
【意味を考えない】4950
小林正観さんの心に響く言葉より…
「交通事故で追突された。どういう意味があるのでしょう」 「病気で一週間仕事を休んだ。どういう意味があるのでしょう」 「友人にお金を貸したけれど返ってこない。どういう意味があるのでしょう」
ありとあらゆることに「どういう意味があるのでしょう」「何か私に教えようとしているのでしょうか」とつねにそうやって問いかけてくる人がいます。
それは質問というかたちをとって、自分が気に入らないことを言っているだけに過ぎません。
「これが気に入らない」「あれが気に入らない」「これが思うようになっていない」と愚痴や泣き言を言っているだけ。
本人は質問のかたちをとっているのですが、「どういう意味があるのか」と問うこと自体が現象を否定している。
だから、そんなことにいちいち関心を持たなくてもいい。
ただ淡々とやっていけばいい、とずっと言い続けています。
その人たちは、質問というかたちをとって問いかけてくるのですが、要するに、 「私が気に入るように、正観さん話してください」と言っているのです。
「そこから先は神の領域」という思想があると、いつも心穏やかに生きていくことができます。
私はつねにそういう概念があるので、すごくラク。
ストレスの少ない生活をしています。
夢や希望に満ちあふれているというのは、「あれが足りない」「これが足りない」 「あれ欲しい」「これ欲しい」と言っていること。
結局ストレスになって思いどおりにならない。
思いどおりにならないのは、「思い」があるからです。
「思い」をなくして、自分が頼まれてやるはめになったことについては、何も考えないで、「はい、わかりました」と言いながらやっていけばいい。
そう思っている人は、ストレスがたまらない。
ストレスがたまらない状態だと、自分が一番ラクに生きることができます。
『ありがとうとお金の法則』だいわ文庫
https://amzn.to/3EaxnsI
人に問いかけるのではなく、自分自身に「なんでこの病気になってしまったんだろう」と問いかけることは、時にはあってもいいと思います。
「不摂生したから、こうなった。気をつけよう。これは何かのメッセージかもしれない」と、反省するような時です。
しかし、これも程度問題で、問い過ぎたり、詮索しすぎると心が病みます。
また、人に問いかけるということは、「自分が納得したい答えを得たいため」ということが多いものです。
それは例えば、「コールドリーディング」を望むようなものです。
コールドリーディングとは、事前に相手の情報を収集していないのに、相手の気持ちを言い当てるというテクニックのことです。
インチキ臭い占い師がよく使うテクニックです。
白隠禅師はこう語っています。
良しきも悪しきも みな打ち捨てて
生池の白池で 月日を送れ
さわりゃ濁るぞ 谷川の水
問うな学ぶな 手出しするな
行徳哲男師は、この白隠禅師の言葉を引用し、現代人は「なぜ?」を問い過ぎる、と。
『WHYカルチャーという「なぜ?」の文化を発達させ過ぎることで国力が弱り、亡国に至ったのがローマであり、ギリシャです。
現象の背後に何があるのかを詮索し過ぎたり、追跡し過ぎたりするよりは、そのまま食べてしまえばいいのです。
ですから、人間は煩悩を生きることですね。』(テンミニッツTV)より
何かが起きたとき、あれこれ意味を問わず、「ああそうですか」「なるほど、そうなりましたか」とまるごと受け入れる。
そういう人にはストレスがたまりません。
意味を考えすぎない人でありたいと思います。
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小林正観さんの心に響く言葉より…
「交通事故で追突された。どういう意味があるのでしょう」 「病気で一週間仕事を休んだ。どういう意味があるのでしょう」 「友人にお金を貸したけれど返ってこない。どういう意味があるのでしょう」
ありとあらゆることに「どういう意味があるのでしょう」「何か私に教えようとしているのでしょうか」とつねにそうやって問いかけてくる人がいます。
それは質問というかたちをとって、自分が気に入らないことを言っているだけに過ぎません。
「これが気に入らない」「あれが気に入らない」「これが思うようになっていない」と愚痴や泣き言を言っているだけ。
本人は質問のかたちをとっているのですが、「どういう意味があるのか」と問うこと自体が現象を否定している。
だから、そんなことにいちいち関心を持たなくてもいい。
ただ淡々とやっていけばいい、とずっと言い続けています。
その人たちは、質問というかたちをとって問いかけてくるのですが、要するに、 「私が気に入るように、正観さん話してください」と言っているのです。
「そこから先は神の領域」という思想があると、いつも心穏やかに生きていくことができます。
私はつねにそういう概念があるので、すごくラク。
ストレスの少ない生活をしています。
夢や希望に満ちあふれているというのは、「あれが足りない」「これが足りない」 「あれ欲しい」「これ欲しい」と言っていること。
結局ストレスになって思いどおりにならない。
思いどおりにならないのは、「思い」があるからです。
「思い」をなくして、自分が頼まれてやるはめになったことについては、何も考えないで、「はい、わかりました」と言いながらやっていけばいい。
そう思っている人は、ストレスがたまらない。
ストレスがたまらない状態だと、自分が一番ラクに生きることができます。
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人に問いかけるのではなく、自分自身に「なんでこの病気になってしまったんだろう」と問いかけることは、時にはあってもいいと思います。
「不摂生したから、こうなった。気をつけよう。これは何かのメッセージかもしれない」と、反省するような時です。
しかし、これも程度問題で、問い過ぎたり、詮索しすぎると心が病みます。
また、人に問いかけるということは、「自分が納得したい答えを得たいため」ということが多いものです。
それは例えば、「コールドリーディング」を望むようなものです。
コールドリーディングとは、事前に相手の情報を収集していないのに、相手の気持ちを言い当てるというテクニックのことです。
インチキ臭い占い師がよく使うテクニックです。
白隠禅師はこう語っています。
良しきも悪しきも みな打ち捨てて
生池の白池で 月日を送れ
さわりゃ濁るぞ 谷川の水
問うな学ぶな 手出しするな
行徳哲男師は、この白隠禅師の言葉を引用し、現代人は「なぜ?」を問い過ぎる、と。
『WHYカルチャーという「なぜ?」の文化を発達させ過ぎることで国力が弱り、亡国に至ったのがローマであり、ギリシャです。
現象の背後に何があるのかを詮索し過ぎたり、追跡し過ぎたりするよりは、そのまま食べてしまえばいいのです。
ですから、人間は煩悩を生きることですね。』(テンミニッツTV)より
何かが起きたとき、あれこれ意味を問わず、「ああそうですか」「なるほど、そうなりましたか」とまるごと受け入れる。
そういう人にはストレスがたまりません。
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