えくぼ

ごいっしょにおしゃべりしましょう。

歌人クラブ新人賞の服部真里子

2015-04-19 09:18:49 | 歌う

          ★ 歌人クラブ新人賞の服部真里子 ★

 平成27年度日本歌人クラブ新人賞は服部真里子歌集『行け広野へと』に決定した。この歌集については既に昨2014年10月19日の私のブログに書いた。彼女は「未来短歌会会員」で黒瀬珂瀾に師事している。「未来・4月号」から真里子の最新の作品を5首抄出する。

 ♦ 水を飲むとき水に向かって開かれるキリンの脚のしずけき角度

  ※ キリンの長い首の歌は多いが脚は珍しい。結句の「しずけき角度」に哀愁が漂う。

 ♦ まちがえてふりむくような夕暮れに牡丹の巨きな顏咲いている

  ※ 振り向いたら人ではなく牡丹の顔、花ではなく顏、この結句で1首は鮮やかになる。

 ♦ 夕闇に手をさし出せばこぼれくる桜は乳歯のほの明るさで

  ※ 夕闇の桜を乳歯に見立てる、若々しく鋭い視線に桜の花も驚いたことだろう。

 ♦ あなたが覗きこむとあなたの湯豆腐が薄いむらさき色に陰るよ

  ※ 夕食のひとコマを1首にしてしまう、スパイスが利いているのだ彼女の歌は。

 ♦ 春の日のあなたに話していたかった音立ててひかり曲げるセロファン

  ※ 甘く平凡な上句だが斬新な下句に驚く。メリハリが利いる。20代でかくも自在に。

 新人賞受賞歌集『行け広野へと』は19歳から27歳までの作品289首が収められている。
私には若さが眩しい歌集であるが、

     4月19日  晴天 サングラスをかけて午後はそぞろ歩きを。 松井多絵子

      

 

 

 


片づけコンサルタント

2015-04-18 09:06:03 | 歌う

              ▲ 片づけコンサルタント ▲

 ✿ いま我が踏みしめている花びらはこの桜の木に捨てられたのだ  松井多絵子

 20代をすぎれば姥桜になるのは昔々のお話。いまや「世界の100人」の1人になり注目されているのは30歳の近藤麻理恵。16日の米タイム誌に「世界で最も影響力のある100人」に彼女が選ばれているのである。昨年10月に米国で出版した▲「人生がときめく片づけの魔法」が67万部超のベストセラーになった。「kondo」を近藤さん流に片づける意味の動詞として使う人もいるという。「使い捨て文化の國」のように私が思っていたアメリカ人も「捨てる」ことが苦手なのか。イタリアやフランスでも刊行され、世界シリーズ累計300万部の人気になっているらしい。人間はみなモノへの執着が強いのかもしれない。

 ✿ エッセイも言葉を捨てねばならぬのか書かないで書くことなどできぬ

 短歌を始めた頃の私に、或る歌人が詩歌は言葉を捨てることだと言った。言葉を探し集めることに明け暮れていた私に。 エッセイだっていかに言葉を捨てるか、なのだ。大切なことだけ残しその他は捨てること。でも何が大切なのか容易にわからない。だから捨てられないのだ。オシャレ老女A子はかなり広い戸建てから2DKのマンションに引っ越した。思いきり捨てたが、服はなかなか捨てられなかった。服を捨てると思い出も失いそうなので、と言ったその気持ちがよくわかる。服を1枚買ったら1枚捨てなければ、とは思いながらも、、。

 ✿ 旧い手帳をネガフィルムを捨てるなら空っ風吹く今日こそよけれ

 断・捨・離 はむづかしい。勿体ないとおもうことで部屋を狭く、住みにくくしている。思い出に繋がるモノは特に捨てられない。年を取るほど思い出を大切にするが、私の思い出のモノは他者には単なるモノ。近藤麻理恵の▲「人生がときめく片づけ魔法」の印税はかなりの額だろう。彼女は服やバッグを買わないだろうか。結婚したら捨てにくい夫も所有しないのかしら。マンションの広い空間、ソファーに一人、捨てるモノの何もない空間。

    ガラクタのなかでブログを書いています。 4月18日 昼  松井多絵子


地球そぞろ歩き ④

2015-04-17 09:27:15 | 歌う

            ・・・ 地球そぞろ歩き ④ ・・・

  ❤ われはいま黄色い鳩に運ばれて伊豆高原の赤沢卿へ   松井多絵子

 近頃は天候不順で「そぞろ歩き」の計画が立てにくい。温泉なら雨でも2月の寒さになってもかまわない。「はとバス」の「赤沢温泉卿日帰りツアー」に申し込む。新宿を9時10分出発する。私ひとり、いや隣には寺山修司がいる。彼の文庫本「ポケットに名言を」と共に一人旅。この本のなかに彼の海についての言葉、著名人の名言も取り上げられている。

 ♦ 海、それは自分の心をありのままに映し出す鏡だ ハーマン・メルヴィル「白鯨」より

 厚木を過ぎるとまだ咲いている桜が目につく。彼方には雪に覆われた富士山が浮きつ沈みつしている。新緑に囲まれた小田原城が見え海が広がる。私の好きな真鶴の海沿いにバスは走る。熱海を通り、伊東マリンタウンで下りて自由昼食。海鮮どんぶりを食べる。

