【明らかに「いまのほうがいい」】5044
明治大学教授、堀田秀吾(しゅうご)氏の心に響く言葉より…
「最近の若者は......(全然なっとらん!)」 「昔はよかったなぁ(いまはダメ)」 こんな物言い、よくありますよね。
結論から言うと、こういった若者批判や懐古主義も、完全にバイアスによるもので、根拠はありません。
そもそも、それぞれの時代といま現在では、大前提となる環境や技術、法律などのルールがまったく違うのに、比較するのはナンセンスです。
基本的には、社会がどんどんよくなってきているのは、科学者や研究者のあいだで一致した見解です。
スウェーデンの作家ヨハン・ノルベリによる『進歩――人類の未来が明るい10の理由』(山形浩生訳、晶文社)の内容をご紹介しましょう。
この本では、食料・衛生・期待寿命・貧困・暴力・環境・識字・自由・平等・次世代という10のテーマを章ごとに分けて、いかに昔はひどかったというデータを示し、現在はそこから、どれだけ進歩したのかを明らかにしています。
冷静に考えれば、この10の項目を見るだけで、明らかにいまは恵まれた時代なのだ、と感じられる方のほうが多いのではないでしょうか。
無論、こういった話はスウェーデンに限ったことではなく、私たち日本人にとっても同じ話です。
よく、若年層による凶悪犯罪が起こったとき「昔はもっとおおらかで......」などと言われたりしますが、殺人事件の認知件数は確実に減少しています。
少年犯罪に限っても同様で、2018年の犯罪白書を見てみても、2003年を過ぎたころから一貫して減少しているのです。
ギリシア哲学の大家プラトンやピタゴラスも似たような若者批判、時代批判を言っていたとか言わなかったとか。
結局、いつの時代も若者批判と懐古主義はあり、歴史は繰り返すのです(笑)。
とはいえ、こんな物言いをついしてしまうのも、それなりの理由があります。
スタンフォード大学のレオン・フェスティンガーが唱えた「認知的不協和」という理論があります。
認知的不協和とは、自分の中で矛盾する事実に直面したとき、その不快感を解消するために、自分の中でつじつま合わせの考え方や言動の変更をするという理論です。
たとえば「いまは海外旅行しやすくて飛行機代も安い」という事実と「30年前のアメリカ旅行には、いまより大金がかかって苦労も多かった」という事実があります。
このとき、後者の経験がある人の中には、不快感を覚える人もいるでしょう。
そのため「昔は苦労した分、いまよりも学ぶものが多かった」などと考えることで、 事実の矛盾によって生じた不快感を解消しようとするわけです。
たしかに、この令和時代に海外旅行をしようとすると、情報も集めやすく非常に便利で、飛行機代も一昔前に比べて随分と安くなりました。
どう考えたって、いまのほうがいいでしょう。
それでも、30年前に100万円近くかけてアメリカ旅行をした人は、その苦労に見合う素晴らしい経験があったのだと美化して「昔はよかった」と思い込むわけです。
『「勘違い」を科学的に使えば武器になる』秀和システム
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いつの時代も、革新は若者から始まりました。
そして、いつの時代も、その若者たちの革新の行動は、既存勢力によって邪魔されたり、阻止されたりしたのです。
既存勢力の中心の多くは年配者たちです。
今まで享受してきた利益やうまみがなくなってしまうからです。
「昔はよかった」という、年寄りの繰(く)り言でそれを正当化しようとします。
しかし、大事なことは、革新が行われるたびに、世の中は良くなっていったという事実です。
犯罪は減り、様々なガジェットやPCや家庭用家電の登場により、仕事や生活は各段に便利になったのです。
逆にいうと、「昔はよかった」という人たちは、現在の急激な変化についていけなくなったということです。
つまり、アップデートできていないのです。
社会はどんどんよくなっています。
だから、多少の振れ幅はありますが、未来はいつだって面白いということです。
「昔はよかった」ではなく…
『明らかに「いまのほうがいい」』という言葉を胸に刻みたいと思います。
