
【大変革期に燃える人】
稲盛和夫氏の心に響く言葉より…
現在、コロナ禍で、企業を取り巻く環境が劇的に変化している。
また、経営者・経営幹部の真価が問われている。
例えば、在宅勤務者が大半を占める状況下で、いかに社員と意思疎通を図り、組織の一体感を図るのか。
また、副業解禁などで会社との心理的距離が拡大するなか、いかに企業の理念を社員と共有していくのか。
さらには、働き方改革で時短勤務が推奨される時代に、いかに社員のモチベーションを高めつつ、誰にも負けない努力を求めていくのか。
いずれも難題である。
しかし、日本企業が最も考慮すべきは、アグレッシブな企業家精神の涵養であろう。
アメリカやヨーロッパでは、コロナ禍の二〇二〇年の起業(新規事業申請)数は、前年に比べ、大幅に増加した。
運輸や小売業を中心に新たなビジネス機会を見出すなど、ビジネス環境の変化を、新たな成長のチャンスととらえている。
一方、日本では起業数は横ばい、ないしは減少傾向にある。
もともと日本の産業社会は起業意欲が低く、世界の先進諸国の中では低位に留まるという。
なぜか。
日本はバブル経済崩壊以降、経済閉塞感が漂うようになってしまった。
戦後の日本経済を牽引してきた大企業が存亡の危機を迎え、中には消滅や買収という運命をたどった企業さえあった。
これら日本を代表する著名企業の蹉跌が、若者の起業意欲を減衰させているかもしれない。
また、2011年の東日本大震災以来、日本の社会全体に、同情や哀れみのような、優しい感情が広く蔓延するようになった。
もちろん他者を思いやる美しい心は、人や社会に欠かすことがきない、大切なものである。
しかし、それだけでは、企業や国家は競争のなかで敗れ去るしかない。
時代の変化に首をうなだれることなく、逆境をものともせず、不死鳥のごとく新たな飛躍を遂げていこうとする強靱な精神性が、変革期には必要不可欠である。
もともと経営とは「闘い」である。
私は、京セラがまだ中小零細企業であった頃、売上を確保できそうもない営業に対し、「市場で負けて逃げて帰ってきたなら、俺が機関銃で撃ってやる。後ろへ退却しても死ぬのだから、死んだ気で前に進んで闘え!」と、厳しく叱咤激励したことがある。
乱暴な言い方だが、企業経営では、そんな激しい闘争心を欠くことはできない。
それは、自らの金儲けのためではない。
多くの従業員の幸福のためだからである。
企業に集う従業員とその家族の長年にわたる、物心両面の幸福を追求することこそが、企業経営の目的だと私は確信している。
ならば、その実現のために、経営者は経営環境の変化などに「絶対に負けるものか」という、格闘技の選手にも似た闘志を持って臨み、何としても企業を持続的成長へと導いていかなければならない。
この強く激しい「燃える闘魂」こそが、起業そして経営の最大推進力である。
私は、自燃性、他燃性、不燃性の人間がいると考えている。
まずは、ベンチャー設立やスタートアップ企業の経営にあたるべき、自燃性人材の掘り起こしが急務である。
若年層への 起業家教育等で経営の意義を啓蒙することで、もともとアグレッシブな人間を喚起し、さら にベンチャーキャピタルで背中を強く押していきたい。
また、企業内の人材活性化も急務である。
大企業には、他燃性だが、きわめて優秀な人材が多くくすぶっているに違いない。
まずはトップ自らが率先垂範、チャレンジングな経営姿勢で範を示すとともに、あらゆる機会に社員に語りかけ、チャンスを与え、その心に挑戦の炎を灯していかなければならない。
そうして自燃性および他燃性人材が多く立ち上がっていけば、不燃性人材とて、共に熱くはなろう。
そうして、日本の経済社会を、再び活気あふれるアグレッシブなものにしていかなければならない。
この大変革期にあたり、一人ひとりの経営者・経営幹部に求められていることは、経営の本質を見失わないということである。
経営環境が大きく変化するなか、経営の舵取りに右往左往するあまり、経営の原理原則まで取り違えてはならない。
