【一つひとつに心をこめること】5442
カトリック修道女、渡辺和子氏の心に響く言葉より…
私は草野天平詩集に書かれていた 言葉を思い出していた。
「いくら立派な詩を書こうとしても、詩的生活が安易で一般と大差なければ、形も精神も人を打たず、特別な響きなど到底生まれてくるものではない。
詩の本質は憧れに向かって実際歩くことで、難しいのはこの身である。
向う世界と歩き方の純粋さにある」
「神だ」「愛だ」といくら立派に説こうとしても、説く人の日常生活が安易に流れていて、そこにきびしさがないとすれば、その言葉も精神も人を打たず、人の心を動かすなど到底望めたことではない。
難しいのは、いかに説くか以前の「この身」であって、いかに毎日を生きるかにある。
「小学生の道徳」のようなことでいい、というか、むしろ、それさえできていない自分が恥ずかしい。
小さなことでいいから、一つずつ自分に課してゆくものをつくり、守ってゆこう。
それが「自分らしさ」というものをつくってゆく近道ではないだろうか。
わずらわしい人間関係の渦の中で自分らしく生きてゆくには勇気が要る。
自分はこうありたいという理想への現実的な忠実さが求められる。
それは、悪意を持っているとしか考えられない相手に対して、なおかつ善意を失わないことかも知れないし、無礼な態度をとる人に礼儀正しさを崩さない毅然とした人格の在り方をいうのかも知れない。
「心におさめる」ことを知っていたマリアのように、神との対話を優先する生き方であり、神のまなざしに映る自分の姿を絶えず正すことによって、他人からの評価にそれほど一喜一憂しない自分をつくり上げてゆくことでもある。
それは決して、ひとりよがりの生活をすることではなく、一つひとつの思い、言葉、行動に自分なりの意味を与えることによって、自分のものとしてゆく責任ある生き方への努力である。
淋しさを味わわねばならない時が必ずあるだろう。
しかし淋しさなしに個の確立はあり得ず、孤独をかみしめたことのない者に、他人への真のいたわりとやさしさは生まれない。
一つひとつの物事に、一人ひとりの人に心をこめて接してゆこう。
一日一日に自分の人格をきざみつけてゆこう。
そこに自分にしかつけられない「生の軌跡」がつけられてゆく。
自分らしく生きる強さは、他人にも「その人らしく生きる」ことを許す寛容を生み、相手をやさしく包んでゆく。
「やさしくね、やさしくね
やさしいことは強いこと」
宮城まり子さんの言葉が、そんな生き方を裏づけ、励ましてくれるようである。
『あなただけの人生をどう生きるか』ちくまプリマ―新書
https://amzn.to/3YJp6X6
「修身斉家治国平天下 (シュウシンセイカチコクヘイテンカ)」という言葉が「大学」にある。
天下をおさめるには、まず自分の身を修め、次に家庭をととのえ、そして天下を平らかにする、ということ。
どんな大きなことを言っても、まず、自分の身を修めることができなければ、それは、ただの絵空事にすぎない。
自分の身を修めるということは、子供から大人になる修養をするということ。
すなわち、「自律」。
自律している人は、「人のせいにしない」、「与えられた環境に文句を言わずそこで最善を尽くす」、「自分を律することができる」、「人に与えることができる」等々。
「大切なのは、どれだけたくさんのことをしたかではなく、どれだけ心をこめたかです。」( マザー・テレサ )
一つひとつの「言葉」や、「行動」に、思いをこめること…
自らの身を修め、律することができる人でありたい。
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カトリック修道女、渡辺和子氏の心に響く言葉より…
私は草野天平詩集に書かれていた 言葉を思い出していた。
「いくら立派な詩を書こうとしても、詩的生活が安易で一般と大差なければ、形も精神も人を打たず、特別な響きなど到底生まれてくるものではない。
詩の本質は憧れに向かって実際歩くことで、難しいのはこの身である。
向う世界と歩き方の純粋さにある」
「神だ」「愛だ」といくら立派に説こうとしても、説く人の日常生活が安易に流れていて、そこにきびしさがないとすれば、その言葉も精神も人を打たず、人の心を動かすなど到底望めたことではない。
難しいのは、いかに説くか以前の「この身」であって、いかに毎日を生きるかにある。
「小学生の道徳」のようなことでいい、というか、むしろ、それさえできていない自分が恥ずかしい。
小さなことでいいから、一つずつ自分に課してゆくものをつくり、守ってゆこう。
それが「自分らしさ」というものをつくってゆく近道ではないだろうか。
わずらわしい人間関係の渦の中で自分らしく生きてゆくには勇気が要る。
自分はこうありたいという理想への現実的な忠実さが求められる。
それは、悪意を持っているとしか考えられない相手に対して、なおかつ善意を失わないことかも知れないし、無礼な態度をとる人に礼儀正しさを崩さない毅然とした人格の在り方をいうのかも知れない。
「心におさめる」ことを知っていたマリアのように、神との対話を優先する生き方であり、神のまなざしに映る自分の姿を絶えず正すことによって、他人からの評価にそれほど一喜一憂しない自分をつくり上げてゆくことでもある。
それは決して、ひとりよがりの生活をすることではなく、一つひとつの思い、言葉、行動に自分なりの意味を与えることによって、自分のものとしてゆく責任ある生き方への努力である。
淋しさを味わわねばならない時が必ずあるだろう。
しかし淋しさなしに個の確立はあり得ず、孤独をかみしめたことのない者に、他人への真のいたわりとやさしさは生まれない。
一つひとつの物事に、一人ひとりの人に心をこめて接してゆこう。
一日一日に自分の人格をきざみつけてゆこう。
そこに自分にしかつけられない「生の軌跡」がつけられてゆく。
自分らしく生きる強さは、他人にも「その人らしく生きる」ことを許す寛容を生み、相手をやさしく包んでゆく。
「やさしくね、やさしくね
やさしいことは強いこと」
宮城まり子さんの言葉が、そんな生き方を裏づけ、励ましてくれるようである。
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「修身斉家治国平天下 (シュウシンセイカチコクヘイテンカ)」という言葉が「大学」にある。
天下をおさめるには、まず自分の身を修め、次に家庭をととのえ、そして天下を平らかにする、ということ。
どんな大きなことを言っても、まず、自分の身を修めることができなければ、それは、ただの絵空事にすぎない。
自分の身を修めるということは、子供から大人になる修養をするということ。
すなわち、「自律」。
自律している人は、「人のせいにしない」、「与えられた環境に文句を言わずそこで最善を尽くす」、「自分を律することができる」、「人に与えることができる」等々。
「大切なのは、どれだけたくさんのことをしたかではなく、どれだけ心をこめたかです。」( マザー・テレサ )
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