
【寸暇を惜しんで読書する】5090
東大名誉教授、竹内均(ひとし)氏の心に響く言葉より…
ウィン・ウェンガーという人は『頭脳がよくなる!』(知的生きかた文庫) という本の中で、「ことばがなくては、われわれは四次元の世界に生きることはできない」 とし、「概して、ことばの数が増えるほど、知覚できるものの数も増え、知能もより高度に働くようになる」と言っている。
そして、「読むということは、われわれが最も怠りがちな言語体験である」と警告している。
目で見、耳で聞くという作業は、学習には欠かせない作業だ。
視聴覚による教育が、より高い学習効果を上げることは否定できない。
だが、そうした学習だけでは、われわれは充分な言語体験を積むことができない。
もっと総合的に知性を磨くためには、より広範な技術を使って言語体験を積んでいく必要がある。
だからこそ、本を読むという作業を勉強家は忘れてはならないと思う。
『幸福論』を書いたカール・ヒルティは「本を持っているかどうかは教養の有無を示す表面的なしるしではあるが、見わけ易いしるしでもある」といった。
また、詩人で批評家だったイギリスのマシュー・アーノルドは「現代の社会では、人は老いるにしたがって日常生活の充実と価値が、その日のうちに彼が読書をするか否かということに、それ以上に何を読むかということにどれほど依存しているかということを、いよいよ深く感ずるに違いないと思う」と言っている。
本のない生活や本を読まない生活からは、寂しい人生しか生まれないことを覚悟しておいたほうがよさそうである。
繰り返すが、本を読むことは、自分の思想や教養を高めるためには是非とも必要な作業だ。
というのも、自分の思想や教養を磨くためには、先達の築き上げたものをまず知り、思索と検証を繰り返しながら、その先達の築いた土壌の上に、自分なりの考えを展開していくことが必要だからだ。
小泉信三氏によれば、「本を読んでものを考えた人と、まったく読書しない人とは、明らかに顔が違う」のだそうだ。
この理由は、「読書家が精神を集中して細字を見ることが、その目に、特殊の光を生ぜしめ、これが読書家の顔をつくる」からであると言う。
しかし、もっと大きな理由は、「偉大な作家、思想家の大著を潜心熟読することは、人を別心たらしめる」からであると言う。
つまり、偉人の最高の頭脳が考えた思想が自分の頭の中に導入されることによって、 内面から変化が起き、顔つきも変わってくるということになる。
中国の思想家、王安石も「われ三日、書を読まざればまつ毛暗し」と言っている。
本を読まない人は、人生智を養えない。
そのために、自分の足下を照らす人生の指針を得られない。
本を読まないことは、人生を生きる上でも損なことなのである。
だいたい、本ほど安価な投資で、知識が得られる情報源は現在ほかにはない。
しかも、ポケットに入れて持ち歩くことも可能だし、読もうと思えば、いたる場所で本は読める。
寸暇(すんか)を惜しんで勉強する人にとっては、本ほど情報を提供してくれる簡便な媒体はない。
私が読書を若い人たちに勧めるゆえんである。
『自分を生かす選択』三笠書房
https://amzn.to/3cBKTw5
安岡正篤師はこんな言葉を残しています。
『《士大夫(したいふ)、三日書を読まずんば、義理胸中に交わらず。便(すなわ)ち面目憎むべく、語言味(ごげんあじわい)なきを覚ゆ。》
この言葉はよく普及した名言である。
士大夫は三日書を読まなければ、人間が俗になって、面(つら)の構えや人相も悪くなり、話をしても味がない。
これは有名な蘇東坡(そとうば)と並び称せられた北宋(ほくそう)の文人、黄山谷(こうさんこく)の有名な言葉です。』(酔古堂剣掃を読む /致知出版社)より
「40歳をすぎたら、人は自分の顔に責任を持たねばならない」
と言ったのは、第16代アメリカ大統領のエイブラハム・リンカーン。
男性であれ女性であれ、人間としてのレベルを高め、心を磨くのは読書しかありません。
その積み重ねの結果が顔に出るのです。
西郷隆盛は沖永良部島へ流され、座敷牢に幽閉されました。
その1年3ヵ月の間に、およそ1000冊を読破したといいます。
1日に2冊以上というすさまじいペースです。
この座敷牢での読書が、西郷の人間力を高めたと言われています。
寸暇を惜しんで読書する人でありたいと思います。
