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負けるのは、力が足らんからなのだ 人の心に灯をともす 2600 より 写真はMさんからいただいたプレ...

2016年10月09日 | 
【負けるのは、力が足らんからなのだ】2600


白洲次郎氏の心に響く言葉より…


《力をつくって今に見てろという気魄(きはく)を皆で持とうではないか》白洲次郎


勝負に勝ち負けは付きものである。

どんな男でも百戦百勝とはまず行くまい。

とすれば、人生で大切なのは、実は勝ち方以上に負け方ではないか。


負けて折れてしまうのか、それとも悔しさを忘れずに、それを発奮のエネルギーへと転化して捲土重来(けんどちょうらい)を期すのか。

「コンチクショウ」というセリフをよく使ったという次郎は、間違いなく後者である。


「力をつくって今に見てろという気魄(きはく)を皆で持とうではないか」

には次のような言葉が続いている。

「弱い奴が強い奴に押さえ付けられるのは世の常で致し方なしとあきらめもするが、言うこと丈(だけ)は正しいことを堂々と言って欲しい。

その時のくやしさも又忘れぬがよい。

力が足らんからなのだ」(プリンシプルのない日本)


言い分が通らなかったとしたら、それは力が足らなかったから。

だからこそ、「今に見ていろ」という気迫(気魄)を持つ。

負け犬根性とは真逆のこの気迫こそ忘れてはならないものだ。


次郎にとって生涯最大の負け戦は、日本国憲法制定をめぐるGHQとの戦いだったと言われる。

できうる限りの駆け引きと手を尽くし、最後の一瞬まで戦いながら、結果から言えば、GHQの手による憲法改正案を日本政府による改正案として公表し、新憲法が制定される。

その時の感慨が「白州手記」として残っている。


《興奮絶頂ニ達シ正午頃ヨリ総司令部モヤツット静マリ、助カルコト甚ダシ。其ノ如クシテ、コノ敗戦最露出ノ憲法ハ生ル。「今にみてゐろ」ト云フ気持抑ヘ切レス。ヒソカニ涙ス》


また、東北電力会長に就任した際には、社内報の挨拶で次のように呼びかけている。

「(前略)敗戦の結果日本の國は破産しています。國民も又皆んな貧乏です。この貧乏から立ち上がって立派に目的をやりとげることは又仕甲斐のあることではありませんか。

こんなことで敗けるものかという気持ちが一番大切なことと思います」


悔しさを忘れぬこと。

そして反骨の精神こそ前進する力となる。


『白洲次郎 一流の条件』(牧山圭男監修)宝島社





「憤(ふん)の一字は、これ進学の機関なり。

舜何人(しゅんなんぴと)ぞや、予(われ)何人ぞやとは、まさにこれ憤なり」


江戸末期の大儒学者・佐藤一斎が書いた「言志四録」の中の言葉だ。


「発憤するということは、学問を勧めるためには最も肝要なことである。

孔子の最高の弟子といわれた顔淵(がんえん)が舜(中国古代、理想の帝王といわれた聖人)も自分も同じ人間ではないか。

なろうという志さえ立てれば舜のような人間になれる、といったのも、まさに発憤ということになる」(井原隆一)


昨今、発憤(はっぷん)という言葉を聞かない。

発憤とは公憤(こうふん)であり、私憤ではない。

公憤とは、正義感から発する、公のための憤(いきどお)りであり、私憤とは、個人的な恨(うら)みや、怒り。


困難を乗り越えるには、「なにくそ負けてたまるか」「今に見ていろ」という公憤が必要だ。

発憤には、反骨の精神がある。


「負けるのは、力が足らんからなのだ」

「なにくそ」という「憤」の一字を忘れずにいたい。





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