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明治大学教授、堀田秀吾(しゅうご)氏の心に響く言葉より…
「最近の若者は......(全然なっとらん!)」 「昔はよかったなぁ(いまはダメ)」 こんな物言い、よくありますよね。
結論から言うと、こういった若者批判や懐古主義も、完全にバイアスによるもので、根拠はありません。
そもそも、それぞれの時代といま現在では、大前提となる環境や技術、法律などのルールがまったく違うのに、比較するのはナンセンスです。
基本的には、社会がどんどんよくなってきているのは、科学者や研究者のあいだで一致した見解です。
スウェーデンの作家ヨハン・ノルベリによる『進歩――人類の未来が明るい10の理由』(山形浩生訳、晶文社)の内容をご紹介しましょう。
この本では、食料・衛生・期待寿命・貧困・暴力・環境・識字・自由・平等・次世代という10のテーマを章ごとに分けて、いかに昔はひどかったというデータを示し、現在はそこから、どれだけ進歩したのかを明らかにしています。
冷静に考えれば、この10の項目を見るだけで、明らかにいまは恵まれた時代なのだ、と感じられる方のほうが多いのではないでしょうか。
無論、こういった話はスウェーデンに限ったことではなく、私たち日本人にとっても同じ話です。
よく、若年層による凶悪犯罪が起こったとき「昔はもっとおおらかで......」などと言われたりしますが、殺人事件の認知件数は確実に減少しています。
少年犯罪に限っても同様で、2018年の犯罪白書を見てみても、2003年を過ぎたころから一貫して減少しているのです。
ギリシア哲学の大家プラトンやピタゴラスも似たような若者批判、時代批判を言っていたとか言わなかったとか。
結局、いつの時代も若者批判と懐古主義はあり、歴史は繰り返すのです(笑)。
とはいえ、こんな物言いをついしてしまうのも、それなりの理由があります。
スタンフォード大学のレオン・フェスティンガーが唱えた「認知的不協和」という理論があります。
認知的不協和とは、自分の中で矛盾する事実に直面したとき、その不快感を解消するために、自分の中でつじつま合わせの考え方や言動の変更をするという理論です。
たとえば「いまは海外旅行しやすくて飛行機代も安い」という事実と「30年前のアメリカ旅行には、いまより大金がかかって苦労も多かった」という事実があります。
このとき、後者の経験がある人の中には、不快感を覚える人もいるでしょう。
そのため「昔は苦労した分、いまよりも学ぶものが多かった」などと考えることで、 事実の矛盾によって生じた不快感を解消しようとするわけです。
たしかに、この令和時代に海外旅行をしようとすると、情報も集めやすく非常に便利で、飛行機代も一昔前に比べて随分と安くなりました。
どう考えたって、いまのほうがいいでしょう。
それでも、30年前に100万円近くかけてアメリカ旅行をした人は、その苦労に見合う素晴らしい経験があったのだと美化して「昔はよかった」と思い込むわけです。
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いつの時代も、革新は若者から始まりました。
そして、いつの時代も、その若者たちの革新の行動は、既存勢力によって邪魔されたり、阻止されたりしたのです。
既存勢力の中心の多くは年配者たちです。
今まで享受してきた利益やうまみがなくなってしまうからです。
「昔はよかった」という、年寄りの繰(く)り言でそれを正当化しようとします。
しかし、大事なことは、革新が行われるたびに、世の中は良くなっていったという事実です。
犯罪は減り、様々なガジェットやPCや家庭用家電の登場により、仕事や生活は各段に便利になったのです。
逆にいうと、「昔はよかった」という人たちは、現在の急激な変化についていけなくなったということです。
つまり、アップデートできていないのです。
社会はどんどんよくなっています。
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