
【一隅を照らす人】5212
安岡正篤師の心に響く言葉より…
◆《一燈照隅行(いっとうしょうぐうぎょう)》 萬燈遍照行(ばんとうへんじょうぎょう)
内外の状況を深思(しんし)しよう。
このままで往けば、日本は自滅する外は無い。
我々はこれをどうすることも出来ないか。
我々が何とかする外無いのである。
我々は日本を易(か)えることが出来る。
暗黒を嘆くより一燈を点(つ)けよう。
我々は先ず我々の周囲の暗(やみ)を照す一燈になろう。
微(かす)かなりとも一隅を照そう。
手のとどく限り、到る処に燈明(とうみょう)を供えよう。
一人一燈なれば、萬人萬燈である。
日本は忽(たちま)ち明るくなる。
是れ我々の一燈照隅行、即、萬燈遍照行である。
互いに真剣にこの世直し行を励もうではないか。
(師友の道)
◆《無名にして 有力なる人たるべし》
諸君は宜しく平凡にして、 その味わい飽(あ)かざる人たるべし。
無名にして有力なる人たるべし。
もしおのずからにして、 奇抜或は有名となることあらば、 力(つと)めて捉われざる工夫をなすべし。
(送別の辞 日本農士学校第十一期生卒業式 『菅谷の荘七十年史』より)
『安岡正篤 人生手帖 古教に心を洗う』致知出版社
https://amzn.to/3G83n1Q
神渡良平氏は、「無名有力」についてこう述べている。(下坐に生きる /致知出版社)より
『安岡正篤先生は勉強会でよく「有名無力、無名有力」と言われた。
有名無力、無名有力とはこういう意味だ。
「若いときには誰もがひとかどの人物になりたい、立派な会社を作り上げたいと一所懸命努力をします。
だんだん頭角を現し、人々の評価もいただけるようになって、名が上がって有名になってきます。
会社の規模も大きくなってきます。
そうなるとちょっとした名士になり、講演を頼まれたり、新聞に原稿を書いたり、テレビに出演したりして、だんだん忙しくなってきます。
そしていつのまにか自分を掘り下げる時間すらなくなって、有名ではあるけれども無力な人間になり下がることが多いものです。
しかし、世の中には、新聞、雑誌に名前が載るわけではない、テレビのスポットライトがあたるわけでもないけれども、頭が下がる生き方をしている方がいらっしゃる。
無名だけれども有力な生き方をしていらっしゃる。
私は時間がなくなって自分を失ってしまうよりも、無名のままでいい、自分を高め、磨く時間を持てる者でありたいのです」』
■日本をよくしていきたい、と大望を抱くなら、それは一国の宰相になることでもなく、経済界のトップになることでもない。
一人ひとりが、自分の置かれた場所で、精一杯努力して、自分を高め、魂を磨くことにより、自分が明るく光り輝くことだ。
それが、一隅を照らす人。
■無名有力の人は、一隅を照らすことができる。
しかし、有名無力の人は、一見すると大勢の人を照らしているように見えるが、実はそのあかりは誰にも届いていない。
自分を磨いてこなかった人の言葉は空虚で、心に響かないからだ。
無名有力で…
一隅を照らすことができる人でありたい。
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安岡正篤師の心に響く言葉より…
◆《一燈照隅行(いっとうしょうぐうぎょう)》 萬燈遍照行(ばんとうへんじょうぎょう)
内外の状況を深思(しんし)しよう。
このままで往けば、日本は自滅する外は無い。
我々はこれをどうすることも出来ないか。
我々が何とかする外無いのである。
我々は日本を易(か)えることが出来る。
暗黒を嘆くより一燈を点(つ)けよう。
我々は先ず我々の周囲の暗(やみ)を照す一燈になろう。
微(かす)かなりとも一隅を照そう。
手のとどく限り、到る処に燈明(とうみょう)を供えよう。
一人一燈なれば、萬人萬燈である。
日本は忽(たちま)ち明るくなる。
是れ我々の一燈照隅行、即、萬燈遍照行である。
互いに真剣にこの世直し行を励もうではないか。
(師友の道)
◆《無名にして 有力なる人たるべし》
諸君は宜しく平凡にして、 その味わい飽(あ)かざる人たるべし。
無名にして有力なる人たるべし。
もしおのずからにして、 奇抜或は有名となることあらば、 力(つと)めて捉われざる工夫をなすべし。
(送別の辞 日本農士学校第十一期生卒業式 『菅谷の荘七十年史』より)
『安岡正篤 人生手帖 古教に心を洗う』致知出版社
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神渡良平氏は、「無名有力」についてこう述べている。(下坐に生きる /致知出版社)より
『安岡正篤先生は勉強会でよく「有名無力、無名有力」と言われた。
有名無力、無名有力とはこういう意味だ。
「若いときには誰もがひとかどの人物になりたい、立派な会社を作り上げたいと一所懸命努力をします。
だんだん頭角を現し、人々の評価もいただけるようになって、名が上がって有名になってきます。
会社の規模も大きくなってきます。
そうなるとちょっとした名士になり、講演を頼まれたり、新聞に原稿を書いたり、テレビに出演したりして、だんだん忙しくなってきます。
そしていつのまにか自分を掘り下げる時間すらなくなって、有名ではあるけれども無力な人間になり下がることが多いものです。
しかし、世の中には、新聞、雑誌に名前が載るわけではない、テレビのスポットライトがあたるわけでもないけれども、頭が下がる生き方をしている方がいらっしゃる。
無名だけれども有力な生き方をしていらっしゃる。
私は時間がなくなって自分を失ってしまうよりも、無名のままでいい、自分を高め、磨く時間を持てる者でありたいのです」』
■日本をよくしていきたい、と大望を抱くなら、それは一国の宰相になることでもなく、経済界のトップになることでもない。
一人ひとりが、自分の置かれた場所で、精一杯努力して、自分を高め、魂を磨くことにより、自分が明るく光り輝くことだ。
それが、一隅を照らす人。
■無名有力の人は、一隅を照らすことができる。
しかし、有名無力の人は、一見すると大勢の人を照らしているように見えるが、実はそのあかりは誰にも届いていない。
自分を磨いてこなかった人の言葉は空虚で、心に響かないからだ。
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