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【善き人と交わろう】4968
北川八郎氏の心に響く言葉より…
『釈尊はいわれる
毒を塗られた矢は、箭筒(やづつ)の中にある、毒を塗られていない矢をも汚す。
悪に汚れることを恐れて、悪人を友とするなかれ。
どのような友をつくろうと、やがて人はその友のような人になる。
だから、悪い友と交わるな。
卑しい人と交わるな。
善い人と交われ。
尊い人と交われ。』
人は失意と不遇の中にある時、どんな人と交わるかで、その人の人格や運が見えてくる。
またその人が順調な時、その人の周りの人でその人の運の先が見えてくる。
友はその人の心のレベルとめざすものに呼応して変わってくる。
人は同じ目つきの仲間と同じ服装の友と、輪をつくる。
良き友は、生きる上で最も大切なことの一つである。
次に、心を澄ませ、尊敬する人をつくるといい。
三人、尊敬する人を持つと、いつしか、その心と行いが自分の身に沁み入り、自分も尊敬される側に立っているだろう。
だから周りの人々に、自分に対する尊敬を求めなくていい。
ひたすら、快におぼれず、怒りなく、友のよろこびを祝ってあげられる人となれ。
両親を大事にする人となれ。
人にやさしくあれ。
老人にやさしくあれ。
弱い人を助けよ。
怒りのまま人生を送るなかれ......。
良き友を持て、良き友は宝である。
不正と利を追う狩人になるなかれ。
狩人はやがて自分が狩られる人になってしまうからだ。
これは法則なのだ。
アリストテレスはいう。「友人は第二の自分である」。
今つき合っている友を、少し離れて眺めてみるがいい。
その姿が、あなたなのです。
善き人からは、善きエネルギーがもらえその人は栄える。
悪しき友からは悪しきエネルギーをもらってしまう。
それで人を害し、その矢が自分に返ってきて自分の魂を傷つけ、やがて、自分のしたことに自分で苦しむようになってゆく。
心して、善き友を選べ......。
心して選べ。
善き友がいない時は独りで、本を読み、善き年上の人と語り、善意の輪の中に入ってゆくがいい。
きっとオーラが澄んでくる。
今の悪しき運も必ず向上してゆくだろう。
善い人と交われ。
思わぬ福が生じてあなたの人生が楽しくなるだろう。
尊い人と交われ。
あなたの人格と才能が輝き始め不安がなくなるだろう。
『あなたを苦から救う お釈迦さまのことば』高木書房
https://amzn.to/3OQz2IC
お釈迦さまの十大弟子の一人である、アーナンダがあるとき、お釈迦さまにこう尋ねたそうです。
「ともに仏の道を歩む善き友がいるということは、修行の半ばを達成したと思うのですが、如何でしょうか」
するとお釈迦さまは、こう答えたそうです。
「善き友、善き仲間がいるということは、修行の半ばではなく、修行のすべてなのだよ」
つまり、「誰と一緒に行くか」ということこそが、人生で一番大事なこと。
人生の旅においては、「どこへ行くか」よりも、「そこで何をするか」よりも大事だというのです。
逆にいうなら、一緒に行く人が善き仲間なら、どこへ行っても、何をしても(何もしなくても)、楽しいということです。
また、お釈迦さまは「尊敬」についてこう語っています。
『頭髪が白くなったからとて、尊敬できる長老ではない。
ただのむなしい老いぼれである。
真理あり、他者の害にならず、自ら清め、慈しみあって、そうしてはじめて、彼は心の垢を取り除いた賢者となり、年長者として尊敬される。』
年を重ねても、勉強してこなかった人は、ただのむなしい老人に過ぎない。
いくつになっても、自らを高め、魂を磨き続ける人こそ、真に尊敬に値(あたい)する人です。
尊敬する師を持ち…
常に、善き人と交わうことができる人でありたいと思います。
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北川八郎氏の心に響く言葉より…
『釈尊はいわれる
毒を塗られた矢は、箭筒(やづつ)の中にある、毒を塗られていない矢をも汚す。
悪に汚れることを恐れて、悪人を友とするなかれ。
どのような友をつくろうと、やがて人はその友のような人になる。
だから、悪い友と交わるな。
卑しい人と交わるな。
善い人と交われ。
尊い人と交われ。』
人は失意と不遇の中にある時、どんな人と交わるかで、その人の人格や運が見えてくる。
またその人が順調な時、その人の周りの人でその人の運の先が見えてくる。
友はその人の心のレベルとめざすものに呼応して変わってくる。
人は同じ目つきの仲間と同じ服装の友と、輪をつくる。
良き友は、生きる上で最も大切なことの一つである。
次に、心を澄ませ、尊敬する人をつくるといい。
三人、尊敬する人を持つと、いつしか、その心と行いが自分の身に沁み入り、自分も尊敬される側に立っているだろう。
だから周りの人々に、自分に対する尊敬を求めなくていい。
ひたすら、快におぼれず、怒りなく、友のよろこびを祝ってあげられる人となれ。
両親を大事にする人となれ。
人にやさしくあれ。
老人にやさしくあれ。
弱い人を助けよ。
怒りのまま人生を送るなかれ......。
良き友を持て、良き友は宝である。
不正と利を追う狩人になるなかれ。
狩人はやがて自分が狩られる人になってしまうからだ。
これは法則なのだ。
アリストテレスはいう。「友人は第二の自分である」。
今つき合っている友を、少し離れて眺めてみるがいい。
その姿が、あなたなのです。
善き人からは、善きエネルギーがもらえその人は栄える。
悪しき友からは悪しきエネルギーをもらってしまう。
それで人を害し、その矢が自分に返ってきて自分の魂を傷つけ、やがて、自分のしたことに自分で苦しむようになってゆく。
心して、善き友を選べ......。
心して選べ。
善き友がいない時は独りで、本を読み、善き年上の人と語り、善意の輪の中に入ってゆくがいい。
きっとオーラが澄んでくる。
今の悪しき運も必ず向上してゆくだろう。
善い人と交われ。
思わぬ福が生じてあなたの人生が楽しくなるだろう。
尊い人と交われ。
あなたの人格と才能が輝き始め不安がなくなるだろう。
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お釈迦さまの十大弟子の一人である、アーナンダがあるとき、お釈迦さまにこう尋ねたそうです。
「ともに仏の道を歩む善き友がいるということは、修行の半ばを達成したと思うのですが、如何でしょうか」
するとお釈迦さまは、こう答えたそうです。
「善き友、善き仲間がいるということは、修行の半ばではなく、修行のすべてなのだよ」
つまり、「誰と一緒に行くか」ということこそが、人生で一番大事なこと。
人生の旅においては、「どこへ行くか」よりも、「そこで何をするか」よりも大事だというのです。
逆にいうなら、一緒に行く人が善き仲間なら、どこへ行っても、何をしても(何もしなくても)、楽しいということです。
また、お釈迦さまは「尊敬」についてこう語っています。
『頭髪が白くなったからとて、尊敬できる長老ではない。
ただのむなしい老いぼれである。
真理あり、他者の害にならず、自ら清め、慈しみあって、そうしてはじめて、彼は心の垢を取り除いた賢者となり、年長者として尊敬される。』
年を重ねても、勉強してこなかった人は、ただのむなしい老人に過ぎない。
いくつになっても、自らを高め、魂を磨き続ける人こそ、真に尊敬に値(あたい)する人です。
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