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「一休さんのこだわり」というお話です。
_______
厳しい修行を続けてはみたものの、悟りを開いたかどうか、それを証明することは難しい。
それなら師となる僧侶が証明書を発行するのがよいのでは、ということから「悟りを開いた」と認めた弟子に発行したものが「印可状」。
一休さんは、この印可状についてあまり快く思っていなかったようである。
生涯を通して、一通の印可状も与えなかったばかりではなく、自分(一休)から印可状を与えられたとする者は罰するように宣言もしているのだ。
「つらつら諸方の修道の様子を見るに、誤っている者は極めて多く、正しい識見を持っている者は非常に少ない。
自分はこれまで一人も印可状を与えた者はいない。
もし仏法がわかった、悟ったと自称する者があれば、寛大な措置をとらずに鞭して役人に告げて獄につなげてほしい」とまで言っている。
印可状があれば悟得の質を吟味しない風潮があったのであれば、それは修道の形骸化ということになる。
修道者が俗に対する優越の感情を隠して、水準の低い印可を方便として運用するのであれば、修道の自壊が始まっていると一休さんは考えた。
一休さんがこだわったのは、僧としての求道。
その原点に戻ることを求めたことで、印可状の有無は意味がないことと考えた。
印可状を乱発することで、修道の質が低下することを嫌い、ひとたび印可状をゲットしてしまえば、その後は何も修行をしないような僧がいたとすれば、そんな風潮を忌み嫌ったがゆえの行いだったのだろう。
_______
オトナの一休さん
NHKオトナの一休さん制作班 著
KADOKAWA
_______
すごい肩書があると、それに甘んじてしまうこともあります。
お墨付きをもらうとありがたいことに世間の評価は上がりますが、同時に「安泰」という不安もあります。
矛盾しているようですが、人生とはそういうことがよくあります。
うまくいっているかのように思えるとき、実は注意が必要で、気を引き締めなくてはなりません。
逆に、困難に立ち向かっているときは、確実に成長しているときでもありますので、いずれ結果が出るのは明白です。
おそらく一休さんは、悟りを開いたと認めてしまった後の弟子の心配をしていたのでしょう。
印可状がなければ、いつまでも修行を続けられますからね♪
“松本 明慶(まつもと みょうけい)氏のお話をご紹介いたします。
松本氏は、天才仏師といわれ、17歳のとき、4歳年下の弟の死をきっかけに仏像を彫り始め、19歳で大佛師・野崎宗慶に弟子入りし、以後40年以上、仏像彫刻一筋に打ち込んでいる方です。
そんな松本氏が、師匠から教わった最後の口伝「一休さんと船頭」をご紹介させて頂きます。
___
ある日、一休さんが船で京都から大阪へと木津川を下る時に、船頭さんが、
「この世には地獄と極楽があるらしいが、この世に佛さんが本当におられるのならば、是非見せてくれ。
あなたは高僧なんだから、私に佛さんを見せることなんて簡単でしょう」
と訊ねたところ、
「分かりました。
佛さんを見せて差し上げましょう。
そのかわり、大きな声で、“佛来い!”と叫びながら船を漕いで下さい」
とおっしゃった。
船頭さんは一生懸命大声で「佛来い。佛来い。」と叫びながら、もくもくと棹をさし続け目的地の淀屋橋に着きました。
大阪で用事を済ませた一休さんが、先ほどの船頭に「おい船頭、佛を見たか。」と訊ねると、
「お蔭様で、佛さんが見えました。」と・・・。
※「佛を見る」とは「幸せを感じる」というような意味です。
___
師匠の話はここでプツッと終わり、無言で仕事を続けられ、この話の先を伺うことはできなかったと・・・
この時19歳だった松本氏は、師匠の言わんとすることがさっぱり・・・
ようやくその真意が理解できたのは、時が流れて35歳になった頃と言います。
松本氏曰く、「佛来い」とは、自分がどれだけ心の底から求めて、その道に打ち込んだのかで、すべてが決まるのだと。
この船頭さんは、「佛来い」と叫んでいたから、いつもより力が入っていた。
それに、佛が見たいから一所懸命漕いだ。
つまり、自分の仕事に一所懸命になったら、認められ、評価され、感謝の言葉とおひねりがもらえる。
だからこの世で佛が見たかったら、自分の職業に一所懸命打ち込めということ。
素晴らしいお話ですね♪
「ロープウェイできた人は、登山家と同じ太陽を見ることはできない」
とはフランスの哲学者アランの言葉です。
「なんの苦労もせずに簡単に登ってきた人が見る太陽は、厳しい鍛練を重ねて自分の足で頂上にたどり着いた人が見る太陽とは別物だ」
ということです。
精進していきます!
