
【予期しない偶然のできごとを大事に】5227
海老原嗣生(つぐお)氏の心に響く言葉より…
実は、今の日本で神と目されるような偉大な経営者って、けっこう、若いときは気弱で就活にも失敗して、という人が多いのです。
土光敏夫さん、稲盛和夫さん、鈴木敏文さん、奥田碩(ひろし)さん・・・・・・そんなレジェンドたちが、みんなやわで小さな人だった。
以下、彼らの社会人スタートのころの話を記しておきます。
土光敏夫(東芝元社長)
「土光は東京高等工業機械科 (現東京工業大学) を卒業した後、 大正9年3月に東京石川島造船所に入社した。
就職難の中で石川島を選択せざるを得なかった。
というのも、当時の技術系の大卒者にとって、 もっとも人気があったのが満鉄 (南満州鉄道)や三菱。
初任給も月 200円だったという。 それに対して石川島は月給は45円。」
奥田碩(トヨタ自動車元社長)
「私が大学を卒業した1955(昭和30) 年は、景気がドン底のときで、卒業生の3分の2が就職できずに留年していましてね。
自分も留年するのかなあと思っていたら、たまたまちょっと知り合いがいて、トヨタ自動車販売 (当時)ならば採ってくれるというので選り好みせずに入社を決めました。
だから、 自動車業界の成長性を見込んでトヨタに入った、などと言うつもりはまったくない。
自動車が好きでというのも違う。」
稻盛和夫(京セラ KDDI 元社長)
「1954年(昭和29) 春、 鹿児島大学4年となり、 卒業、 就職が迫っ てきた。
朝鮮戦争の特需が一巡、 雇用情勢は厳しくなっていたころだ。
(中略)帝国石油など希望した会社にはことごとくけられた。
(中略) 夏 ごろ、竹下先生に呼ばれた。
『私の知人が京都の碍子(がいし)製造の会社にいる。そこなら何とかとってくれそうだ』。
(中略) 碍子会社は松風工業といった。
夕方、 寮に連れて行かれて、あ然とした。
古ぼけたあばら家だ。
(中略)一同期せずして『こ んなボロ会社、早くやめような』」
鈴木敏文(セブン&アイ・ホールディングス元会長)
「ジャーナリストになる道も考えてい たので新聞社の入社試験を受けた。
ここでまたあがり症が頭をもたげ、筆記試験は通っても面接で落ちる。
(中略) 農協の県の幹部だった父親のつてで、 農家向けの雑誌 『家の光』を百万部以上出していた家の光協会が採ってくれるという。
ところが方針が急に変わったとかで、その年は一人も採用しないことになった。
(中略) 結局、 家の光協会の役員に紹介してもらい東京出版販売(現トーハン)の試験を受けることができて、合格した」
『クランボルツに学ぶ 夢のあきらめ方』星海社新書
https://amzn.to/3QHVJjz
プランドハプンスタンス(計画的偶発性)理論というクランボルツ教授のキャリア理論がある。
成功した個人を調べたところ、そのターニングポイントの8割は、本人が予期しない偶然のできごとによるものだった。
まさに、経済界のそうそうたる成功者たちも、本人がまったく予期しなかった就職をしていた。
大きな志や夢があって就職したわけでもなく、たまたまの紹介や、そこしか受からなかったという偶然によって、キャリアが始まり、のちに成功している。
この理論は世界共通で、たとえば、スティーブジョブズも同じだ。
大学で偶然学んだカリギュラフィ―(美しい書き文字、日本の書道)が、後にマッキントッシュのフォントに役立つ。
会社を追い出されたり、また復帰したり、と自らが意図しないエキサイティングな人生を送ったジョブズは、スタンフォード大学の卒業式で有名なスピーチをする。
「将来を予想して、点(知識や経験など)と点をつなぐことはできない。
後々の人生で振り返った時にしか、点と点をつなぐことはできない。
今やっていることが、将来、自身の役に立つ(点と点がつながる)と信じて取り組みなさい。」
これをやったら将来必ず成功するとか、絶対にうまくいくということはない。
だからこそ、目の前の一事に、一所懸命になること、それしかいない、と。
すると、点と点がつながる。
つまり、偶然と偶然がつながる。
「本人が予期しない偶然のできごと」
予期せぬ偶然を大事にする人でありたい。