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東大名誉教授、竹内均(ひとし)氏の心に響く言葉より…
ウィン・ウェンガーという人は『頭脳がよくなる!』(知的生きかた文庫) という本の中で、「ことばがなくては、われわれは四次元の世界に生きることはできない」 とし、「概して、ことばの数が増えるほど、知覚できるものの数も増え、知能もより高度に働くようになる」と言っている。
そして、「読むということは、われわれが最も怠りがちな言語体験である」と警告している。
目で見、耳で聞くという作業は、学習には欠かせない作業だ。
視聴覚による教育が、より高い学習効果を上げることは否定できない。
だが、そうした学習だけでは、われわれは充分な言語体験を積むことができない。
もっと総合的に知性を磨くためには、より広範な技術を使って言語体験を積んでいく必要がある。
だからこそ、本を読むという作業を勉強家は忘れてはならないと思う。
『幸福論』を書いたカール・ヒルティは「本を持っているかどうかは教養の有無を示す表面的なしるしではあるが、見わけ易いしるしでもある」といった。
また、詩人で批評家だったイギリスのマシュー・アーノルドは「現代の社会では、人は老いるにしたがって日常生活の充実と価値が、その日のうちに彼が読書をするか否かということに、それ以上に何を読むかということにどれほど依存しているかということを、いよいよ深く感ずるに違いないと思う」と言っている。
本のない生活や本を読まない生活からは、寂しい人生しか生まれないことを覚悟しておいたほうがよさそうである。
繰り返すが、本を読むことは、自分の思想や教養を高めるためには是非とも必要な作業だ。
というのも、自分の思想や教養を磨くためには、先達の築き上げたものをまず知り、思索と検証を繰り返しながら、その先達の築いた土壌の上に、自分なりの考えを展開していくことが必要だからだ。
小泉信三氏によれば、「本を読んでものを考えた人と、まったく読書しない人とは、明らかに顔が違う」のだそうだ。
この理由は、「読書家が精神を集中して細字を見ることが、その目に、特殊の光を生ぜしめ、これが読書家の顔をつくる」からであると言う。
しかし、もっと大きな理由は、「偉大な作家、思想家の大著を潜心熟読することは、人を別心たらしめる」からであると言う。
つまり、偉人の最高の頭脳が考えた思想が自分の頭の中に導入されることによって、 内面から変化が起き、顔つきも変わってくるということになる。
中国の思想家、王安石も「われ三日、書を読まざればまつ毛暗し」と言っている。
本を読まない人は、人生智を養えない。
そのために、自分の足下を照らす人生の指針を得られない。
本を読まないことは、人生を生きる上でも損なことなのである。
だいたい、本ほど安価な投資で、知識が得られる情報源は現在ほかにはない。
しかも、ポケットに入れて持ち歩くことも可能だし、読もうと思えば、いたる場所で本は読める。
寸暇(すんか)を惜しんで勉強する人にとっては、本ほど情報を提供してくれる簡便な媒体はない。
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安岡正篤師はこんな言葉を残しています。
『《士大夫(したいふ)、三日書を読まずんば、義理胸中に交わらず。便(すなわ)ち面目憎むべく、語言味(ごげんあじわい)なきを覚ゆ。》
この言葉はよく普及した名言である。
士大夫は三日書を読まなければ、人間が俗になって、面(つら)の構えや人相も悪くなり、話をしても味がない。
これは有名な蘇東坡(そとうば)と並び称せられた北宋(ほくそう)の文人、黄山谷(こうさんこく)の有名な言葉です。』(酔古堂剣掃を読む /致知出版社)より
「40歳をすぎたら、人は自分の顔に責任を持たねばならない」
と言ったのは、第16代アメリカ大統領のエイブラハム・リンカーン。
男性であれ女性であれ、人間としてのレベルを高め、心を磨くのは読書しかありません。
その積み重ねの結果が顔に出るのです。
西郷隆盛は沖永良部島へ流され、座敷牢に幽閉されました。
その1年3ヵ月の間に、およそ1000冊を読破したといいます。
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