
【人生は「あきらめる」ほうがうまくいく!】4872
午堂登紀雄(ごどうときお)氏の心に響く言葉より…
あきらめるとは、自分に向いていない道を捨てて、より向いている道を模索することのような気がします。
私は「経営者」をあきらめ、「執筆業」をあきらめなかったわけですが、それは自分が本当に好きなことを選ぶことでした。
そして、前の試合はたしかに途中で終了したかもしれないけれど、自分が勝てそうな新たな試合が始まったということに気がつきました。
自分に向かないと感じたこと、充実感を覚えないこと、儲からないことを何度も何度もあきらめて、ようやく今の最高に幸せな状態にたどり着くことができたのだと思います。
子どもの頃に思い描いた夢をずっと持ち続け、それを実現した人ももちろんすばらしい。
しかし、あきらめたからこそ手にできる夢もあります。
プロ野球選手になることを選べば、プロサッカー選手になることも、フィギュアスケートでオリンピックに出ることもあきらめなければなりません。
掛け持ちでは労力が分散し、 一流にはなれないでしょう。
この人と結婚することを選べば、あの人との結婚はあきらめなければなりません。
日本では重婚は法律で禁止されているし、掛け持ちするとむしろ大変なことになりそうです。
二兎を追って二兎とも得られれば、もちろんそれが理想。
私もさまざまな場面で“二段 構え”を意識していますが、二兎を追う者は一兎をも得ずということは、現実にはやはり多いような気がします。
人生は選択の連続で、その積み重ねで今がある。
もしあそこで違う選択をしていたら?
違う大学に進んでいたら?
違う会社に就職していたら?
あの会社に転職していたら?
別の人と結婚していたら?
そんな大きな決断だけでなく、どの本を読むか、誰に会うか、何を勉強するか、何にお金を投じるか、あの人からの誘いを受ける(断る)かといった小さな決断によっても、「別の道を選んでいたら、違う人生になっていたかもしれない」と思うことはたくさんあります。
私自身、違う高校に行っていたら?
別の大学を選んでいたら?
あの会社に就職して いたら?
もしかすると、今のような自由な生き方をしていなかったかもしれません。
違う人生を生きることも試すこともできませんが、でも選んだ道の軌道修正はできるし、 今から別の道を選ぶことはできます。
もし今が不満であれば、これからの選択を適切にすればいいだけのこと。
そのためには、今やっている何かをあきらめなければなりません。
あきらめるとは「幸せに向かうチョイス」であり、「より大事なものを選ぶために、そうではないものを捨てる」ことなのでしょう。
それには「挫折」や「敗北」によるあきらめ方ではなく、「未来を明るくする、自分の適性や才能を明らかにする」という前向きなあきらめ方が必要です。
『人生は「あきらめる」ほうがうまくいく!』河出書房新社
https://amzn.to/3H4xvL1
向田邦子さんの名エッセイ、「無名仮名人名簿」(文藝春秋)の中に、次のような文章があった。
「父は私たち子供がチョコレートを選ぶ際、絶対に取替えを許さなかった。『お前はいま、掴んだじゃないか。文句を言うなら自分の手に言え』」
長い人生の中で我々は、たくさんの選択をしなければならない。
進学、就職、転職、結婚、離婚…そして、レストランのメニュー選びから、サンドイッチやチョコレートの好みまで。
しかし…大事なことは、どんな選択であっても、選んでいるのはすべて自分だ、と思えるかどうか。
「選んだのは自分ではない」と思った途端、文句と愚痴と、不平不満の毎日になる。
「すべては必要、必然、最善」(舩井幸雄)
すべての選択はベストのタイミングで行われ、それが必要であり、必然。
「あきらめたこと」をクヨクヨせず…
「自分の決めた選択は最善」と心から思える人でありたい。
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午堂登紀雄(ごどうときお)氏の心に響く言葉より…
あきらめるとは、自分に向いていない道を捨てて、より向いている道を模索することのような気がします。
私は「経営者」をあきらめ、「執筆業」をあきらめなかったわけですが、それは自分が本当に好きなことを選ぶことでした。
そして、前の試合はたしかに途中で終了したかもしれないけれど、自分が勝てそうな新たな試合が始まったということに気がつきました。
自分に向かないと感じたこと、充実感を覚えないこと、儲からないことを何度も何度もあきらめて、ようやく今の最高に幸せな状態にたどり着くことができたのだと思います。
子どもの頃に思い描いた夢をずっと持ち続け、それを実現した人ももちろんすばらしい。
しかし、あきらめたからこそ手にできる夢もあります。
プロ野球選手になることを選べば、プロサッカー選手になることも、フィギュアスケートでオリンピックに出ることもあきらめなければなりません。
掛け持ちでは労力が分散し、 一流にはなれないでしょう。
この人と結婚することを選べば、あの人との結婚はあきらめなければなりません。
日本では重婚は法律で禁止されているし、掛け持ちするとむしろ大変なことになりそうです。
二兎を追って二兎とも得られれば、もちろんそれが理想。
私もさまざまな場面で“二段 構え”を意識していますが、二兎を追う者は一兎をも得ずということは、現実にはやはり多いような気がします。
人生は選択の連続で、その積み重ねで今がある。
もしあそこで違う選択をしていたら?
違う大学に進んでいたら?
違う会社に就職していたら?
あの会社に転職していたら?
別の人と結婚していたら?
そんな大きな決断だけでなく、どの本を読むか、誰に会うか、何を勉強するか、何にお金を投じるか、あの人からの誘いを受ける(断る)かといった小さな決断によっても、「別の道を選んでいたら、違う人生になっていたかもしれない」と思うことはたくさんあります。
私自身、違う高校に行っていたら?
別の大学を選んでいたら?
あの会社に就職して いたら?
もしかすると、今のような自由な生き方をしていなかったかもしれません。
違う人生を生きることも試すこともできませんが、でも選んだ道の軌道修正はできるし、 今から別の道を選ぶことはできます。
もし今が不満であれば、これからの選択を適切にすればいいだけのこと。
そのためには、今やっている何かをあきらめなければなりません。
あきらめるとは「幸せに向かうチョイス」であり、「より大事なものを選ぶために、そうではないものを捨てる」ことなのでしょう。
それには「挫折」や「敗北」によるあきらめ方ではなく、「未来を明るくする、自分の適性や才能を明らかにする」という前向きなあきらめ方が必要です。
『人生は「あきらめる」ほうがうまくいく!』河出書房新社
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向田邦子さんの名エッセイ、「無名仮名人名簿」(文藝春秋)の中に、次のような文章があった。
「父は私たち子供がチョコレートを選ぶ際、絶対に取替えを許さなかった。『お前はいま、掴んだじゃないか。文句を言うなら自分の手に言え』」
長い人生の中で我々は、たくさんの選択をしなければならない。
進学、就職、転職、結婚、離婚…そして、レストランのメニュー選びから、サンドイッチやチョコレートの好みまで。
しかし…大事なことは、どんな選択であっても、選んでいるのはすべて自分だ、と思えるかどうか。
「選んだのは自分ではない」と思った途端、文句と愚痴と、不平不満の毎日になる。
「すべては必要、必然、最善」(舩井幸雄)
すべての選択はベストのタイミングで行われ、それが必要であり、必然。
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