
【渋柿の渋そのままの甘さかな】5445
玄侑宗久(げんゆうそうきゅう)氏の心に響く言葉より…
「人生とは希望や目標を持ってそれを実現するためのものだ」
確かに子供の頃から、我々はそのように教わってきた。
いわば自己実現こそが人生なのだ、と。
しかし例えば、いい学校に入るとか希望の会社に入るとか、あるいは好きな女性と結婚するとか、そんな希望を目標にしてきた場合、それが実現するとどうしただろう?
たぶんその延長上で目標を上方修正したのではないだろうか。
まだ叶っていない希望を次々に持ち続けることしか人生観がないようなのである。
これは実は不幸の源ではないだろうか。
一生が短かった時代には人生観も一つで足りたかもしれない。
しかし今は寿命も長いし時代のテンポも速いのだから、人生観そのものも脱ぎ捨てて次のものに替えていいのではないだろうか?
つまり人生は自己実現であるという思い込みを、あるところでやめるのである。
実現すべき自己など、どうせ多重で複雑な自己のほんの一部にすぎないのだし。
そのことは、自分にとって必要だと勝手に思い込んできた価値から、自分を必要としている誰かの価値への転換ともいえる。
自分の周囲に一人でも自分を必要としている人がいれば、その人が実現したいことに徹底的に「応じる」のである。
一見、それは攻めから受け身へのシフトと映るかもしれない。
しかしこうした徹底的に「応じる」態度は、ある程度の自己実現が叶ったあとの応用編であり、その心の底には「我が身に起こることはすべて自分を学ばせ、深めるために起こる」という揺るぎない「信」を必要とする。
その「信」によってどんな災難や苦渋も味わい深い旨みを滲ませはじめるのだ。
「渋柿の渋そのままの甘さかな」というのはこうした事態のことだろう。
会社から家庭に目が向いたり、あるいはこれまで顧みなかった仕事が面白くなってきたり、現象としては様々だろう。
しかしそれは、これまで無理につくり上げてきた自己を放棄してもっと大きな流れに身を委ねる人生の始まりである。
道教ではその大きな流 れのことをタオという。
目標や希望は持つのが当然であり、その実現に向けて「頑張る」のが、いわば我々が教わってきた儒教的人生観だろう。
しかし、この考え方だと、いつまでも完成することはないしピークは永遠に先延ばしにされたままなのだ。
ところが実は、あなたはすでに完全なのであり、今こそがピークなのである。
それが困難や苦渋に見えても、今はあなたを必要とする声になにも考えず応じてみてはどうだろう。
応じつつ広がり深まる。
そこではこれまで考えられなかった幅広い自己が、結果として実現されていくはずである。
『釈迦に説法』新潮社066
https://amzn.to/3KPyXol
小林正観さんは『日々の暮らしを楽にする/Gakken』の中でこう語っている。
『私は、頼まれごとを、好き嫌いで選ぶのではなく、三つ目の選択をしています。
それは、「ただ、淡々と生きる」という生き方です。
頼まれごとを、自分の評価、論評を入れずに淡々とこなしていく。
あれがしたい、これがしたい、という自我や目標があったら、そこにたどり着くために、努力しなくてはいけません。
また、努力しても叶わないこともあるでしょう。
ただ、頼まれごとをして淡々と生きていくと、何を頼まれるかわかりません。
自分が想像しなかった方向へどんどん流れていくこともあり、考えていたときよりも、はるかに楽しいことが起こっていくようなのです。
頼まれごとがあるということ自体が、人間としてとても幸せなことなのです。』
「頼まれごと」があるということは、人から必要とされていること。
特に、人生の後半生は「頼まれごと」を引き受け、流れのままに生きていくのがいい。
自分の目標や夢の実現ではなく、人様のお役に立つことを信条とするのだ。
そして頼まれたら、その中にどっぶり浸かり、その頼まれごとを楽しむ。
今まで経験したことのないようなこと、はじめての場所、新たな人との出会い、という風に、雲のようにフワフワと流されていく。
「渋柿の渋そのままの甘さかな」
人も、「渋」という一見すると欠点が、実は大きな魅力になることが多い。
そのためにも、人生の後半生には、目標や夢の実現ではなく、『徹底的に「応じる」態度』、すなわち「応じる」、「身をゆだねる」という「頼まれごと」の人生を歩むのもいい。
「渋柿の渋そのままの甘さかな」という言葉を胸に刻みたい。
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玄侑宗久(げんゆうそうきゅう)氏の心に響く言葉より…
「人生とは希望や目標を持ってそれを実現するためのものだ」
確かに子供の頃から、我々はそのように教わってきた。
いわば自己実現こそが人生なのだ、と。
しかし例えば、いい学校に入るとか希望の会社に入るとか、あるいは好きな女性と結婚するとか、そんな希望を目標にしてきた場合、それが実現するとどうしただろう?
