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スランプのひまなし 人の心に灯をともす 546より

2011年02月21日 | うたしやきなお話
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【スランプのひまなし】№546


城山三郎氏の心に響く言葉より…


慈善事業から企業に至るまで、近代日本の枠組みは、ほとんど渋沢栄一の力を借りている、といっていい。

その死に当って、市井の一運転手が、

「あの人には、なんとなく世話になった気がする」

といい、立場が逆の左翼系の歌人まで追悼歌をうたった、という人である。

91年のその生涯には、何度か、危機というか、逆境があった。

そこを克服したのは、何よりも彼の人一倍旺盛な知的好奇心のせいであった。


倒幕運動が露見して、命からがら京都の一橋家に逃げ込んだとき、彼は雇われてもいないのに、一橋家とは何か、毎日どんな生活が行われているか、台所はどうなっているか等々、知り得る限りのことを勉強した。

彼が一橋慶喜の目にとまるようになったのは、逃げ込んできた一百姓にすぎないのにもかかわらず、実によく一橋家のことを知り、どうあるべきかについて意見を持っていたからである。


二度目の挫折は、使節団の随員として、パリへ行かされることになったことだ。

攘夷論者でもあった渋沢としては、心外な人事であった。

だいいち、パリがどこに在るのかも知らなかった。

その渋沢がパリに着くと、しかし、開国派の侍以上に、パリのことを猛勉強する。

朝起きてから、夜寝るまで、目につくもの、すべてを記録してかかる。


彼が日本に戻ってきたとき、すでに幕府は倒れ、彼は失業者の身であったが、彼がパリで猛勉強したというそのことのために、大蔵省に招かれて、中堅幹部になる。

だが、その大蔵省は薩長主導型で、ろくな仕事は与えられない。

すると、渋沢は今度は「改正掛」という勉強会をつくって、仕事の終わった後、外国の制度などについて、若手たちといっしょの勉強を始める…。


そうした渋沢の人生をみていると、逆境に置かれても、逆境を意識しているひまがない、という感じである。

もちろん、スランプに陥る時間もない。


どんな仕事に就かされても、どんな土地に行っても、必ずその行く先には勉強することがあるはず。

日頃から、知的好奇心のために、せっせと燃料を補給するくせをつけておくことである。

『打たれ強く生きる』日本経済新聞社



誰にも、逆境もあれば、スランプもある。

同様に、深い谷もあれば、高い山もある。


古来より、そのスランプという、谷の時期は、「充電のとき」と言われている。

来るべきチャンスの時にそなえ、ジタバタ動かず、勉強する時だ。


左遷、倒産、解雇、降格、という逆境のときには気持ちが萎(な)え、失意の底に落ちる。

人は不運を嘆き悲しんでいるときは、行動をおこすことができない。


しかし、どん底という、「底」に着いたら、次のステップに向け、充電が必要だ。

どんな逆境にさらされようと、知的好奇心を失わず、「スランプのひまなし」の気持で生きてみたい。



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