【可動域の広い人】5043
齋藤孝氏の心に響く言葉より…
江戸時代後期の僧・良寛は、74歳まで生きました。
当時としてはかなりの長寿で、「人生100年時代」の先駆者とも言えるでしょう。
ただ、今日までその名が広く知られているのは、単に長寿だったからではありません。
生涯を通じて寺を持たず、若いころは各地を行脚し、後年は郷里の越後に戻って草庵で暮らします。
けっして偉ぶることなく多くの人と交わり、常に朗らかだったと言われています。
とりわけ有名なのは、その後年に近所の子どもたちと一緒に遊んでいたことでしょう。
「子供らと 手毬つきつつこの里に 遊ぶ春日は 暮れずともよし」という歌を残したほどでした。
また、子どもたちが揚げようとしている凧に、「天上大風」と味わいのある字で記したことも有名です。
天上に大風が吹いて凧が高く揚がるように、という思いが込められています。
子どもにとって遊びとは、可動域を広げる練習でもあります。
義務としてやることではなく、身体を動かしながら心から楽しむものです。
それに、もっとおもしろくするにはどうすればいいかも常に考えている。
つまり身体と心と脳を同時に鍛えているわけです。
そんな子どもたちと一緒に遊んでいると、大の大人も気分が軽やかになります。
良寛は、それによって柔軟な心を持ち続けたのでしょう。
また良寛といえば、晩年に40歳年下の弟子・貞心尼と恋愛関係にあったことでも知られています。
ほんの数年でしたが、お互いに得意な歌で心情を伝え合うなど、相思相愛の関係は良寛が亡くなるまで続きました。
子どもと遊び、若い女性と親しく接したことによって、良寛は高齢になっても心を柔らかいまま保つことができたのだと思います。
またそれが、長く日本人に愛されてきた理由でしょう。
私たちも良寛を大いに見習うべきだと思います。
概して高齢になるほど人間関係は狭くな り、それに伴って心も硬くなりがちです。
ならば、その逆を考えればいい。
子どもと遊んだり、若い異性とつき合ったりできるかどうかはともかく、社会から孤立しないこと、つまり はある程度の人間関係を保つこと、できれば関係を広げていくことが大事だと思います。
常に好奇心を持って世界を広げていけば、必然的に人間関係も広がるでしょう。
そして、 人と知り合うことによってさらに好奇心が刺激され、世界が広がるということも大いにあり得ます。
そういう可動域の広げ方もあるということを、覚えておいてください。
『可動域を広げよ』日経プレミアシリーズ
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安岡正篤師は、「忘年」という言葉についてこう語っています、(照心語録)より
『歳暮になると忘年会がはやるが、この「忘年」とは、本来一年の苦労を忘れるという意味ではない。
年齢を忘れるの意で、漢代の大学者孔融(当時50歳)と、禰衡(でいこう)(20歳未満)との交わりを、世人が「忘年の交」とよんだ故事による。
だから、忘年会とは老若席を同じくし、年齢を忘れて楽しむのが本当だ。』
昨今、組織においては、ダイバーシティということが言われています。
日本語で多様性という意味です。
年齢や性別、国籍、人種、民族、趣味趣向、等々の多様性を認めるということです。
ダイバーシティ&インクルージョンという使われ方もしています。
インクルージョンとは、受容という意味ですが、多種多様な考え方や個性という多様性を認め、受け入れるということです。
良寛さんにしても、孔融や禰衡(でいこう)にしても、優れた一流の人たちは、時代を越えて、ダイバーシティ&インクルージョンでした。
多様性に対して、こだわりや執着がなかったということです。
日常の人間関係において、年齢や性別を超えた付きあいができる人は、可動域が広い人です。
柔軟性があり、新しいことや変化に対する受容性の高い人です。
常に好奇心を持ち、こだわりのない人間関係を構築して…
可動域の広い人でありたいと思います。
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齋藤孝氏の心に響く言葉より…
江戸時代後期の僧・良寛は、74歳まで生きました。
当時としてはかなりの長寿で、「人生100年時代」の先駆者とも言えるでしょう。
ただ、今日までその名が広く知られているのは、単に長寿だったからではありません。
生涯を通じて寺を持たず、若いころは各地を行脚し、後年は郷里の越後に戻って草庵で暮らします。
けっして偉ぶることなく多くの人と交わり、常に朗らかだったと言われています。
とりわけ有名なのは、その後年に近所の子どもたちと一緒に遊んでいたことでしょう。
「子供らと 手毬つきつつこの里に 遊ぶ春日は 暮れずともよし」という歌を残したほどでした。
また、子どもたちが揚げようとしている凧に、「天上大風」と味わいのある字で記したことも有名です。
天上に大風が吹いて凧が高く揚がるように、という思いが込められています。
子どもにとって遊びとは、可動域を広げる練習でもあります。
義務としてやることではなく、身体を動かしながら心から楽しむものです。
それに、もっとおもしろくするにはどうすればいいかも常に考えている。
つまり身体と心と脳を同時に鍛えているわけです。
そんな子どもたちと一緒に遊んでいると、大の大人も気分が軽やかになります。
良寛は、それによって柔軟な心を持ち続けたのでしょう。
また良寛といえば、晩年に40歳年下の弟子・貞心尼と恋愛関係にあったことでも知られています。
ほんの数年でしたが、お互いに得意な歌で心情を伝え合うなど、相思相愛の関係は良寛が亡くなるまで続きました。
子どもと遊び、若い女性と親しく接したことによって、良寛は高齢になっても心を柔らかいまま保つことができたのだと思います。
またそれが、長く日本人に愛されてきた理由でしょう。
私たちも良寛を大いに見習うべきだと思います。
概して高齢になるほど人間関係は狭くな り、それに伴って心も硬くなりがちです。
ならば、その逆を考えればいい。
子どもと遊んだり、若い異性とつき合ったりできるかどうかはともかく、社会から孤立しないこと、つまり はある程度の人間関係を保つこと、できれば関係を広げていくことが大事だと思います。
常に好奇心を持って世界を広げていけば、必然的に人間関係も広がるでしょう。
そして、 人と知り合うことによってさらに好奇心が刺激され、世界が広がるということも大いにあり得ます。
そういう可動域の広げ方もあるということを、覚えておいてください。
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安岡正篤師は、「忘年」という言葉についてこう語っています、(照心語録)より
『歳暮になると忘年会がはやるが、この「忘年」とは、本来一年の苦労を忘れるという意味ではない。
年齢を忘れるの意で、漢代の大学者孔融(当時50歳)と、禰衡(でいこう)(20歳未満)との交わりを、世人が「忘年の交」とよんだ故事による。
だから、忘年会とは老若席を同じくし、年齢を忘れて楽しむのが本当だ。』
昨今、組織においては、ダイバーシティということが言われています。
日本語で多様性という意味です。
年齢や性別、国籍、人種、民族、趣味趣向、等々の多様性を認めるということです。
ダイバーシティ&インクルージョンという使われ方もしています。
インクルージョンとは、受容という意味ですが、多種多様な考え方や個性という多様性を認め、受け入れるということです。
良寛さんにしても、孔融や禰衡(でいこう)にしても、優れた一流の人たちは、時代を越えて、ダイバーシティ&インクルージョンでした。
多様性に対して、こだわりや執着がなかったということです。
日常の人間関係において、年齢や性別を超えた付きあいができる人は、可動域が広い人です。
柔軟性があり、新しいことや変化に対する受容性の高い人です。
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