えくぼ

ごいっしょにおしゃべりしましょう。

北野武が老人へ苦言

2015-04-24 08:59:25 | 歌う

             ・・・ 北野武が老人へ苦言 ・・・

 ♠ 親切な言葉のような意地悪な言葉のような 「おとしより」 とは  松井多絵子

 北野武は映画監督、ビートたけし はコメディアン、同一人物だ。4月22日朝日朝刊
の文化・文芸欄で 「年寄りよ、不良になれ」と語っているのは北野武。

 武 「いまの年寄りってのは駄目だね。体のことばかり気にしてる。」

  ◉ 私の若いころ、半世紀も前だって老人は血圧や血糖値、歩く話ばかりでしたよ。

 武 「若いヤツで一番いけないのは 老人は弱いからいたわってあげましょう」 シルバー    シートとか。弱いもの扱いをしたら年寄りはペットみたいになっちゃうよ。」      

  ◉ でもねえ。武さん、私たちは還暦過ぎたら子供に還ってゆきますよ。憎らしい子供にならために、ペットのように可愛がって欲しいですね。私は。

 武 「若い者は、肩書きのある人なら老人でも尊敬する。どこそこの会長だとか」。

  ◉ 「そうなんですよ。肩書きに弱い若者たちに私はうんざりしています。権力の座に居すわって席を譲らない。威張ってる、話は退屈、もし肩書きがなかったら、誰も寄り付かないような人をチヤホヤする、それを喜ぶ老人、すり寄る若者も私はキライですよ。

 武 「老人はもっと精神的に不良になった方がいいよ」

  ◉ 同感です。歌人のはしくれの私が苦手なのは真面目なひと。親や夫を尊敬し家庭を大切にする歌の退屈なこと。中年の頃の私はときどき不倫の歌を作りましたがフィクションでしょ。なんて言われて。まるで私には女の魅力がないみたい、プライドを傷つられましたよ。文芸は不良性がないと、妖しくゆれるこころがないとね。「精神的に不良になれ」とは北野武も大人しくなりましたね。25日公開の「龍三と七人の子供たち」はお行儀の悪い男たちのお話でしょうか。北野武監督も、不良になってくださいね。   4月24日   松井多絵子 


地球そぞろ歩き ⑤

2015-04-23 09:05:50 | 歌う

            ・・・ 地球そぞろ歩き ⑤ ・・・

♠ 春愁とう言葉たのしも我が前にうつむく若き裸婦のビーナス  松井多絵子

 昨日の午後1時すぎに私はフィレンツェに向かった。家から463歩でバス停へ、渋谷行きに乗り13分で渋谷駅、7分歩いて文化村のザ・ミュージアムに着く。✿「フィレンツェの富と美」の展覧会場へ。若い女が多いが老女も2割はいる。イタリアは女の大好きな國だ。ファッションや音楽、絵画。そしてグルメ。今や日に1食はイタリアンではないか。パスタはうどん、ピザパイはお餅に似ている。

 会場へ入ると先ず金貨の展示。13世紀の金貨が真新しい。貴重品入れの箱もある。公園のベンチほどの大きさのフィレンツェ公益質屋金庫は木と鉄で造られている。15世紀のフィレンツェを支えたのは金融業。特にメディチ家という財閥が芸術家たちを支援し、ルネッサンス時代を作ったのだ。画家・ボティチェリの作品に、今日、渋谷で見るなんて。

 青い服の聖母マリアの絵が多い。金髪に青い服はよく似合う。マリアをさらに美しくする。でも黒髪に青い服は夜の海だ。私は青い服は着ない。ボティチェリ最盛期の「受胎告知」もいいが、「ビーナスの誕生」が大好きだ。その大作のビーナスだけの1枚の絵にわたしは捉えられてしまう。見事な裸身を見せながら、俯く若い女の表情はまさに「春愁」だ。黒一色の画面はビーナスの裸身立像をさらに美しくしている。

 花の都・フィレンツェを去り4時すぎの渋谷の街を歩く。女性の装いは春、夏もあり、まだ冬などさまざまだ。15世紀のふわふわコッテリの服を着た女は見かけない。マークシティをそぞろ歩きするが、ショップもレストランもみなシンプルだ。15世紀の華麗な装飾の空間から解放されて、私は渋谷の街を歩く。ジャケットにスラックス、スニーカーで。
     昨日の歩数は5082歩、3.3km 燃焼109kcal 脂肪燃焼7gだった。

       我が家にはドローンが来る筈はないと思いながらも!(^^)!

                       4月23日  松井多絵子    

 

 


あるきだす俳句たち

2015-04-22 08:52:12 | 歌う

           ・・・ あるきだす俳句たち ・・・

 「句歴半世紀」の俳人たちは昨日の夕刊・朝日の俳句「まなざし」が眩しかったのではないか。まだ20代の進藤剛至の「あるきだす言葉たち」は自在に言葉を歩かせている。15歳から俳句をはじめて、既に日本伝統俳句協会新人賞を受賞している。「ホトトギス」所属。

       ♠ 本を読むつもりが文を書く小春

 この句から★「まなざし」12句が始まっている。読むより文を、句を書きたい彼の創作への意欲が伝わって来る。私は「文を書くつもりが本を読む」ことになる場合が多いのだが。