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海老原嗣生(つぐお)氏の心に響く言葉より…
実は、今の日本で神と目されるような偉大な経営者って、けっこう、若いときは気弱で就活にも失敗して、という人が多いのです。
土光敏夫さん、稲盛和夫さん、鈴木敏文さん、奥田碩(ひろし)さん・・・・・・そんなレジェンドたちが、みんなやわで小さな人だった。
以下、彼らの社会人スタートのころの話を記しておきます。
土光敏夫(東芝元社長)
「土光は東京高等工業機械科 (現東京工業大学) を卒業した後、 大正9年3月に東京石川島造船所に入社した。
就職難の中で石川島を選択せざるを得なかった。
というのも、当時の技術系の大卒者にとって、 もっとも人気があったのが満鉄 (南満州鉄道)や三菱。
初任給も月 200円だったという。 それに対して石川島は月給は45円。」
奥田碩(トヨタ自動車元社長)
「私が大学を卒業した1955(昭和30) 年は、景気がドン底のときで、卒業生の3分の2が就職できずに留年していましてね。
自分も留年するのかなあと思っていたら、たまたまちょっと知り合いがいて、トヨタ自動車販売 (当時)ならば採ってくれるというので選り好みせずに入社を決めました。
だから、 自動車業界の成長性を見込んでトヨタに入った、などと言うつもりはまったくない。
自動車が好きでというのも違う。」
稻盛和夫(京セラ KDDI 元社長)
「1954年(昭和29) 春、 鹿児島大学4年となり、 卒業、 就職が迫っ てきた。
朝鮮戦争の特需が一巡、 雇用情勢は厳しくなっていたころだ。
(中略)帝国石油など希望した会社にはことごとくけられた。
(中略) 夏 ごろ、竹下先生に呼ばれた。
『私の知人が京都の碍子(がいし)製造の会社にいる。そこなら何とかとってくれそうだ』。
(中略) 碍子会社は松風工業といった。
夕方、 寮に連れて行かれて、あ然とした。
古ぼけたあばら家だ。
(中略)一同期せずして『こ んなボロ会社、早くやめような』」
鈴木敏文(セブン&アイ・ホールディングス元会長)
「ジャーナリストになる道も考えてい たので新聞社の入社試験を受けた。
ここでまたあがり症が頭をもたげ、筆記試験は通っても面接で落ちる。
(中略) 農協の県の幹部だった父親のつてで、 農家向けの雑誌 『家の光』を百万部以上出していた家の光協会が採ってくれるという。
ところが方針が急に変わったとかで、その年は一人も採用しないことになった。
(中略) 結局、 家の光協会の役員に紹介してもらい東京出版販売(現トーハン)の試験を受けることができて、合格した」
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プランドハプンスタンス(計画的偶発性)理論というクランボルツ教授のキャリア理論がある。
成功した個人を調べたところ、そのターニングポイントの8割は、本人が予期しない偶然のできごとによるものだった。
まさに、経済界のそうそうたる成功者たちも、本人がまったく予期しなかった就職をしていた。
大きな志や夢があって就職したわけでもなく、たまたまの紹介や、そこしか受からなかったという偶然によって、キャリアが始まり、のちに成功している。
この理論は世界共通で、たとえば、スティーブジョブズも同じだ。
大学で偶然学んだカリギュラフィ―(美しい書き文字、日本の書道)が、後にマッキントッシュのフォントに役立つ。
会社を追い出されたり、また復帰したり、と自らが意図しないエキサイティングな人生を送ったジョブズは、スタンフォード大学の卒業式で有名なスピーチをする。
「将来を予想して、点(知識や経験など)と点をつなぐことはできない。
後々の人生で振り返った時にしか、点と点をつなぐことはできない。
今やっていることが、将来、自身の役に立つ(点と点がつながる)と信じて取り組みなさい。」
これをやったら将来必ず成功するとか、絶対にうまくいくということはない。
だからこそ、目の前の一事に、一所懸命になること、それしかいない、と。
すると、点と点がつながる。
つまり、偶然と偶然がつながる。
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