
【全員に好かれることはない】4994
岡本一志(かずし)氏の心に響く言葉より…
お釈迦さまは、 「皆にてほめる人はなく、皆にてそしる人はなし」と言われました。
人間の好き嫌いは、その人の都合によって決まりますから、どんなに立派な人でも、すべての人から好かれることはなく、どんなに嫌われている人でも、すべての人から嫌われることはないという意味です。
人それぞれ、立場や都合は違います。
ですから、たくさんの人が集まれば、全員の都合や利害が一致することは絶対にありません。
お釈迦さまが生きておられたとき、 当時の人たちの三分の一は、お釈迦さまの存在を知りませんでした。
三分の一は、「変なやつが現われた」と非難しました。
そして残りの三分の一が、尊い方だと称賛したといわれています。
お釈迦さまでさえ、そうなのですから、私たちがみんなから嫌われずに、好かれるなんて、とてもできないこと なのです。
誰にとってもいい人でいることは、不可能です。
逆に、あなたがどのような状況にあっても、「皆にてそしる人はなし」とお釈迦さまは言われています。
みんなから嫌われるということも、決してないのです。 周りの目に振り回されるよりも、あなた自身の本当の気持ちを大事にして、あなた自身の人生を生きたほうがよいと思いませんか。
『心がほっとする ほとけさまの50の話』王様文庫
https://amzn.to/3LUJf4h
本書の中にこんな一節がありました。
『人の見方というのは、それぞれの立場でまったく違います。
仏教に、「一水四見(いっすいしけん)」という言葉があります。
同じ水を見ても、餓鬼は火炎と見る、天人は宝石と見る、人間は水と見て、魚はすみかと見る。
これは、それぞれの立場や状況が違うと、感じ方や、見方がまったく変わってくるということを表わしたものです。
コップに水が半分入っているのを見て、「半分もある」と思う人がいれば、「半分しかない」と思う人もいます。
一般の人にとって、警察官は、自分たちを守ってくれる存在でしょうが、犯罪者にとっては、やっかいな存在でしょう。
同じ水や人を見ても、心のあり方や立場によって、全然違って見えるものです。
見方や感じ方は、人それぞれ違いますから、あなたがどんなに正しいと思ってやっていることでも、いろいろな見方をする人がいます。』
多くの人は、全員から好かれようとします。
だから、その中のほんの数人に嫌われでもしたら、がっかりして、嫌な気持ちになりテンションも下がります。
しかし、全員に好かれることなんて、あるはずがありません。
また、反対に全員に嫌われることもないのです。
誰かに非難されたり嫌われたとしても、一喜一憂せず、「まあ、そんなこともある」とあまり気にしない訓練をする必要があります。
もっというなら、「気にならない」ことが最上の方法です。
お釈迦さまでさえ、全員に好かれたわけではなかった…
人の心無い言葉に右往左往せず、自分の人生をしっかりと生きていきたいと思います。
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お釈迦さまは、 「皆にてほめる人はなく、皆にてそしる人はなし」と言われました。
人間の好き嫌いは、その人の都合によって決まりますから、どんなに立派な人でも、すべての人から好かれることはなく、どんなに嫌われている人でも、すべての人から嫌われることはないという意味です。
人それぞれ、立場や都合は違います。
ですから、たくさんの人が集まれば、全員の都合や利害が一致することは絶対にありません。
お釈迦さまが生きておられたとき、 当時の人たちの三分の一は、お釈迦さまの存在を知りませんでした。
三分の一は、「変なやつが現われた」と非難しました。
そして残りの三分の一が、尊い方だと称賛したといわれています。
お釈迦さまでさえ、そうなのですから、私たちがみんなから嫌われずに、好かれるなんて、とてもできないこと なのです。
誰にとってもいい人でいることは、不可能です。
逆に、あなたがどのような状況にあっても、「皆にてそしる人はなし」とお釈迦さまは言われています。
みんなから嫌われるということも、決してないのです。 周りの目に振り回されるよりも、あなた自身の本当の気持ちを大事にして、あなた自身の人生を生きたほうがよいと思いませんか。
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本書の中にこんな一節がありました。
『人の見方というのは、それぞれの立場でまったく違います。
仏教に、「一水四見(いっすいしけん)」という言葉があります。
同じ水を見ても、餓鬼は火炎と見る、天人は宝石と見る、人間は水と見て、魚はすみかと見る。
これは、それぞれの立場や状況が違うと、感じ方や、見方がまったく変わってくるということを表わしたものです。
コップに水が半分入っているのを見て、「半分もある」と思う人がいれば、「半分しかない」と思う人もいます。
一般の人にとって、警察官は、自分たちを守ってくれる存在でしょうが、犯罪者にとっては、やっかいな存在でしょう。
同じ水や人を見ても、心のあり方や立場によって、全然違って見えるものです。
見方や感じ方は、人それぞれ違いますから、あなたがどんなに正しいと思ってやっていることでも、いろいろな見方をする人がいます。』
多くの人は、全員から好かれようとします。
だから、その中のほんの数人に嫌われでもしたら、がっかりして、嫌な気持ちになりテンションも下がります。
しかし、全員に好かれることなんて、あるはずがありません。
また、反対に全員に嫌われることもないのです。
誰かに非難されたり嫌われたとしても、一喜一憂せず、「まあ、そんなこともある」とあまり気にしない訓練をする必要があります。
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