
【断ること】5403
ジェフ・ケラー氏の心に響く言葉より…
おそらく、あなたは処理しきれないほど多くの仕事を抱えているだろう。
仕事だけでなくプライベートの用事もたくさんあるはずだ。
そんなとき、友人から「イベントの手伝いをしてほしい」という電話がかかってきた。 あなたはこのイベントの手伝いが週末を含めて膨大な時間を要することを知っている。
それを考えると暗い気分になる。
あなたは心の中でノーと言っているが、どういうわけか、あなたの口から出てきた返事はイエスである。
いったいなぜ、ノーがイエスに変わったのか?
おそらく、あなたは相手をがっかりさせたくなかったのだろう。
あるいは、好かれたかったのかもしれない。
どんな理由にせ よ、あなたはしたくないことをすることに同意した。
もしかすると、あなたは仕事やプライベートでそういう経験が何度もあるかもしれない。
あなたの反論はよくわかる。
上司の要求にノーと言えば、「忠誠心がない」と思われて昇進の機会を逸するかもしれない。
ほとんど会っていない従兄弟の結婚式に出席しなければ、親戚から「付き合いが悪い」と陰口を言われるだろう。
たしかに、ノーと言うことによる弊害も考慮しなければならない。
だが、いやなのにイエスと言うことによる弊害も考慮する必要がある。
自分の人生を自分でコントロールできていないことに不満を感じるだろう。
とはいえ、私は利己主義を勧めているのではない。
仕事やプライベートで自分を犠牲にする必要もある。
たとえどんなにしたくないことでも、社会人として果たさなければならない責務があるからだ。
私がここで主張しているのは、自分の価値観と優先順位を明確にする必要があるということだ。
自分の価値観と優先順位からあまりにもかけ離れた活動は、あなたの時間とエネルギーを空費し、あなたの成功の障害になりかねない。
では、イエスではなくノーと言うためには、どうすればいいか?
あらかじめ基準を設定しておくとたいへん役に立つ。
そうすることによって、誰かに何かを頼まれたときに自分の判断材料になるからだ。
もっといいのは、その基準を周囲の人たちに前もって知らせておくことである。
そうすれば、あなたがノーと言っても相手は驚かない。
たとえば、週末は仕事をしないと決めておけば、誰かから土日に仕事を手伝ってほしいと頼まれても、「週末は自分の時間として確保することにしています」と言って丁重に断ることができる(ただし、緊急の用件は例外である)。
あなたは自分が常に相手の理不尽な要求に従い、相手のために自分を犠牲にして活動しなければ、世の中が回らないと思っているかもしれない。
だが、それはナンセンスだ。
遅かれ早かれ、あなたは自分が利用されたことに気づき、精神的に傷つくだろう。
結論を言おう。
社会人としての責務や緊急の用件を除いて、あなたは相手の理不尽な要求にノーと言う権利がある。
だから遠慮なくその権利を行使すればいい。
そうすることによって、自分の価値観と優先順位に合致しない雑事から解放され、生活の質を飛躍的に向上させることができる。
『あなたを成功に導く方法を伝授しよう』ディスカヴァー
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嫌なことを「NO!」と断れない人は、「人がいい人」に多い。
「人がいい人」は断ることが苦手だ。
断ることによって、人から嫌われることを恐れるからだ。
断れない人は、逆に、人に都合よく利用されやすい。
結局は、「自律していない」ということだ。
大人になっていないということも言える。
子どもの頃から、「素直ないい子」をやってきたので、自己主張が苦手。
自己主張しすぎるのも問題だが、まったく自己主張ができないのはもっと問題だ。
大事なのは、断れないことによって、自分の時間がなくなり、始終追い回されてしまうことだ。
「断ること」の大事さを今一度、胸に刻みたい。
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ジェフ・ケラー氏の心に響く言葉より…
おそらく、あなたは処理しきれないほど多くの仕事を抱えているだろう。
仕事だけでなくプライベートの用事もたくさんあるはずだ。
そんなとき、友人から「イベントの手伝いをしてほしい」という電話がかかってきた。 あなたはこのイベントの手伝いが週末を含めて膨大な時間を要することを知っている。
それを考えると暗い気分になる。
あなたは心の中でノーと言っているが、どういうわけか、あなたの口から出てきた返事はイエスである。
いったいなぜ、ノーがイエスに変わったのか?
おそらく、あなたは相手をがっかりさせたくなかったのだろう。
あるいは、好かれたかったのかもしれない。
どんな理由にせ よ、あなたはしたくないことをすることに同意した。
もしかすると、あなたは仕事やプライベートでそういう経験が何度もあるかもしれない。
あなたの反論はよくわかる。
上司の要求にノーと言えば、「忠誠心がない」と思われて昇進の機会を逸するかもしれない。
ほとんど会っていない従兄弟の結婚式に出席しなければ、親戚から「付き合いが悪い」と陰口を言われるだろう。
たしかに、ノーと言うことによる弊害も考慮しなければならない。
だが、いやなのにイエスと言うことによる弊害も考慮する必要がある。
自分の人生を自分でコントロールできていないことに不満を感じるだろう。
とはいえ、私は利己主義を勧めているのではない。
仕事やプライベートで自分を犠牲にする必要もある。
たとえどんなにしたくないことでも、社会人として果たさなければならない責務があるからだ。
私がここで主張しているのは、自分の価値観と優先順位を明確にする必要があるということだ。
自分の価値観と優先順位からあまりにもかけ離れた活動は、あなたの時間とエネルギーを空費し、あなたの成功の障害になりかねない。
では、イエスではなくノーと言うためには、どうすればいいか?
あらかじめ基準を設定しておくとたいへん役に立つ。
そうすることによって、誰かに何かを頼まれたときに自分の判断材料になるからだ。
もっといいのは、その基準を周囲の人たちに前もって知らせておくことである。
そうすれば、あなたがノーと言っても相手は驚かない。
たとえば、週末は仕事をしないと決めておけば、誰かから土日に仕事を手伝ってほしいと頼まれても、「週末は自分の時間として確保することにしています」と言って丁重に断ることができる(ただし、緊急の用件は例外である)。
あなたは自分が常に相手の理不尽な要求に従い、相手のために自分を犠牲にして活動しなければ、世の中が回らないと思っているかもしれない。
だが、それはナンセンスだ。
遅かれ早かれ、あなたは自分が利用されたことに気づき、精神的に傷つくだろう。
結論を言おう。
社会人としての責務や緊急の用件を除いて、あなたは相手の理不尽な要求にノーと言う権利がある。
だから遠慮なくその権利を行使すればいい。
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嫌なことを「NO!」と断れない人は、「人がいい人」に多い。
「人がいい人」は断ることが苦手だ。
断ることによって、人から嫌われることを恐れるからだ。
断れない人は、逆に、人に都合よく利用されやすい。
結局は、「自律していない」ということだ。
大人になっていないということも言える。
子どもの頃から、「素直ないい子」をやってきたので、自己主張が苦手。
自己主張しすぎるのも問題だが、まったく自己主張ができないのはもっと問題だ。
大事なのは、断れないことによって、自分の時間がなくなり、始終追い回されてしまうことだ。
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