、こわくないところで練習してみることも大事だ。
こういう感情が久しぶりに出てきたんだ。
親は、こどもを傷つけ子どもの人生を破壊しているのが自分だとは、わかっていない。
こどもの苦しみが、感情として感じられない。
本当は深いところでうすうすそうなのかなと思っても認めたくない。
いまさら、関わりを変えるなんて、感情がゆるさない。
ほかにどうしたらいいのか、やりかたもわからない。
深いところでは、自分と向き合う恐怖や罪悪感も、ある。
年老いて、感覚も頭も体も鈍くなっていく。
今更自分自身と向き合えなんてもう無理だ。
だから私の兄弟は苦しみ続ける。
兄弟の視点から見ると、
兄弟も、そんな親に依存していたい。
これも、そうしたのはやはり親だ。
これがどうしても許せなかったの。
相手の選択に口出しをすると、トラブルになるのさと、よく書いている私だけど、
本当は、自分自身もそんな葛藤に苦しむただの一人の人間だ。
でも最近気が付いた。
苦しい状態の人は、その状態でバランスをとる、というのがまずは一番なんだわ。
私は自分自身が、問題の本質的なところと向き合うこととなり、
いろいろと恵まれたサポートがあり、それができた。
でも、みんながそうできるわけではない。
高すぎる理想を言っちゃだめだ。そんなに簡単にはできないし。
できない人や理解できない人や聞きたくない人に、「ずばり言うわよ」と本格的な問題指摘やアドバイスをしても、それは正論を使った攻撃となってしまう。
たとえが適切かどうかわからないけど、幼稚園児に大学入試の問題の解き方を教えても無理なのと同じだ。
その人の状態に合っているかどうか、なんだ。
(ここを無視してやると、私の場合、親への仕返しとなるわけだ。)
状態に、いい/悪いは、ない。
そういう状態なんだってだけだ。
苦しい中で、少しでも楽になるように、バランス取れるといいね、くらいのスタンスでいるのがお互いに楽でいいなと、昨晩思った。
長男の方がパチンコにお父さんの年金を使ってしまう問題があって、
私は少しパチンコを減らせないか、話合ってもいいかなとも思ったけど、
長男の方がそれに耐えられないなら、暴れてしまったり、心が不安定になったりすることも考えられるから、
「あいつがパチンコにカネを使ってしまう」とお父さんがこぼしたときに、
「あまり締め付けてもいかんからね」と状態を知っている二男の方は言ったのだな。
年金で3人生活という状況で、カネを使われるのも苦しいし、パチンコで心のバランスを保っている長男の方も苦しいし、その長男の方も働けんでごめんって罪悪感を感じている。
みんなが苦しい中でのバランスなんだよな。
そこを正論で急激に解決しようとしてもムリだから、相手がまだ無理なら見守る。
危険な状態になってきたら、そのときは介入する、次なる策を考えるってことなんだな。
こんなふうに人様のご家庭のことはえらそうに書いているおばさんだけど、
自分自身のことに関しては、とっても不器用なのね。
なぜなら長年にわたり蓄積された自分の感情というものがつねに付いて回るから。
このお掃除が、ときどきやってくるということなんだ。
でもこれは、自分を愛するチャンスだ。
だから腰を据えて、「待ってました」と感じてあげるんだ。
これを越えるごとに楽になるんでね。
感情をよーく見て、感じてあげたら、
行き着く答えは、
「楽」であったり、やさしいのが正解なんだ。
苦しい中で少しでも楽になるようにバランス取れるといいね、くらいのスタンス
これは自分が楽だ。そのとき相手も楽なんだ。
つまりこのとき、自分と相手の選択を認めている。これは、愛だ。
この感じだと、多少苦しくてもなんとか持ちこたえる可能性が高まる。
厳しいのはたいてい支配だ。無理なのに「やれよ」ってことだから。
厳しいと、他人か自分を支配しているんだ。正論であっても。
これやりすぎちゃうと、みんなでなかよく破滅しちゃうのねw
☆公式☆
楽なとき、愛。
厳しいとき、支配。
(だからお母さんが楽にいて自分を愛することの意味を知っていれば、
こどもの選択に、自分を犠牲にしながら手出し口出ししないから、過干渉にならず、引きこもりになりにくいということなんだ。
だから、手抜きは愛だ。休むことも愛だ。)
現実的にも、
自分に余裕がないと、相手が本当にピンチのときに助けてあげられない。
だから私自身が楽に幸せにいることがじつは大事だ。
もしも人と、きつい関係になってしまったら、
自分が楽な距離まで離れて、「楽にいるためにどうしようか」と発想するんだ。
家族や夫婦の関係に悩んでいる方も、まずは楽な距離まで離れてみる。
風通しをよくしてから、
少しずつ丁寧に相手に同意を取りながら関わっていく。
すると関係が改善されていったりする。
(無理にいっしょにお出かけしたりして関係改善を図ろうとしている方をよく見かける。それはいったん離れて関係が改善されてからのほうがいいだろう)