 赤沢温泉郷に着いたのは1時すぎ。さきほど食べた海鮮どんぶりは美味しかったがまだ胃を去らず、私はロビーから海を見下ろしていた。そして寺山修司の名言集をひらく。

 ♦ ・・・だが海だけは終わることがないだろう。終わりなき蒼茫!海死なず、ー「断片」

 4階の露天風呂から海を見下ろし、見渡す。いまここに津波が押し寄せたら、などとおもうが 海は静かだ。鈍い青、眠そうな青、しかもこの高原は海抜100mはあるだろう。1時間ほどで温泉を出て又ロビーのソファーで、海原を見下ろしながら寺山修司の言葉を。

 ♦ 私のなかでLA mer -女性名詞の海が亡ぶとき、私ははじめて 人を愛することを
    知るだろう。~どこへでもいいから遠くへ行きたい。遠くへ行けるのは、天才だけだ。

 午後4時、黄色い「はと」に乗り赤沢温泉郷を出発。車窓の海はしだいに青を失ってゆく。

           なめらかな伊東の海を傷つけて何処へゆくのか夕べの船は 

                              4月17日 松井多絵子       

              ※ 昨日の歩行は5741歩 3.1km 201kal、脂肪燃焼14g

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


本が床を抜く

2015-04-15 09:16:31 | 歌う

       

             ー 本が床を抜く -

❤ 本箱を狭めていたる長編の『1Q84』 読みさしのままの   松井多絵子

 ノンフィクション作家の西牟田靖(45)は、3年前、仕事場に借りた木造アパートの4畳半に大量の本を運び込んだ。そして「床が抜けるのではないか」と不安になり、人と本との居住空間についての取材を始めた。井上ひさし氏のエッセイには本で床が抜けた一節がある。それを読み、先妻の西舘好子に取材したり、東京のあるアパートの床抜け騒動を調べたり。

 読書老女A子は本の山の中で暮らしている。娘の頃に2年も療養生活をした彼女は傍らに本がないと不安になる。俳句に関わっているのでその参考書、戴く句集などで本箱は満席。その上、つい買ってしまう本が部屋中に積み上げられている。彼女の部屋は1階だから床が抜ける心配はしない。もし大地震があったら本の下敷きになり、本に殺されてしまうのを恐れている。    

 蔵書を電子化で減らした人もいる。評論家の武田徹は都心への転居を機に多くを電子化したが後悔しているらしい。本を日常的に目にしていれば記憶が刺激されるが、本の存在感がなくなると難しい。しかし作家の大野更紗は電子化を積極的に進め、約10畳の居間ですっきり暮らしている。大量の蔵書が家族から疎まれていた元新聞記者もいる。私は、必要なページだけ切り取り雑誌を処分するようにしているが、とても時間がかかる。

 「人それぞれにストーリーがある。本の収納問題をこれほど変化に富んだ感じでまとめられるとは思っていなかった。意外な発見でした」と12日の朝日「読書」の欄に西牟田靖は。
この本には、増える蔵書と格闘しているうちに、著者と妻子との間に生じた亀裂を率直に書かれている。本を減量することは、思い出も捨てるでもある、私の場合だが。

      ❤ 『猫を抱いて象と泳ぐ』という本を棚にもどして書店を去りぬ

                      4月15日  松井多絵子

 

 

   

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


寺山修司の秘かな手紙

2015-04-14 09:10:37 | 歌う

              ❤ 寺山修司の秘かな手紙 ❤

♦ 納戸より麦わら帽を取り出せば寺山修司の歌が聞こえる  松井多絵子

 40余年前に亡くなったのに寺山修司は言葉の魔術師として今も活躍している。4月13日朝日夕刊の❤寺山修司 愛は直球 は彼の青春を謳歌している。18歳で俳句雑誌を創刊し、短歌も作り、24歳で戯曲を書き、31歳で演劇実験室「天井桟敷」を設立。早熟な彼は47歳で世を去ってしまった。元妻の九條京子が昨年4月に自宅で一人で亡くなり寺山からの手紙が残されていた。二人は62年に結婚。70年に離婚している。

 元妻は九条映子の芸名で松竹歌劇団から映画女優になり活躍。共に24歳の頃は。

 第一信  仕事はうまくいっていますか? これから毎日手紙かくつもり。

 第二信  きみはいまどこで遊んでいるだろうか、と思うと気がかりでペンも進まない。

 第三信  今夜はなぜだか、きみがそんなに遠くにいるという気がしない。

 第五信  早く帰っておいで。

 見つかったラブレターは24通、しかし第四信は見つからなかった。二人の結婚生活は8年
だけだったが、九条今日子は寺山の「天井桟敷」を支え、寺山が死去するまで寄り添った。寺山の作品を次世代に伝えていくために尽くした。1人住まいの部屋に残されたノートには
「寺山の待つ世界に行きます」と記されていた。

 「寺山修司のラブレター」(KADOKAWA)は25日、寺山修司と九条今日子の共著として出版される。言葉の魔術師ではない寺山の直球の愛の言葉、携帯のメールのように読める本か。カジュアルな寺山修司をおもう。 雨は止んだ4月14日の昼。 松井多絵子