たぶんその延長上で目標を上方修正したのではないだろうか。
まだ叶っていない希望を次々に持ち続けることしか人生観がないようなのである。
これは実は不幸の源ではないだろうか。
一生が短かった時代には人生観も一つで足りたかもしれない。
しかし今は寿命も長いし時代のテンポも速いのだから、人生観そのものも脱ぎ捨てて次のものに替えていいのではないだろうか?
つまり人生は自己実現であるという思い込みを、あるところでやめるのである。
実現すべき自己など、どうせ多重で複雑な自己のほんの一部にすぎないのだし。
そのことは、自分にとって必要だと勝手に思い込んできた価値から、自分を必要としている誰かの価値への転換ともいえる。
自分の周囲に一人でも自分を必要としている人がいれば、その人が実現したいことに徹底的に「応じる」のである。
一見、それは攻めから受け身へのシフトと映るかもしれない。
しかしこうした徹底的に「応じる」態度は、ある程度の自己実現が叶ったあとの応用編であり、その心の底には「我が身に起こることはすべて自分を学ばせ、深めるために起こる」という揺るぎない「信」を必要とする。
その「信」によってどんな災難や苦渋も味わい深い旨みを滲ませはじめるのだ。
「渋柿の渋そのままの甘さかな」というのはこうした事態のことだろう。
会社から家庭に目が向いたり、あるいはこれまで顧みなかった仕事が面白くなってきたり、現象としては様々だろう。
しかしそれは、これまで無理につくり上げてきた自己を放棄してもっと大きな流れに身を委ねる人生の始まりである。
道教ではその大きな流 れのことをタオという。
目標や希望は持つのが当然であり、その実現に向けて「頑張る」のが、いわば我々が教わってきた儒教的人生観だろう。
しかし、この考え方だと、いつまでも完成することはないしピークは永遠に先延ばしにされたままなのだ。
ところが実は、あなたはすでに完全なのであり、今こそがピークなのである。
それが困難や苦渋に見えても、今はあなたを必要とする声になにも考えず応じてみてはどうだろう。
応じつつ広がり深まる。
そこではこれまで考えられなかった幅広い自己が、結果として実現されていくはずである。
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小林正観さんは『日々の暮らしを楽にする/Gakken』の中でこう語っている。
『私は、頼まれごとを、好き嫌いで選ぶのではなく、三つ目の選択をしています。
それは、「ただ、淡々と生きる」という生き方です。
頼まれごとを、自分の評価、論評を入れずに淡々とこなしていく。
あれがしたい、これがしたい、という自我や目標があったら、そこにたどり着くために、努力しなくてはいけません。
また、努力しても叶わないこともあるでしょう。
ただ、頼まれごとをして淡々と生きていくと、何を頼まれるかわかりません。
自分が想像しなかった方向へどんどん流れていくこともあり、考えていたときよりも、はるかに楽しいことが起こっていくようなのです。
頼まれごとがあるということ自体が、人間としてとても幸せなことなのです。』
「頼まれごと」があるということは、人から必要とされていること。
特に、人生の後半生は「頼まれごと」を引き受け、流れのままに生きていくのがいい。
自分の目標や夢の実現ではなく、人様のお役に立つことを信条とするのだ。
そして頼まれたら、その中にどっぶり浸かり、その頼まれごとを楽しむ。
今まで経験したことのないようなこと、はじめての場所、新たな人との出会い、という風に、雲のようにフワフワと流されていく。
「渋柿の渋そのままの甘さかな」
人も、「渋」という一見すると欠点が、実は大きな魅力になることが多い。
そのためにも、人生の後半生には、目標や夢の実現ではなく、『徹底的に「応じる」態度』、すなわち「応じる」、「身をゆだねる」という「頼まれごと」の人生を歩むのもいい。
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