
【最善観とは】5443
森信三氏の心に響く言葉より…
「最善観」という言葉は訳語でありまして、西洋の言葉では、オプティミズムという言葉がこれに相当しましょう。
通例は、これを「楽天観」とか「楽天主義」と訳するのが普通ですが、 哲学のほうでは、これを「最善観」というのが普通になっています。
元来この言葉は、ライプニッツという哲学者のとなえた説であって、つまり神はこの世界を最善につくり給うたというのです。
すなわち神はその考え得るあらゆる世界のうちで、最上のプランによって作られたのがこの世界だというわけです。
したがってこの世における色々のよからぬこと、また思わしからざることも、畢竟(ひっきょう)するに神の全知の眼から見れば、それぞれそこに意味があると言えるわけです。
そしてライプニッツは、かような見解を説明するために、哲学者としての立場から、色々と説いているわけですが、今私はこの真理を、自分自身の上に受け取って、もしこの世が最善にできているとしたら、それを構成している一員であるわれわれ自身の運命もまた、その人にとっては、最善という意味を有しなければならぬと信ずるわけです。
わが身の上に起こる事柄は、そのすべてが、この私にとって絶対必要であると共に、またこの私にとっては、最善なはずだというわけです。
それ故われわれは、それに対して一切これを拒まず、一切これを却けず、 素直にその一切を受け入れて、そこに隠されている神の意志を読み取らねばならぬわけです。
したがってそれはまた、自己に与えられた全運命を感謝して受け取って、 天を恨まず人を咎めず、否、恨んだり咎めないばかりか、楽天知命、すなわち天命を信ずるが故に、天命を楽しむという境涯です。
『運命を創る 「修身教授録」抄・10講』致知出版社
https://amzn.to/3KM2HT0
舩井幸雄氏は『未来を変えるクセづけ―舩井幸雄の金言集/海竜社』でこう語っている。
『人生の悲喜こもごもさまざまな出来事は、実はすべて必要で必然です。
ですから目先の出来事の一つひとつについて、安易に正誤や善悪、幸不幸などの二元的な判断を下さないほうがいいようです。
楽しいこと、喜ばしいことはともかくとして、悲しいことやつらいことを必要、必然とはなかなか思いにくいものです。
しかし、生起した時点ではその意味がよくわからなくても、まず素直に受け入れ、じっくりと考えて、その後の事態の進展を注意深く観察すれば、それがいかに必要だったか、ベストだったかが必ずわかるはずです。
今よりもよくなる過程で起こった出来事と、すべてを認識したうえで、意味と理由を考えることに挑戦していただきたいと思います。』
嫌な事や辛かったことを乗り越えた後に、「あれがあったおかげで今の自分がある」、と思うことは多い。
この世に生まれるときに、自分の人生のシナリオを自分で書いてきた、という考え方がある。
良いことももちろんだが、嫌なことや辛いことも、自分でそうなるようにシナリオを書いてきた。
つまり、そのことによって、自分を成長させるための出来事だったということ。
だからこそ、すべての出来事は、「必要」であり「必然」であり、「最善」なのだ。
「最善観」という言葉を胸に刻みたい。
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「最善観」という言葉は訳語でありまして、西洋の言葉では、オプティミズムという言葉がこれに相当しましょう。
通例は、これを「楽天観」とか「楽天主義」と訳するのが普通ですが、 哲学のほうでは、これを「最善観」というのが普通になっています。
元来この言葉は、ライプニッツという哲学者のとなえた説であって、つまり神はこの世界を最善につくり給うたというのです。
すなわち神はその考え得るあらゆる世界のうちで、最上のプランによって作られたのがこの世界だというわけです。
したがってこの世における色々のよからぬこと、また思わしからざることも、畢竟(ひっきょう)するに神の全知の眼から見れば、それぞれそこに意味があると言えるわけです。
そしてライプニッツは、かような見解を説明するために、哲学者としての立場から、色々と説いているわけですが、今私はこの真理を、自分自身の上に受け取って、もしこの世が最善にできているとしたら、それを構成している一員であるわれわれ自身の運命もまた、その人にとっては、最善という意味を有しなければならぬと信ずるわけです。
わが身の上に起こる事柄は、そのすべてが、この私にとって絶対必要であると共に、またこの私にとっては、最善なはずだというわけです。
それ故われわれは、それに対して一切これを拒まず、一切これを却けず、 素直にその一切を受け入れて、そこに隠されている神の意志を読み取らねばならぬわけです。
したがってそれはまた、自己に与えられた全運命を感謝して受け取って、 天を恨まず人を咎めず、否、恨んだり咎めないばかりか、楽天知命、すなわち天命を信ずるが故に、天命を楽しむという境涯です。
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舩井幸雄氏は『未来を変えるクセづけ―舩井幸雄の金言集/海竜社』でこう語っている。
『人生の悲喜こもごもさまざまな出来事は、実はすべて必要で必然です。
ですから目先の出来事の一つひとつについて、安易に正誤や善悪、幸不幸などの二元的な判断を下さないほうがいいようです。
楽しいこと、喜ばしいことはともかくとして、悲しいことやつらいことを必要、必然とはなかなか思いにくいものです。
しかし、生起した時点ではその意味がよくわからなくても、まず素直に受け入れ、じっくりと考えて、その後の事態の進展を注意深く観察すれば、それがいかに必要だったか、ベストだったかが必ずわかるはずです。
今よりもよくなる過程で起こった出来事と、すべてを認識したうえで、意味と理由を考えることに挑戦していただきたいと思います。』
嫌な事や辛かったことを乗り越えた後に、「あれがあったおかげで今の自分がある」、と思うことは多い。
この世に生まれるときに、自分の人生のシナリオを自分で書いてきた、という考え方がある。
良いことももちろんだが、嫌なことや辛いことも、自分でそうなるようにシナリオを書いてきた。
つまり、そのことによって、自分を成長させるための出来事だったということ。
だからこそ、すべての出来事は、「必要」であり「必然」であり、「最善」なのだ。
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