__________
今日も最後まで読んで頂きありがとうございます。
心より感謝します。
__________
ブログにも記事をアップしてあります。
「魂が震える話」ブログ
http://ameblo.jp/and-kei/
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朝礼や飲み会の席、友人や家族との会話で、どんどんご活用いただけたらと思います。
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よろしくお願い致します。
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発行責任者 「魂が震える話」けい
お問い合わせ kei@tamafuru.com
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厳しい修行を続けてはみたものの、悟りを開いたかどうか、それを証明することは難しい。
それなら師となる僧侶が証明書を発行するのがよいのでは、ということから「悟りを開いた」と認めた弟子に発行したものが「印可状」。
一休さんは、この印可状についてあまり快く思っていなかったようである。
生涯を通して、一通の印可状も与えなかったばかりではなく、自分(一休)から印可状を与えられたとする者は罰するように宣言もしているのだ。
「つらつら諸方の修道の様子を見るに、誤っている者は極めて多く、正しい識見を持っている者は非常に少ない。
自分はこれまで一人も印可状を与えた者はいない。
もし仏法がわかった、悟ったと自称する者があれば、寛大な措置をとらずに鞭して役人に告げて獄につなげてほしい」とまで言っている。
印可状があれば悟得の質を吟味しない風潮があったのであれば、それは修道の形骸化ということになる。
修道者が俗に対する優越の感情を隠して、水準の低い印可を方便として運用するのであれば、修道の自壊が始まっていると一休さんは考えた。
一休さんがこだわったのは、僧としての求道。
その原点に戻ることを求めたことで、印可状の有無は意味がないことと考えた。
印可状を乱発することで、修道の質が低下することを嫌い、ひとたび印可状をゲットしてしまえば、その後は何も修行をしないような僧がいたとすれば、そんな風潮を忌み嫌ったがゆえの行いだったのだろう。
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オトナの一休さん
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すごい肩書があると、それに甘んじてしまうこともあります。
お墨付きをもらうとありがたいことに世間の評価は上がりますが、同時に「安泰」という不安もあります。
矛盾しているようですが、人生とはそういうことがよくあります。
うまくいっているかのように思えるとき、実は注意が必要で、気を引き締めなくてはなりません。
逆に、困難に立ち向かっているときは、確実に成長しているときでもありますので、いずれ結果が出るのは明白です。
おそらく一休さんは、悟りを開いたと認めてしまった後の弟子の心配をしていたのでしょう。
印可状がなければ、いつまでも修行を続けられますからね♪
“松本 明慶(まつもと みょうけい)氏のお話をご紹介いたします。
松本氏は、天才仏師といわれ、17歳のとき、4歳年下の弟の死をきっかけに仏像を彫り始め、19歳で大佛師・野崎宗慶に弟子入りし、以後40年以上、仏像彫刻一筋に打ち込んでいる方です。
そんな松本氏が、師匠から教わった最後の口伝「一休さんと船頭」をご紹介させて頂きます。
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ある日、一休さんが船で京都から大阪へと木津川を下る時に、船頭さんが、
「この世には地獄と極楽があるらしいが、この世に佛さんが本当におられるのならば、是非見せてくれ。
あなたは高僧なんだから、私に佛さんを見せることなんて簡単でしょう」
と訊ねたところ、
「分かりました。
佛さんを見せて差し上げましょう。
そのかわり、大きな声で、“佛来い!”と叫びながら船を漕いで下さい」
とおっしゃった。
船頭さんは一生懸命大声で「佛来い。佛来い。」と叫びながら、もくもくと棹をさし続け目的地の淀屋橋に着きました。
大阪で用事を済ませた一休さんが、先ほどの船頭に「おい船頭、佛を見たか。」と訊ねると、
「お蔭様で、佛さんが見えました。」と・・・。
※「佛を見る」とは「幸せを感じる」というような意味です。
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師匠の話はここでプツッと終わり、無言で仕事を続けられ、この話の先を伺うことはできなかったと・・・
この時19歳だった松本氏は、師匠の言わんとすることがさっぱり・・・
ようやくその真意が理解できたのは、時が流れて35歳になった頃と言います。
松本氏曰く、「佛来い」とは、自分がどれだけ心の底から求めて、その道に打ち込んだのかで、すべてが決まるのだと。
この船頭さんは、「佛来い」と叫んでいたから、いつもより力が入っていた。
それに、佛が見たいから一所懸命漕いだ。
つまり、自分の仕事に一所懸命になったら、認められ、評価され、感謝の言葉とおひねりがもらえる。
だからこの世で佛が見たかったら、自分の職業に一所懸命打ち込めということ。
素晴らしいお話ですね♪
「ロープウェイできた人は、登山家と同じ太陽を見ることはできない」
とはフランスの哲学者アランの言葉です。
「なんの苦労もせずに簡単に登ってきた人が見る太陽は、厳しい鍛練を重ねて自分の足で頂上にたどり着いた人が見る太陽とは別物だ」
ということです。
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