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一円サンの愛読しているメールマガジンより…お福分けさせて…いただきます…m(__)m…
写真は…伊勢志摩のマリカサンの提供です…ありがとう…ございます…m(__)m…
正観サンの四十九日まで…
正観サンの辞世の句とともに…
感謝の言葉を入れさせていただきます…m(__)m…
わが形見
高き青空掃いた雲
星の夜空に
日に月に
わがかたみ
たかきあおぞらはいたくも
ほしのよぞらにひにつきに
正観サン…どうもありがとうございました…m(__)m…
vol.961[南極大陸]
ゆうです
ワクワクおはようございます♪
いつも読んで頂きありがとうございます☆
寒くなってきましたね
皆さまお身体に気をつけてお過ごし下さいませ☆
行きます!
~~~
今、ドラマでも話題ですね♪
「南極大陸」
人類が、歴史上、一度も永住したことのない、唯一の大陸
昭和31年11月8日
この日、一万人以上の人々が目を輝かせて、一隻の船を眺めていた。
その一万人の希望の先にある船とは
南極観測船、『宗谷(そうや)』
戦後、日本の復活をかけた南極観測が今始まろうとしているところ。
この頃
まだ日本は戦争に負けた傷が癒えず、貧しい国だった。
以前、
NHKのプロジェクトXではこんな言葉で紹介していました
「立ち向かったリーダーは西堀栄三郎53歳。
極寒の南極で若者たちが観測に命を張った。
これは日本の誇りを取り戻すため、
ただ一度だけ日本中がその力を結集した、
壮大なプロジェクトの記録である。」
南極観測プロジェクトは、
たった一人の男の情熱から始まった。
東京大学理学部教授の永田武氏
当時ノーベル賞に最も近い日本人と言われていた男。
ある日、永田氏のもとに、一通の国際郵便が届く。
ブリュッセルで南極観測の国際会議を開くというものだった。
永田氏はブリュッセルに行った
会議に参加した10ヶ国は、
すべて先の第二次世界大戦の戦勝国だった。。。
突然、大きな声が永田氏に飛んできた。
「なぜ日本がここに いるんだ。
日本になど国際舞台に上がる資格はない!」
永田氏は悔しかった。。。
日本を侮辱され、我慢できなかった。
そして決然と言った
「日本は南極観測へ参加できます。」
日本に帰った永田氏は
大蔵省に行き、南極観測への参加を訴えた。
しかし、
大蔵省の担当官は言った。
「南極?そんな ものに金は出せない。」
永田氏は諦めなかった。
「国際会議で日本が侮辱されたままでは・・・」
各方面に訴えたが、冷ややかな反応だった。
ある日、朝日新聞の編集長が、
『日本は南極に行くべきだ』と、
朝日新聞で南極観測を支援するキャンペーンを打ち上げた。
すると、まもなく全国で草の根の募金活動が始まった。
そして、あっという間に10万人を越える方々から貴重な募金が集まった。
当時の日本は、まだまだ貧しかったが、
多くの日本人が少ないお金の中から、永田氏の夢にかけてくれたのだった。
やがて国民の盛り上がりを受けて、
ついに国が動き始めた。
南極観測に向け、
国家プロジェクトとして認められた。
そして、南極観測隊隊長には「永田武氏」が指名された。
そして、もっとも過酷な任務とされた、
南極観測越冬隊隊長には、「西堀榮三郎氏」に決まった。
日本に割り当てられた南極の観測場所は・・・
南極東部のプリンス ハラルド海岸。
アメリカ海軍の報告書によると
『陸地への接岸は不可能』
と記されている場所。
最新装備のアメリカやイギリスが、7回も上陸を試みて、
すべて氷に阻まれて失敗している最も危険な場所だった。
~~~
熱いですね!
ドラマおすすめです♪
参照
wikipedia
NHK情熱大陸
南極大陸
・・・━━━☆・
今日の1歩
・・・━━━☆・
当時の日本は
世界一の超大国、アメリカが7回も挑戦し挫折した場所に、
挑む国。
10年後、20年後、50年後
戦後の諦めなかった日本の
象徴になる為に・・・
命懸けで挑んだ。
*-*-*-*-*-*-
最後までお読みいただきありがとうございます
みなさまと一緒に学ばせていただいております
このメルマガを
「友達に教えたい!」という心優しい方は・・・
大好きです(・ω・*)
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昭和31年11月8日
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その一万人の希望の先にある船とは
南極観測船、『宗谷(そうや)』
戦後、日本の復活をかけた南極観測が今始まろうとしているところ。
この頃
まだ日本は戦争に負けた傷が癒えず、貧しい国だった。
以前、
NHKのプロジェクトXではこんな言葉で紹介していました
「立ち向かったリーダーは西堀栄三郎53歳。
極寒の南極で若者たちが観測に命を張った。
これは日本の誇りを取り戻すため、
ただ一度だけ日本中がその力を結集した、
壮大なプロジェクトの記録である。」
南極観測プロジェクトは、
たった一人の男の情熱から始まった。
東京大学理学部教授の永田武氏
当時ノーベル賞に最も近い日本人と言われていた男。
ある日、永田氏のもとに、一通の国際郵便が届く。
ブリュッセルで南極観測の国際会議を開くというものだった。
永田氏はブリュッセルに行った
会議に参加した10ヶ国は、
すべて先の第二次世界大戦の戦勝国だった。。。
突然、大きな声が永田氏に飛んできた。
「なぜ日本がここに いるんだ。
日本になど国際舞台に上がる資格はない!」
永田氏は悔しかった。。。
日本を侮辱され、我慢できなかった。
そして決然と言った
「日本は南極観測へ参加できます。」
日本に帰った永田氏は
大蔵省に行き、南極観測への参加を訴えた。
しかし、
大蔵省の担当官は言った。
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永田氏は諦めなかった。
「国際会議で日本が侮辱されたままでは・・・」
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多くの日本人が少ないお金の中から、永田氏の夢にかけてくれたのだった。
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そして、もっとも過酷な任務とされた、
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南極東部のプリンス ハラルド海岸。
アメリカ海軍の報告書によると
『陸地への接岸は不可能』
と記されている場所。
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