経営とは人間が集い、集団で営む取り組みである以上、人間としての原理原則に立脚した、経営の考え方や方法は、時代がいかに変われども有効であり続けるはずである。
『経営のこころ 会社を伸ばすリーダーシップ』PHP
https://amzn.to/3ruyvBh
以前、盛和塾(稲盛氏の経営塾)の塾生だった頃、稲盛塾長に尋ねたことがある。
「塾長は、日頃、愛とか人の心を大切にとおっしゃっていますが、時には企業存続のため阿修羅のように怒ったり、冷徹に人を切るといった決断をすることがおありだと思います。その相反する二面性についてどうお考えですか」、と。
そのとき、一瞬「うーん」、と唸って、少しの沈黙のあと、「それは凄(すさ)まじい質問だ。自分でも時に分裂症ではないかと思う時がある。しかし、名経営者は、その相反することをいとも平然とやってのける人のことだと思う」、と。
もちろん経営者にとって、他者を思いやる美しい心や、優しい気持ちは、言うまでもなくとても大切なものだ。
しかし、同時に必要なのは、負けてたまるか、なにくそ、という闘争心。
「憤(ふん)の一字は、これ進学の機関なり。舜何人(しゅんなんぴと)ぞや、予(われ)何人ぞやとは、まさにこれ憤なり」
という、佐藤一斎の「言志四録」の中の言葉がある。
発憤するということは、学問を勧めるためには最も肝要なことである。
孔子の最高の弟子といわれた顔淵(がんえん)が舜(中国古代、理想の帝王といわれた聖人)も自分も同じ人間ではないか。
なろうという志さえ立てれば舜のような人間になれる、といったのも、まさに発憤ということになる。(「言志四録」を読む/井原隆一)より
何か困難なことが起きたとき、そこで「なにくそ」と発憤するのか、あるいは「もう駄目だ」とヘナヘナとダメになってしまうのか。
大変革期であればあるほど…
「憤の一字」で燃え上がる人でありたい。
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稲盛和夫氏の心に響く言葉より…
現在、コロナ禍で、企業を取り巻く環境が劇的に変化している。
また、経営者・経営幹部の真価が問われている。
例えば、在宅勤務者が大半を占める状況下で、いかに社員と意思疎通を図り、組織の一体感を図るのか。
また、副業解禁などで会社との心理的距離が拡大するなか、いかに企業の理念を社員と共有していくのか。
さらには、働き方改革で時短勤務が推奨される時代に、いかに社員のモチベーションを高めつつ、誰にも負けない努力を求めていくのか。
いずれも難題である。
しかし、日本企業が最も考慮すべきは、アグレッシブな企業家精神の涵養であろう。
アメリカやヨーロッパでは、コロナ禍の二〇二〇年の起業(新規事業申請)数は、前年に比べ、大幅に増加した。
運輸や小売業を中心に新たなビジネス機会を見出すなど、ビジネス環境の変化を、新たな成長のチャンスととらえている。
一方、日本では起業数は横ばい、ないしは減少傾向にある。
もともと日本の産業社会は起業意欲が低く、世界の先進諸国の中では低位に留まるという。
なぜか。
日本はバブル経済崩壊以降、経済閉塞感が漂うようになってしまった。
戦後の日本経済を牽引してきた大企業が存亡の危機を迎え、中には消滅や買収という運命をたどった企業さえあった。
これら日本を代表する著名企業の蹉跌が、若者の起業意欲を減衰させているかもしれない。
また、2011年の東日本大震災以来、日本の社会全体に、同情や哀れみのような、優しい感情が広く蔓延するようになった。
もちろん他者を思いやる美しい心は、人や社会に欠かすことがきない、大切なものである。
しかし、それだけでは、企業や国家は競争のなかで敗れ去るしかない。
時代の変化に首をうなだれることなく、逆境をものともせず、不死鳥のごとく新たな飛躍を遂げていこうとする強靱な精神性が、変革期には必要不可欠である。
もともと経営とは「闘い」である。
