
【ハッ!という驚き】5490
齋藤孝氏の心に響く言葉より…
《驚きこそが、知の探求の始まりである》
何かを見聞きしたときに、瞬間的に“軽く驚く”ことの大切さ。
たとえば大学の授業で学生が発表をしているとき、私は「はっ!それは新しい観点かも!」「えっ! それを言った学生は君が初めてだ!」などと、軽く驚き続けています。
もちろん、学生の邪魔をしない程度にですが、できれば小さく「はっ!」「えっ!」などと声を出して相槌を挟むことで、淡々とした時間の中にも新鮮さが蘇(よみがえ)り、みんなが発表に集中することができるようになります。
ソクラテスは、驚きこそが、知の探求の始まりであると言いました。
プラトンの著書である『テアイテトス』の中にソクラテスが出てきますが、彼は話をしている若者に向かって、「そう、その驚きこそが知(哲学)の探求の始まりなんだよ」と声をかけます。
要するに、フィロソフィア、つまり知(ソフィア)を愛する(フィロス)ことの 始まりが、そこにあるというわけです。
したがって、「はっ! 何で今までこんなことに気がつかなかったんだろう」という驚きこそが重要であると、ソクラテスは説いているのです。
たとえば、「X軸にYZ軸か。へえ、すごい! これだとすべての点が座標軸で表せるじゃないか! こんなこと、よく思いついたな!」といった具合です。
先日、数学者の秋山仁先生にお会いした際、「あれをデカルト座標というのはなぜでしょう」と質問してみました。
このように、すでに知っていることでも、「考えてみると、不思議だなあ」と、あらためて学び直す姿勢を取るのです。
たとえば「この絵画は、どうしてこんなに多くの人を惹きつけるのだろう」と“不思議に思う”ことから学びが始まるのです。
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行徳哲男師が「驚愕(きょうがく)」という題でこんなことを書いている。
『「武蔵野」を書いた国木田独歩の短編小説に「牛肉と馬鈴薯」という作品がある。
その中で主人公が一番の願い事としていること、それは政治家になることでもない。
事業家になることでもなければ、哲学者になることでもない。
もしこの願いさえ叶えられるならば、他は何もいらないと言っているもの。
それは、どんなことにでも「ハッ!」と出来る人間になることである。』
子供の頃は誰もが、毎日の新しい出来事に驚き、知らないことに出会ってハッとした。
大人になるにつれ、「ハッ!」とすることが少なくなった。
現代は、情報も物もあふれ、この「ハッ!」とする心、すなわち驚愕(きょうがく)する心を失っている。
食事を共にするには、驚愕の無い人とは楽しくない。
何の感動も無い人との旅は虚しい。
それは、観劇や音楽や、美術や映画鑑賞でも同じ。
毎日の日常の中でも、ちょっとしたことに驚く人がパートナーや友達だったら、どんなにか楽しいことだろう。
いつまでも飽きることがない。
「ハッ!」とすること。
ドキドキすること。
感動すること。
ときめくこと。
子供のような「ときめき」を失った時、「ハッ!という驚き」もなくなる。
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齋藤孝氏の心に響く言葉より…
《驚きこそが、知の探求の始まりである》
何かを見聞きしたときに、瞬間的に“軽く驚く”ことの大切さ。
たとえば大学の授業で学生が発表をしているとき、私は「はっ!それは新しい観点かも!」「えっ! それを言った学生は君が初めてだ!」などと、軽く驚き続けています。
もちろん、学生の邪魔をしない程度にですが、できれば小さく「はっ!」「えっ!」などと声を出して相槌を挟むことで、淡々とした時間の中にも新鮮さが蘇(よみがえ)り、みんなが発表に集中することができるようになります。
ソクラテスは、驚きこそが、知の探求の始まりであると言いました。
プラトンの著書である『テアイテトス』の中にソクラテスが出てきますが、彼は話をしている若者に向かって、「そう、その驚きこそが知(哲学)の探求の始まりなんだよ」と声をかけます。
要するに、フィロソフィア、つまり知(ソフィア)を愛する(フィロス)ことの 始まりが、そこにあるというわけです。
したがって、「はっ! 何で今までこんなことに気がつかなかったんだろう」という驚きこそが重要であると、ソクラテスは説いているのです。
たとえば、「X軸にYZ軸か。へえ、すごい! これだとすべての点が座標軸で表せるじゃないか! こんなこと、よく思いついたな!」といった具合です。
先日、数学者の秋山仁先生にお会いした際、「あれをデカルト座標というのはなぜでしょう」と質問してみました。
このように、すでに知っていることでも、「考えてみると、不思議だなあ」と、あらためて学び直す姿勢を取るのです。
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行徳哲男師が「驚愕(きょうがく)」という題でこんなことを書いている。
『「武蔵野」を書いた国木田独歩の短編小説に「牛肉と馬鈴薯」という作品がある。
その中で主人公が一番の願い事としていること、それは政治家になることでもない。
事業家になることでもなければ、哲学者になることでもない。
もしこの願いさえ叶えられるならば、他は何もいらないと言っているもの。
それは、どんなことにでも「ハッ!」と出来る人間になることである。』
子供の頃は誰もが、毎日の新しい出来事に驚き、知らないことに出会ってハッとした。
大人になるにつれ、「ハッ!」とすることが少なくなった。
現代は、情報も物もあふれ、この「ハッ!」とする心、すなわち驚愕(きょうがく)する心を失っている。
食事を共にするには、驚愕の無い人とは楽しくない。
何の感動も無い人との旅は虚しい。
それは、観劇や音楽や、美術や映画鑑賞でも同じ。
毎日の日常の中でも、ちょっとしたことに驚く人がパートナーや友達だったら、どんなにか楽しいことだろう。
いつまでも飽きることがない。
「ハッ!」とすること。
ドキドキすること。
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