
【深みのある人】5457
明治大学教授、齋藤孝氏の心に響く言葉より…
年齢を重ねるにつれ、若い頃のような体力を維持することは難しくなります。
あるいは体力だけではなく、人の名前を思い出せなくなったり、ITの急速な進歩について行けなくなったり等々、脳の衰えも感じるようになります。
では人生の中盤以降が下り坂一辺倒なのかというと、けっしてそうではありません。
なぜなら、むしろ年齢を重ねないとたどり着けない広大な“フロンティア”が残されているから。
それが「深み」です。
「深みにハマる」といえば聞こえは悪いですが、例えば「深みがある人」「深い話ができる人」「洞察が深い人」「ピンチに立っても思慮深く対処できる人」等々なら周囲から一目置かれます。
年齢相応に、そう思われるに越したことはありません。
では、自分に「深み」はあるでしょうか。
そう自問してみると、おそらく多くの方は「よくわからない」と答えると思います。
それもそのはずで、「深み」は自己評価の基準にさほどなっていなかったからです。
自分の深みはわかりにくくても他のものの深みはわかります。
一般的に「深み」で評価される対象は、大きく2つあります。
1つは、芸術、思想、学問などの文化。
もう1つは、総合的な人間力。
自分が知らなかった次元や角度で状況を分析してくれたり、経験や知識に基づいたアイデアを提供してくれたりしたら、その人に「深み」を感じると思います。
深みをわかる力と、深みのある人間になることは連動しています。
世の中にある「深み」の価値がよくわかっているから、日常会話やビジネス上の判断などにおいても「深み」がにじみ出る。
逆に世の中の上辺だけを見てわかったような気になっていれば、言葉もつい軽薄になる。
この関係が崩れることはありません。
だからこそ、「人生の年輪」が大切なのです。
若い人より長く生きている分、経験や知識の量は豊富なはず。
世の中の何たるかも、酸いも甘いも、どこに「深み」があるかある程度はわかっていると思います。
しかも、その「深み」を知ること自体、人生最大の喜びになり得ます。
イギリスの哲学者・数学者で「20世紀最高の知性」とも称されるバートランド・ラッセルは、有名な『幸福論』の中で、世の中に興味・関心を持ち続けることが幸福の道であると説いています。
たしかにそのとおりで、例えば「○○に造詣が深い」「○○に触れているだけであっという間に時間が過ぎる」「○○について一家言ある」といった人は、分野を問わずに楽しそうに見えます。
97歳まで生きたラッセルも、『幸福論』を書いたのは58歳のときですが、「年々年をとるにつれて、ますます生をエンジョイしている」という言い方をしています。
そして先の“連動理論”にしたがえば、世の中の「深み」を知る人は、世の中からは 「深みがある人」に見える。
「人生100年時代」と言われて久しいですが、これこそ長い人生を楽しみ、世の中と折り合いをつけるための決定版ではないでしょうか。
『「深みのある人」がやっていること』朝日新書
https://amzn.to/3OU4zKM
「人物」について中国明代の儒学者である呂新吾(ろしんご)が 名著『呻吟語』で語っている。(安岡正篤)
深沈厚重(しんちんこうじゅう)是第一等素質
磊落豪遊(らいらくごうゆう)是第二等素質
聡明才弁(そうめいさいべん)是第三等素質
第一等の人物は、「深沈厚重」どっしりと落ち着いて深みのある人物。
細事にこだわらない豪放な人物は第二等。
頭が切れて弁の立つ人物は第三等である。
磊落豪遊(らいらくごうゆう)は、快活で度量が大きく、一見すると小さなことにはこだわらなくてよさそうだが、それゆえ、危なっかしいところがある。
聡明才弁(そうめいさいべん)は、頭もいいし、話もうまいが、時に才能をひけらかし、ペラペラと薄っぺらい。それゆえ、才気ばしって信用がおけず、人物ではない。
年齢を重ねれば重ねるほど…
「深みのある人」をめざしたい。
