
【人生の旅】4702
青山俊董(しゅんどう)氏の心に響く言葉より…
《人生の旅も、変化があるほうが味わい深い》
亭主関白だったご主人を失ってまだ月日の浅いMさんが、しみじみいった。
「主人が生きているうちは、こんなわがままな亭主、いなくなったらさぞかしらくに なるだろうなあと思いました。ところが亡くなってみてはじめて、こんなに風よけになっていてくれたのかと、遅ればせながら気づかせてもらいました。毎日お線香をあげては主人にわび、また感謝しています」
月も雲間があったほうがたのしいように、人生の旅も変化があったほうがよい。
愛する日あり、憎しみあう日もあり、成功して天にも昇るような思いになったり、失敗して谷底に沈む思いになってみたり、生まれたとよろこび、死んだと嘆き......。
おかげで七十年、八十年の人生も退屈することなく過ごさせてもらうことができる。
月と雲と空と、さらに地上の山やススキと、全体がひとつの視野のなかに入っているからこそ美しく、また、たのしいのである。
人生の景色も愛のときは愛のみにとらわれ、憎しみに変わったら憎しみのみで他が見えなくなってしまうとたのしくない。
愛と憎しみはひとつのことの裏表。「こんなに憎らしいのは、こんなに愛している証拠」と、一方の姿にとらわれず、つねに全体の展望ができる心の目の高さを持って生きることができたら、人生の味わいはまた深 いものになるであろう。
『たった一度の人生を悔いなく生きるために大切なこと』海竜社
https://amzn.to/3lGmeJ4
本書の中に【雨の日、晴れの日、すべてが人生の道具だて】という珠玉の一節があった。
『中国、北宋時代の詩人、蘇東坡(そとうば)が西湖を詠じた詩に「晴れて好し/雨も奇なり」という一句がある。
人生の旅路にも、雨の日あり風の日あり、晴れる日もあれば嵐の日もある。
美しき山あり、断崖を落下する日あり、花咲く日あり散る日あり、氷雪の下で春を待つ日あり、さまざまあって、それぞれによろしいというのである。
すべてが 人生の道具だてであり、人生の大切な彩りとなっているというのである。
道元禅師はこれを「生死は仏家(ぶっけ)の調度」とおっしゃった。
生老病死、愛憎、損得さまざまの起き伏しのすべてが人生の道具だてであり、そ れがそのまま、お浄土の道具だてでもあって、同じ道具を使って、浄土にするか地獄にするかは道具を使う本人次第だと示される。』
「人生とは何ですか」との問いに今東光氏(天台宗大僧正)はこう答えたという。
「人生というのは冥土(めいど)までの暇(ひま)つぶしだよ」
本書の中にも、余語翠巖(よご・すいがん)老師のこんな言葉があった。
「人生はな、何もなかれと願うけれど、何もなくてみい。退屈でかなわんぞ。いろいろあるからいいんじゃ」
何も起こらない、のどかで無事な毎日を我々凡夫は望む。
しかしなから、何の問題もなく、困難やトラブルもない人生をおくれる人など誰もいない。
だが時間が経つと、あんなやっかいなことがあったから今がある、と困難やトラブルに感謝できるようになる。
すると、長い人生において、やっかいな出来事が、「人生の味」を引き立てるスパイスだったことに気づく。
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《人生の旅も、変化があるほうが味わい深い》
亭主関白だったご主人を失ってまだ月日の浅いMさんが、しみじみいった。
「主人が生きているうちは、こんなわがままな亭主、いなくなったらさぞかしらくに なるだろうなあと思いました。ところが亡くなってみてはじめて、こんなに風よけになっていてくれたのかと、遅ればせながら気づかせてもらいました。毎日お線香をあげては主人にわび、また感謝しています」
月も雲間があったほうがたのしいように、人生の旅も変化があったほうがよい。
愛する日あり、憎しみあう日もあり、成功して天にも昇るような思いになったり、失敗して谷底に沈む思いになってみたり、生まれたとよろこび、死んだと嘆き......。
おかげで七十年、八十年の人生も退屈することなく過ごさせてもらうことができる。
月と雲と空と、さらに地上の山やススキと、全体がひとつの視野のなかに入っているからこそ美しく、また、たのしいのである。
人生の景色も愛のときは愛のみにとらわれ、憎しみに変わったら憎しみのみで他が見えなくなってしまうとたのしくない。
愛と憎しみはひとつのことの裏表。「こんなに憎らしいのは、こんなに愛している証拠」と、一方の姿にとらわれず、つねに全体の展望ができる心の目の高さを持って生きることができたら、人生の味わいはまた深 いものになるであろう。
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本書の中に【雨の日、晴れの日、すべてが人生の道具だて】という珠玉の一節があった。
『中国、北宋時代の詩人、蘇東坡(そとうば)が西湖を詠じた詩に「晴れて好し/雨も奇なり」という一句がある。
人生の旅路にも、雨の日あり風の日あり、晴れる日もあれば嵐の日もある。
美しき山あり、断崖を落下する日あり、花咲く日あり散る日あり、氷雪の下で春を待つ日あり、さまざまあって、それぞれによろしいというのである。
すべてが 人生の道具だてであり、人生の大切な彩りとなっているというのである。
道元禅師はこれを「生死は仏家(ぶっけ)の調度」とおっしゃった。
生老病死、愛憎、損得さまざまの起き伏しのすべてが人生の道具だてであり、そ れがそのまま、お浄土の道具だてでもあって、同じ道具を使って、浄土にするか地獄にするかは道具を使う本人次第だと示される。』
「人生とは何ですか」との問いに今東光氏(天台宗大僧正)はこう答えたという。
「人生というのは冥土(めいど)までの暇(ひま)つぶしだよ」
本書の中にも、余語翠巖(よご・すいがん)老師のこんな言葉があった。
「人生はな、何もなかれと願うけれど、何もなくてみい。退屈でかなわんぞ。いろいろあるからいいんじゃ」
何も起こらない、のどかで無事な毎日を我々凡夫は望む。
しかしなから、何の問題もなく、困難やトラブルもない人生をおくれる人など誰もいない。
だが時間が経つと、あんなやっかいなことがあったから今がある、と困難やトラブルに感謝できるようになる。
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