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一円の愛読しているメールマガジンよりみなさんにお福分けさせていただきますね〓〓〓〓〓
みなさん、ご存知、正観さんの話とともに『今、ここ』の大切なことを教えてくださっています〓〓〓
ありがたいお話ですね〓〓〓
この世って、本当にステキな人達がいて嬉しい楽しい幸せです〓〓〓
写真はいねさんの提供で、ピーチハープさんのコンサート会場にあったマリアさんです〓〓〓美しいですね〓〓〓〓〓
ありがとう(^人^)ございます〓〓〓
【生前(せいぜん)という言葉】№477
小林正観氏の心に響く言葉より…
「生前(せいぜん)」という言葉があります。
「生まれる前」と書きます。
「生前、あのかたが使っていたものです」というような使い方をします。
意味としては、「生きていたとき」「死ぬ前」ということです。
常識的に考えると、「死前」と書かなくてはいけないはずでした。
似た言葉に、「大往生(だいおうじょう)」という言葉があります。
「往生」は死ぬこと、「大往生」は「安らかに穏やかに死ぬこと」です。
「往生」は、「生(の世界に)往(ゆ)く」と書きます。
これも、本来なら、「往死」「死(の世界)に往く」と書くべきところでした。
どうも、昔の人たちは、「あの世」があると思っていたようです。
さらに、「あの世」のほうが「ほんとうの生」の世界であって、こちらの世界は「仮の世」と思っていた節があります。
『幸も不幸もないんですよ』マキノ出版
お葬式などで、遺族から、「生前はお世話になりました」という挨拶はよく聞く。
しかしながら、よく考えてみると、「生前」ではなく「死前」の方が正しいような気もする。
生前は、「生まれる前」で、つまり仏教の輪廻でいう、前世(ぜんせい)のことだ。
生まれる前の世界がある、という考え方は、「前世を記憶する子供たち」、「臨死体験」というような本で多く発表されている。
斉藤一人さんは、目に見えない世界は大事だ、しかしそれにのめり込んではいけない、という。
「高い崖(がけ)から身を乗り出して、下をのぞいているとき、二、三割くらい体を乗り出すなら崖から下には落ちない。
しかし、七、八割も身を乗り出してしまうと、崖から下に落ちてしまう」
目に見えない世界、魂の世界は信じないより信じたほうがいい。
人間の幅や、厚みや、深みが圧倒的に違ってくるからだ。
しかし、あまりその世界に入り込みすぎると、自分を見失ってしまう。
我々が生きているのは、この現世(げんせい)であり、ここでの修行や行動が一番大切だからだ。
禅では、それを「今、ここ」すなわち「即今(そっこん)」という。
もしかしたら「あの世」が本当の世界で、「この世」は仮の世なのかもしれないが、
だからこそ、「今ここ」を力の限り精一杯生き、世の中のお役に立つことをする必要があると思う。
□□□□□□□□
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【生前(せいぜん)という言葉】№477
小林正観氏の心に響く言葉より…
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「生まれる前」と書きます。
「生前、あのかたが使っていたものです」というような使い方をします。
意味としては、「生きていたとき」「死ぬ前」ということです。
常識的に考えると、「死前」と書かなくてはいけないはずでした。
似た言葉に、「大往生(だいおうじょう)」という言葉があります。
「往生」は死ぬこと、「大往生」は「安らかに穏やかに死ぬこと」です。
「往生」は、「生(の世界に)往(ゆ)く」と書きます。
これも、本来なら、「往死」「死(の世界)に往く」と書くべきところでした。
どうも、昔の人たちは、「あの世」があると思っていたようです。
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生前は、「生まれる前」で、つまり仏教の輪廻でいう、前世(ぜんせい)のことだ。
生まれる前の世界がある、という考え方は、「前世を記憶する子供たち」、「臨死体験」というような本で多く発表されている。
斉藤一人さんは、目に見えない世界は大事だ、しかしそれにのめり込んではいけない、という。
「高い崖(がけ)から身を乗り出して、下をのぞいているとき、二、三割くらい体を乗り出すなら崖から下には落ちない。