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明治大学教授、齋藤孝氏の心に響く言葉より…
年齢を重ねるにつれ、若い頃のような体力を維持することは難しくなります。
あるいは体力だけではなく、人の名前を思い出せなくなったり、ITの急速な進歩について行けなくなったり等々、脳の衰えも感じるようになります。
では人生の中盤以降が下り坂一辺倒なのかというと、けっしてそうではありません。
なぜなら、むしろ年齢を重ねないとたどり着けない広大な“フロンティア”が残されているから。
それが「深み」です。
「深みにハマる」といえば聞こえは悪いですが、例えば「深みがある人」「深い話ができる人」「洞察が深い人」「ピンチに立っても思慮深く対処できる人」等々なら周囲から一目置かれます。
年齢相応に、そう思われるに越したことはありません。
では、自分に「深み」はあるでしょうか。
そう自問してみると、おそらく多くの方は「よくわからない」と答えると思います。
それもそのはずで、「深み」は自己評価の基準にさほどなっていなかったからです。
自分の深みはわかりにくくても他のものの深みはわかります。
一般的に「深み」で評価される対象は、大きく2つあります。
1つは、芸術、思想、学問などの文化。
もう1つは、総合的な人間力。
自分が知らなかった次元や角度で状況を分析してくれたり、経験や知識に基づいたアイデアを提供してくれたりしたら、その人に「深み」を感じると思います。
深みをわかる力と、深みのある人間になることは連動しています。
世の中にある「深み」の価値がよくわかっているから、日常会話やビジネス上の判断などにおいても「深み」がにじみ出る。
逆に世の中の上辺だけを見てわかったような気になっていれば、言葉もつい軽薄になる。
この関係が崩れることはありません。
だからこそ、「人生の年輪」が大切なのです。
若い人より長く生きている分、経験や知識の量は豊富なはず。
世の中の何たるかも、酸いも甘いも、どこに「深み」があるかある程度はわかっていると思います。
しかも、その「深み」を知ること自体、人生最大の喜びになり得ます。
イギリスの哲学者・数学者で「20世紀最高の知性」とも称されるバートランド・ラッセルは、有名な『幸福論』の中で、世の中に興味・関心を持ち続けることが幸福の道であると説いています。
たしかにそのとおりで、例えば「○○に造詣が深い」「○○に触れているだけであっという間に時間が過ぎる」「○○について一家言ある」といった人は、分野を問わずに楽しそうに見えます。
97歳まで生きたラッセルも、『幸福論』を書いたのは58歳のときですが、「年々年をとるにつれて、ますます生をエンジョイしている」という言い方をしています。
そして先の“連動理論”にしたがえば、世の中の「深み」を知る人は、世の中からは 「深みがある人」に見える。
「人生100年時代」と言われて久しいですが、これこそ長い人生を楽しみ、世の中と折り合いをつけるための決定版ではないでしょうか。
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「人物」について中国明代の儒学者である呂新吾(ろしんご)が 名著『呻吟語』で語っている。(安岡正篤)
深沈厚重(しんちんこうじゅう)是第一等素質
磊落豪遊(らいらくごうゆう)是第二等素質
聡明才弁(そうめいさいべん)是第三等素質
第一等の人物は、「深沈厚重」どっしりと落ち着いて深みのある人物。
細事にこだわらない豪放な人物は第二等。
頭が切れて弁の立つ人物は第三等である。
磊落豪遊(らいらくごうゆう)は、快活で度量が大きく、一見すると小さなことにはこだわらなくてよさそうだが、それゆえ、危なっかしいところがある。
聡明才弁(そうめいさいべん)は、頭もいいし、話もうまいが、時に才能をひけらかし、ペラペラと薄っぺらい。それゆえ、才気ばしって信用がおけず、人物ではない。
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