       ♠ 白き息ふれ合うてゐる初対面

 初対面のこころが高揚している二人、「白き息ふれ合うて」とはよき出会いだろう。

       ♠ セーターをくぐりし首のあらたまる

 ほんの数秒だがトンネルをくぐる感じだ、セーターを着るときは。そして首を意識する。

       ♠ まなざしのつよさに散ってゆく桜

 見つめられ、微笑しつづけて、桜の花たちもさぞ疲れたでことであろう。

       ♠ 筆順に沿うかにバナナ剥いてをり

 バナナの皮を剥くのにナイフはいらない。「筆順に沿ふかに」という表現が新鮮だ。「まなざし」12句から私の好きな5句を取り上げてみた。春のあたたかさの伝わってくる句を。

 

    ◆ 俳句・短歌情報

 『朝日歌壇2014』 『朝日俳壇2014』 

  昨年1年間の「朝日歌壇」「朝日俳壇」の掲載作品をまとめたシリーズ最新版
  (朝日新聞出版、各、本体2800円)㊟ 朝日新聞販売所を通じても購入できる。

  

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『それから』を読む ③

2015-04-21 09:06:50 | 歌う

             『それから』を読む ③

 ♠ 職のなき男が職を失いし男と歩く新緑の道   松井多絵子

 先週月曜の『それから』には代助の今後に関わる人々が出てくる。訪ねて来た親友の平岡との別れ際に代助は 「三千代さんはどうした?」と聞く。「相変わらずだ。君によろしくと言っていた」と応える。「子供は惜しいことをしたね」と代助は言う。流産したらしく、その後は妊娠していない平岡の妻の三千代は。 「妻が頻りに、君はもう奥さんを持ったろうか、まだだろうかって気にしていたぜ」 と平岡が言う。そこへ電車が来て2人は別れる。

 14日・第10回から代助の父・長井得が現れる。役人をやめてから、実業界に入り「大分の資産家」になった。誠吾という兄がいて父の関係している会社で重要な地位。姉は外交官に嫁ぎ今は西洋にいる。他に姉弟がいたが亡くなり、母も亡くなっている。代助は月に1度は本家へ金を貰いに行く。兄嫁の梅子に好意を持っている代助は15歳の甥と12歳の姪とも親しむ。

 代助の尤も応えるのは親爺だ。若い妾を持っている親爺と対座し話をする。「最高の教育を受けた者が遊んでいて面白い理由がない」 現代のオヤジと変わらないお説教をする。
「金は取らんでも構わない。己が補助して遣る」なんていう。だから息子をダメにするのだ。しかも「三十になって遊民としてのらくらしているのは如何にも不体裁だ」とは世間体ばかり気にしているダメ親爺だ。代助は自分はのらくらしていると思わないダメ息子だ。

 職業の為に汚されない内容の多い時間を有する。上等人種であると自負している代助。
「お前は誠実と熱心が欠けている」と親爺は言う。「誠実も熱心もあるが人事上応用出来ない」と代助は応える。こういう男は現代にも多いのではないか。冷めている、ずれている、空気が読めない、などと言われ孤立してしまう。この頭でっかちで誇り高き代助の今後はどうなるのか。私は冷えた視線を向けながら追って行こう。『それから』の終わりまでを。

           4月21日  晴天だ若葉だ息をふかく吸う   松井多絵子

        


『近代秀歌』に歌人クラブ評論賞

2015-04-20 09:12:01 | 歌う

             ☀ 『近代秀歌』に歌人クラブ評論賞 ☀

 私の大切な岩波新書・『近代秀歌』が歌人クラブ評論賞を受賞した。著者は朝日歌壇でおなじみの永田和宏。「これだけは知っておいて欲しい近代秀歌」を100首採りあげて解説、というより著者が読者に分かりやすく話しかけてくれる本である。

 ✿ うすべにに葉はいちはやく萌えいでて咲かむとすなり山桜花  若山牧水

 短歌を始めてから私の春先は忙しくなった。さくら、さくらに振り回される。全国の桜の名所
をかなり訪れたが、吉野の山桜がベストだ。この著書で永田和宏は若山牧水の山桜の歌を抄出し、次のように私に話しかける。~若山牧水には、わけても山桜の歌が多い。現在街中でみかける桜のほとんどは染井吉野であるが、これは江戸時代以降に主流になった桜であり、もとは桜と言えば山桜であった。古くはそれを山桜とあえて言うことはなかったが、いかにも痴呆的に豪華に咲く染井吉野より、私自身は山桜が好きである。

 染井吉野は花が咲いた後から葉が出る、ときには花と共に葉が出るのが疎ましい。山桜の葉は花とほぼ同時に開く、薄紅色の幼葉は花のようだ、花と共に葉も咲いているのだ。
永田和宏が染井吉野より山桜が好きとはうれしい。「わたしも山桜の方が好き」と呟く。

 「西洋人には虫の音は、聞こえていないという。虫の音が美しいと感じるのは、脳の情報処理能力の問題であるとともに、日本人に刷り込まれてきた感性のゆえであり、そのような感性は、古典和歌以来の日本の詩歌によって形成されてきた部分が小さくない」。『近代秀歌』の第1頁の著者の言葉である。さらに「私たちが花を見て美しいと感嘆するのは、私たちの心の奥深くに刷りこまれてきた、花を詠った歌の数々によって、美しいと感じる感性がおのずから形成されるからなのだ」 、略  「そのような私たち日本人の感性の基盤を形成してきた<歌>について、私とあなたとで話ができるだろうか。してみたい、と思う」

   永田先生   この本をひらいて先生としばしばお話させていただいてますの。

                        4月20日   松井多絵子