しかし、七、八割も身を乗り出してしまうと、崖から下に落ちてしまう」
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人間の幅や、厚みや、深みが圧倒的に違ってくるからだ。
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禅では、それを「今、ここ」すなわち「即今(そっこん)」という。
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一円はドアホで素直でなかったので、
死とはいかなるものかを
見極めるために、それこそ、
斎藤一人さんの言われる、七割、八割、九割と身体を入れていって落っこちてきた人間ですから、
今、自分がこうしてこの世に生きていることがまさに奇跡な人間だと、自分自身思っているんですけど、
人間は『今、ここ』を大事にして、
今、目の前のひと、
今、目の前物事を大切にして、
嬉しい楽しい幸せ~な笑顔のあるものにして、愛のあるものにして、自分をはじめ、今、目の前の人や物、自分のまわりのものを愛して、喜ばしいものにして暮らしていけばいいんだな~ってことがよくわかりました
『今、ここ、自分』を大切に受け入れて、愛して、感謝して、目の前の人や物事を受け入れて、愛して、感謝して、
自分が嬉しい楽しい幸せ~なことをして
みんなが嬉しい楽しい幸せ~な喜ばしいことをプレゼントしながら暮らしていく
プレゼントって、物だけじゃないんです、笑顔や愛のある言葉やスキンシップやハグ、抱擁やなんでもいいんです、相手の喜ぶこと
もちろん、自分が生きているだけで喜んでくださる人達にはなにもしなくても、生きているだけでプレゼントしているわけです
ただ、それだけなんですよね
そんなことができたらいいな~って、
死の世界、あの世を見てきて、
よくわかりました。
だから、この話よくわかります
この世に自分自身がある間は、
この世を存分に楽しもう
あの世にいったらあの世を存分に楽しもうとまあ、そういうことがよくわかりました
先日の12/7師崎会でも一円さんからとっっっっっっっっっっっても貴重な話を伺えました。
見えない世界に注目する生き方ももしかするとあるかもしれません
ですがもしかするとその生き方はこの今の現世には合わないかもしれません
僕は残念ながら(??)見えるものしかみえない人ですが、現状それで困っていません。それは現世で生きるにはそれでいいからだ・・かもしれないですね
<正観さんの言葉>
「念」を入れて生きる
「念」の文字を分解すると「今」の「心」
今、目の前にいる人を大切にし、
今、目の前のあることを大事にする事。
それで良いのかな
私事ですが、正観さんを知る前は変な心配をしてみたり妄想をしてみたり夢を膨らませてみたり自己満足に走ったり・・と落ち着かない自分がいました
それが正観さんを知ってからお任せで生きる、今目の前の事を大切にする生き方を知りました
そのように生きようとしてみますと、ふと気がつくとなんとストレスがないのでしょう・生き易いんでしょう
見方が変わっただけでのこの別世界に吃驚する事もあります
そんな事を考える機会を頂けるのも一円さんのHPのお陰ですね、感謝です
皆さんの意見もご紹介頂けましたら嬉しく思います
匿名でOKですよ
見えない世界にとらわれて、見えている目の前の人や物事という今の世界をおろそかに、粗末にあつかってはいけません
だから、はまさんのおっしゃる通り、正観さんの話してくださった念をいれて生きる、今、目の前の人に、目の前の物事に最良の心を注いでいくということがベストなのです
見える世界も、見えない世界も実にはつながっていますから、この見えている世界で念をいれて目の前の人や物事を大切にしていくことで、見えない世界にも多大なる貢献をして暮らしていることになります
見えないのは見えなくていいから見えないのです
人にはそれぞれに役割、持ち味がありますからね、一円は見えない世界を見に行って帰って来ましたけど、みなさんには見えない世界にあまり振り回されずに、見えない世界にはありがとうの感謝だけにして、周りの人達や物事に感謝して愛して、さらには自分の身体を愛して健康的なものにしていく歩みをしていけばいいのですよ~
っていいたい気持ちですもんね~
はまさんのおっしゃる通りでいいのです
はまさん、コメント、どうもありがとう(^人^)ございます