【本当にやるべきことは、目の前の今】5676
小林正観さんの心に響く言葉より…
ある一級建築士の人が、自分の今頼まれている仕事が済んだら、次の依頼がなくなるんじゃないか、その場合はどうやって生活していこうと思いながら、心配しながら仕事をしていました。
その仕事が納まったときに、次の仕事は来なかったといいます。
なぜならば、その仕事を誠実にやっていなかったから。
今頼まれている建築設計の仕事を本当に心を込めて身を込めてやっていなかったのです。
頭はいつも、この仕事が終わったら次の仕事はいつ来るのだろう、どんな仕事をどうやってもらったらよいだろう、どこにアタックしたら次の仕事は来るだろうかと考えていた。
そればかり考えていると、今のこの仕事がないがしろになってしまいます。
そのようにしている間は次の仕事が来ないので、いつも、不安だったのだとか。
でもあるとき、この「念を入れる」という話を聞いて、「ああそうか」と気づいたそうです。
「自分がやるべきことは、今いただいている仕事を本当に心を込めて、未来のことを心配する必要はなくて、やることなのだな」 と彼はそこで一念発起をして、次の仕事は今のところないけれど、頼まれている仕事をとにかく一生懸命、心を込めてやるようになった。
そうすると、終わった途端に必ず次の仕事が来るようになったそうです。
「今、目の前の仕事を一生懸命やらなければ、神様は次の仕事をくれないのだ、ということがよく分かりました」 と、その方は話してくださいました。
未来のことばかり心配して、本当にやるべき今のこの状態をないがしろにしている、というのが、私たちがいつもとりがちな態度かもしれません。
本当に大事なのは、今目の前にある仕事をやること、目の前の人、こと、ものを大事にして生きていく、ということです。
今日、寝て起きたら、明日ではなく今日。
実は、私たちの目の前には、過去も存在していなくて、未来も存在していない。
私たちの目が開いている間だけ、ずっと今日。
私たちの目の前には「今日」の「今」しか広がっていないのです。
過去も存在していないし、未来も存在していない。
私たちは、過去、現在、未来という、とても長い時間・空間の中に生きているようですが、実は「この瞬間」だけを生きています。
だから、自分の人生について過去のどんなことについても悔やむことは無意味。
未来のことについて心配することも無意味。
そこに使うエネルギーを、今目の前の人を大事にすることに使いましょう。
「ああ、本当にやるべきことは、目の前の今、なんだな」ということが分かると、過去や未来について論評、評価する必要がなくなります。
そうなると、現在のことに対してさえも論評、評価する必要がない、ということに気がつくでしょう。
『喜ばれる』PHP文庫
https://q.bmd.jp/91/119/817/393
「念を入れて生きる」とは、「念」という文字に意味が込められている、と小林正観さんは言う。
「念」を分解すると「今」を大事にする「心」になる。
今、目の前にいる人や、こと、ものを大事にするということ。
ノートルダム清心学園の理事長をされていた、渡辺和子氏のアメリカの修道会にいたときの話がある。
『食事の準備のために、食卓にお皿を配っていた渡辺和子さんに、あるシスターが寄ってきて訊ねたそうです。
「あなたは今、何を考えながらお皿を配っていますか?」
渡辺和子さんは戸惑いつつ、「いえ、何も考えていません」と答えました。
そのときシスターは、「あなたは時間を無駄にしています。なぜ、このお皿を使う人の幸せを祈りながら配らないのですか。この世に雑用という仕事はないのですよ」
そう教えてくれたというのです。』(22世紀への伝言/廣済堂出版)より
目の前のことに念を入れる。
これは、「雑用だ」と思った途端に、そこに心は入らず、一所懸命とはならない。
今、目の前の一事に念を入れる。
「本当にやるべきことは、目の前の今」と言う言葉を胸に刻み…
今、目の前にいる人、もの、こと、仕事に心を込めることができる人でありたい。
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小林正観さんの心に響く言葉より…
ある一級建築士の人が、自分の今頼まれている仕事が済んだら、次の依頼がなくなるんじゃないか、その場合はどうやって生活していこうと思いながら、心配しながら仕事をしていました。
その仕事が納まったときに、次の仕事は来なかったといいます。
なぜならば、その仕事を誠実にやっていなかったから。
今頼まれている建築設計の仕事を本当に心を込めて身を込めてやっていなかったのです。
頭はいつも、この仕事が終わったら次の仕事はいつ来るのだろう、どんな仕事をどうやってもらったらよいだろう、どこにアタックしたら次の仕事は来るだろうかと考えていた。
そればかり考えていると、今のこの仕事がないがしろになってしまいます。
そのようにしている間は次の仕事が来ないので、いつも、不安だったのだとか。
でもあるとき、この「念を入れる」という話を聞いて、「ああそうか」と気づいたそうです。
「自分がやるべきことは、今いただいている仕事を本当に心を込めて、未来のことを心配する必要はなくて、やることなのだな」 と彼はそこで一念発起をして、次の仕事は今のところないけれど、頼まれている仕事をとにかく一生懸命、心を込めてやるようになった。
そうすると、終わった途端に必ず次の仕事が来るようになったそうです。
「今、目の前の仕事を一生懸命やらなければ、神様は次の仕事をくれないのだ、ということがよく分かりました」 と、その方は話してくださいました。
未来のことばかり心配して、本当にやるべき今のこの状態をないがしろにしている、というのが、私たちがいつもとりがちな態度かもしれません。
本当に大事なのは、今目の前にある仕事をやること、目の前の人、こと、ものを大事にして生きていく、ということです。
今日、寝て起きたら、明日ではなく今日。
実は、私たちの目の前には、過去も存在していなくて、未来も存在していない。
私たちの目が開いている間だけ、ずっと今日。
私たちの目の前には「今日」の「今」しか広がっていないのです。
過去も存在していないし、未来も存在していない。
私たちは、過去、現在、未来という、とても長い時間・空間の中に生きているようですが、実は「この瞬間」だけを生きています。
だから、自分の人生について過去のどんなことについても悔やむことは無意味。
未来のことについて心配することも無意味。
そこに使うエネルギーを、今目の前の人を大事にすることに使いましょう。
「ああ、本当にやるべきことは、目の前の今、なんだな」ということが分かると、過去や未来について論評、評価する必要がなくなります。
そうなると、現在のことに対してさえも論評、評価する必要がない、ということに気がつくでしょう。
『喜ばれる』PHP文庫
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「念を入れて生きる」とは、「念」という文字に意味が込められている、と小林正観さんは言う。
「念」を分解すると「今」を大事にする「心」になる。
今、目の前にいる人や、こと、ものを大事にするということ。
ノートルダム清心学園の理事長をされていた、渡辺和子氏のアメリカの修道会にいたときの話がある。
『食事の準備のために、食卓にお皿を配っていた渡辺和子さんに、あるシスターが寄ってきて訊ねたそうです。
「あなたは今、何を考えながらお皿を配っていますか?」
渡辺和子さんは戸惑いつつ、「いえ、何も考えていません」と答えました。
そのときシスターは、「あなたは時間を無駄にしています。なぜ、このお皿を使う人の幸せを祈りながら配らないのですか。この世に雑用という仕事はないのですよ」
そう教えてくれたというのです。』(22世紀への伝言/廣済堂出版)より
目の前のことに念を入れる。
これは、「雑用だ」と思った途端に、そこに心は入らず、一所懸命とはならない。
今、目の前の一事に念を入れる。
「本当にやるべきことは、目の前の今」と言う言葉を胸に刻み…
今、目の前にいる人、もの、こと、仕事に心を込めることができる人でありたい。
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