
【自分のことは勘定に入れないで】
小林正観さんの心に響く言葉より…
臨済宗妙心寺派管長であった禅僧、山田無文(むもん)老師のエピソードに次のようなものがあります。
山田無文老師があるとき京都駅で電車を待っていると、ひとりの学生が近づいて来て、「お尋ねしていいですか」と言う。
老師が「はあ」と言われると、青年は質問しました。
「僕は何をしたら、いいんですか」
何をしたら、真に生きがいのある人生を送れるか。
そこで老師は言われました。「僕(=あなた)〉の好きなことしたら、いいじゃないか」
すると青年は言いました。
「その〈僕〉がわからないから、東京からきたんです。〈僕〉とは何ですか」
そこで老師は言われました。
「昔から『汝自らを知れ』というが、いちばん身近にあって、いちばんわかりにくいものだ。
時間がないから、結論だけ言おう。
君は今から、自分のことは勘定に入れないで、だれかのために自分を献(ささ)げて生きてごらん。
そして他人のために働いて『よかったなあ、幸せだなあ』と思えるような自分がわかったら、それがほんとうの〈僕〉 だと、わしは思うがなあ」
秋月龍典(りょうみん)という臨済宗のお坊さんが、『「般若心経」を解く』の中で披露している話です。
『すべてを味方 すべてが味方』三笠書房https://amzn.to/3lRuOUb
行徳哲男師のこんな言葉があります。
『現代は理性や知性が感性を圧倒し、人間の目の輝きや生き生きと生きる力を奪ってしまっている。
理性や知性は感性に従属してこそ値打ちがあるのに、それが逆転してしまっている。
ゆえに人間に覇気がないのである。』
何事か、思いつめ、深刻になりすぎているときは、感性が鈍くなっています。
理屈で頭の中がいっぱいになり、行動できない状態、すなわち行動渋滞が起きているのです。
それは同時に、「ミーイズム」という、自分の幸福や満足を求めるだけで、他者のことは考えられないという、自己中心的な考えになっているときでもあります。
そんなときは、その反対の方法、利他的な行動をとることです。
つまり、人の喜ぶようなことをすることです。
それを続けていくと、人から「必要とされる人」となります。
すると、「ああ、自分はこのために生きているのか」と、天からの指令「使命」がわかるのです。
自分のことは勘定に入れずに…
誰かのために働ける人でありたいと思います。
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老師が「はあ」と言われると、青年は質問しました。
「僕は何をしたら、いいんですか」
何をしたら、真に生きがいのある人生を送れるか。
そこで老師は言われました。「僕(=あなた)〉の好きなことしたら、いいじゃないか」
すると青年は言いました。
「その〈僕〉がわからないから、東京からきたんです。〈僕〉とは何ですか」
そこで老師は言われました。
「昔から『汝自らを知れ』というが、いちばん身近にあって、いちばんわかりにくいものだ。
時間がないから、結論だけ言おう。
君は今から、自分のことは勘定に入れないで、だれかのために自分を献(ささ)げて生きてごらん。
そして他人のために働いて『よかったなあ、幸せだなあ』と思えるような自分がわかったら、それがほんとうの〈僕〉 だと、わしは思うがなあ」
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行徳哲男師のこんな言葉があります。
『現代は理性や知性が感性を圧倒し、人間の目の輝きや生き生きと生きる力を奪ってしまっている。
理性や知性は感性に従属してこそ値打ちがあるのに、それが逆転してしまっている。
ゆえに人間に覇気がないのである。』
何事か、思いつめ、深刻になりすぎているときは、感性が鈍くなっています。
理屈で頭の中がいっぱいになり、行動できない状態、すなわち行動渋滞が起きているのです。
それは同時に、「ミーイズム」という、自分の幸福や満足を求めるだけで、他者のことは考えられないという、自己中心的な考えになっているときでもあります。
そんなときは、その反対の方法、利他的な行動をとることです。
つまり、人の喜ぶようなことをすることです。
それを続けていくと、人から「必要とされる人」となります。
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