{ 穴があったら }
「穴があったら入りたい」のは恥ずかしい時だろう。しかし昨日は暑さを逃れるために穴に入りたかった。東京の最高気温が36.2度。しかも蒸し暑かった。午後、スーパーへと向かいながら、この道の、はるか彼方にあるであろう富士の風穴に入りたいなあと思った。富岳風穴や鳴沢風穴は、夏でも洞内温度は平均3度らしい。5年ほど前に訪れたあの鳴沢風穴に入りたかった。昨日。そして今日も朝から。
♥ 定まれる仕事もたねば穴方に今日はやとわれ穴深く掘る
こんな辛い歌の作者は ✿ 山崎方代 (1914~85) である。 山梨県に生まれ、第二次大戦で右眼を失明。定職に就くことなく放浪の歌人として生きた。「現代短歌5月」 には ♥ 「山崎方代生誕百年特集」があり、♥ 沖ななも の 「穴のうた」 が掲載されている。
♥ 一巻の終わりなりけり親指は節穴ふかくとられてしまえり
泥沼に足を取られてしまって身動きが取れない状態が想像できる。と沖ななも はおもう。
♥ ふるさとを捜しているとトンネルの穴の向こうにちゃんとありたり
「トンネルの向こう」ではなく「トンネルの穴の向こう」。トンネルの「穴」なのである。己を見失いそうになったとき、振りかえると見えるアイデンティティのようなものだ。それを確認できるのも穴を通してなのである。と、沖ななも は考察する。
♥ おめでたい野辺送りなり穴方も心をこめて穴を掘っている
これは比喩ではなく、墓穴を掘る経験をしたのだろう。人生の最後、けっきょく最後は穴に入る。穴は一つの完結の姿でもある。穴の思想とても言うべきだろうか。
沖ななもサマ この最後の段落の言葉が私の穴に響いています。
私のなかの出口のない穴に。 7月12日 松井多絵子