私は、京セラがまだ中小零細企業であった頃、売上を確保できそうもない営業に対し、「市場で負けて逃げて帰ってきたなら、俺が機関銃で撃ってやる。後ろへ退却しても死ぬのだから、死んだ気で前に進んで闘え!」と、厳しく叱咤激励したことがある。
乱暴な言い方だが、企業経営では、そんな激しい闘争心を欠くことはできない。
それは、自らの金儲けのためではない。
多くの従業員の幸福のためだからである。
企業に集う従業員とその家族の長年にわたる、物心両面の幸福を追求することこそが、企業経営の目的だと私は確信している。
ならば、その実現のために、経営者は経営環境の変化などに「絶対に負けるものか」という、格闘技の選手にも似た闘志を持って臨み、何としても企業を持続的成長へと導いていかなければならない。
この強く激しい「燃える闘魂」こそが、起業そして経営の最大推進力である。
私は、自燃性、他燃性、不燃性の人間がいると考えている。
まずは、ベンチャー設立やスタートアップ企業の経営にあたるべき、自燃性人材の掘り起こしが急務である。
若年層への 起業家教育等で経営の意義を啓蒙することで、もともとアグレッシブな人間を喚起し、さら にベンチャーキャピタルで背中を強く押していきたい。
また、企業内の人材活性化も急務である。
大企業には、他燃性だが、きわめて優秀な人材が多くくすぶっているに違いない。
まずはトップ自らが率先垂範、チャレンジングな経営姿勢で範を示すとともに、あらゆる機会に社員に語りかけ、チャンスを与え、その心に挑戦の炎を灯していかなければならない。
そうして自燃性および他燃性人材が多く立ち上がっていけば、不燃性人材とて、共に熱くはなろう。
そうして、日本の経済社会を、再び活気あふれるアグレッシブなものにしていかなければならない。
この大変革期にあたり、一人ひとりの経営者・経営幹部に求められていることは、経営の本質を見失わないということである。
経営環境が大きく変化するなか、経営の舵取りに右往左往するあまり、経営の原理原則まで取り違えてはならない。
経営とは人間が集い、集団で営む取り組みである以上、人間としての原理原則に立脚した、経営の考え方や方法は、時代がいかに変われども有効であり続けるはずである。
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以前、盛和塾(稲盛氏の経営塾)の塾生だった頃、稲盛塾長に尋ねたことがある。
「塾長は、日頃、愛とか人の心を大切にとおっしゃっていますが、時には企業存続のため阿修羅のように怒ったり、冷徹に人を切るといった決断をすることがおありだと思います。その相反する二面性についてどうお考えですか」、と。
そのとき、一瞬「うーん」、と唸って、少しの沈黙のあと、「それは凄(すさ)まじい質問だ。自分でも時に分裂症ではないかと思う時がある。しかし、名経営者は、その相反することをいとも平然とやってのける人のことだと思う」、と。
もちろん経営者にとって、他者を思いやる美しい心や、優しい気持ちは、言うまでもなくとても大切なものだ。
しかし、同時に必要なのは、負けてたまるか、なにくそ、という闘争心。
「憤(ふん)の一字は、これ進学の機関なり。舜何人(しゅんなんぴと)ぞや、予(われ)何人ぞやとは、まさにこれ憤なり」
という、佐藤一斎の「言志四録」の中の言葉がある。
発憤するということは、学問を勧めるためには最も肝要なことである。
孔子の最高の弟子といわれた顔淵(がんえん)が舜(中国古代、理想の帝王といわれた聖人)も自分も同じ人間ではないか。
なろうという志さえ立てれば舜のような人間になれる、といったのも、まさに発憤ということになる。(「言志四録」を読む/井原隆一)より
何か困難なことが起きたとき、そこで「なにくそ」と発憤するのか、あるいは「もう駄目だ」とヘナヘナとダメになってしまうのか。
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