相手の選択に入るときは、同意をとることが必要なんだ。
相手がいやがっているかもしれないから。
これをおろそかにして、
お互いに相手にずかずか入りすぎていたことが、きつい関係になった原因だからだ。
そうなるとマイナス感情になるものなんだ。人の心は。
そういうわけで、許せない相手であっても、
仕返しに走って、相手の選択に入りすぎると、さらに状況が悪くなるから、
基本は、何も言わないでほっとこうとなる。
自分自身が当事者でなければ、できることは少なかったりする。
まずい状況になってしまったときは、自分がきつくない範囲で、言ってあげる。
苦しい中で少しでも楽になるように
くらいの感覚で。
相手に受け入れる準備ができている場合、楽に言えるんだ。
この楽な感覚がないうちは、まだ無理ってことなんだ。
だから、いろいろごちゃごちゃ考えた末、いつも、結局自然が一番だとなる。
困った人も、とりあえずそのままにしてあげて、
まずは自分が平和にいることが、やっぱり最善なんだよなという結論に至る。
「見守る」というサポートのしかただな。
他人を助けたい場合も、自分も楽なのが正解で、そのくらいが適切なんだ。
それが最善なんだと腑に落ちれば落ちるほど、
過去の恨みや傷が癒されて、解放されていくんだ。
きついことしなくていいんだな~って。
あたしが傷つくところに首突っ込むと、相手にとってもよくないし、また傷つけられての応酬だ。
なにか助けるならば、完璧を求めないで、少しでも楽になるといいねというスタンスで、言えることだけ言ってあげる。
こんなふうに自分の感情を感じ切ってあげながら、
頭が整理され、責任を見極めた関わりがわかると、心も体も元気になっていくの。
こんなふうに心のお掃除も完了した。
不思議だね。
自分の現実と自分の心。
すべてが相似形で存在していると思わざるを得ないんだ。
どこかがきれいに変わると、他もそうじしたくなったりしたくなる。
すべて、エネルギーの循環でできている。
油汚れや古い感情を感じ切って掃除する。
パソコンの古いデータを消去して、あたらしいやつをお迎えする。
こうやって循環で、現実ができている。
だからそうじしたくない気分のときはしなくていいんだ。
ある日、時期が来ると手放したくなる、そうじしたくなる、捨てようと思える。
それまでは、その感情にひたっていたい、納得するまでその状態を経験していたい。
エネルギーの循環と、責任を見極めることと、感情を感じるレベルを高めていくことなんだね。
それが愛ってことだ。
停滞したいときはしばらくじっくり停滞していてOK。
休むこと、なにもしないことが必要なときもある。
行き着く先は、いつも、楽でやさしいのが正解だ。
(こういうの、歯を食いしばって我慢して、根性あるのがすばらしいんだ、自己犠牲がすばらしいんだと思ってる人には受け入れがたいわけだ)
時代が大きく変わろうとしている。
歴史を見ると、そんなときは、犠牲や理不尽もたくさん出るものだけど、
その一方でチャンスをつかむ場合も、あったりする。
これも最終的にどう落ち着くかはわからないけれど、
使いようだと思うんだ。
例えば自分の親が毒親で、子育ての相談もできないほどであれば。
「やまぐち子育てAIコンシェルジュ」は、県民からの妊娠・出産・子育てに関する問合せに24時間365日対応するAIチャットボットと、母子手帳アプリ「母子モ」を組み合わせることにより、子育て世代への一貫した伴走型支援を目指して取り組むシステムです。
自分が親になったとき、はじめての子育てでいろいろわからないときに、
親や身内の助けが必要だけど、とても頼れない状況であったとする。
そういう人は毒親よりもAIに聞いたほうがいいわけだ。
そういう人は、けっこう多いと思われる。
毒親から離れて自分を守り、自分を癒しながら子育てするチャンスとなる可能性がある。
虐待された人は、たいてい自分が親になったときに虐待してしまうというのは、だいぶ知られてきた。
うまく使えば、そんな先祖代々繰り返している負のパターンから抜けて復活するチャンスとなる可能性も思う。
超監視管理、人権をなくし、AIによる一律支配となる問題はあるんだけども。
それでも命ある限り生きていくわけだからな。
監視支配されるだけで終わるか、
うまく利用して起死回生につなげていくか、
これも自分次第って気がするんだ。
自分の愛次第って気がするんだ。
愛が足りないと「最後に審判」とばかりに・・・
あんまりひどい親は国の監視下に置かれるだろうことが予想されるから、
こどもが親や大人の犠牲になることは減るかもしれない。
つねに、
傷ついた自分、守ってあげられなかった過去の自分をどう復活させ立て直していくか、だろう。
どうやって守ればよかったのだろう?と。
こういう視点でいろんなことを考えてあげることも、自分への愛だ。
自分を愛することができると、やっと他人も愛せるようになるんだ。
今度は自分を犠牲にするような愛し方ではなくて。