
一円の愛読しているメールマガジンよりお福わけさせていただきます。
写真は高野山大塔の近くにある世にも珍しい松で、葉が三つまたになっています。日本にはおそらくここだけだろうということです。詳しいことは調べていないのでわかりませんが…
vol.726[十か月一緒にいてくれたよね]
おはようございます
絶好調♪ワクワクさま♪ツイてます♪
ゆうです☆
[魂が震える話]けい&[100人の1歩]ゆう
講演会in姫路
主催者さんより連絡があり、
さっそくお申し込みが沢山あったそうです
嬉しいです♪
ありがたいです!
精一杯やらせて頂きます!
詳細は本文の後で♪
本日のお話、感動です
お時間ある時にお読みください
行きます!
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愛読書「致知」2月号より
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鈴木秀子さんの連載より
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[十か月一緒にいてくれたよね]
いまでも忘れられない話があります。
かれこれ三十年ほど前になるでしょうか。
私はあるご夫婦と知り合いになりました。
そのご夫婦はともに東北の出身で、
集団就職でやってきた東京で知り合い結ばれました。
下町にある小さな町工場で真っ黒になって働き、
決して豊かとは言えないながらも、仲睦まじく生活していました。
二人はやがて一人の男の子を授かりました。
しかし、出産後、医師はなかなか赤ちゃんと会わせてくれようとしてくれません。
しばらくしてご主人は医師によばれて、こう告げられました。
「落ち着いて聞いてください。
お子さんは重い障害を抱えて生まれてきています。
おそらくそう長くは生きられないでしょう」
赤ちゃんを見せられたご主人は、
きっと言葉を失ったのではないかと思います。
目の前にいたのは頭部が極端に小さい無脳症という先天性の病氣を抱えた子だったのですから。
その頃、シスターとして、死が近づきつつある人たちや重い病氣の人たちをお訪ねして希望を与える活動を続けていました。
ご主人も私のことを本で読まれていたらしく、
「障害のある子を授かりました。
命が尽きてしまう前に、鈴木先生に一度会っていただきたいのです。
他に身寄りのない私たち夫婦の願いです」
と連絡してこられました。
私はすぐに駆けつけました。
そして病院までの道中、両親はさぞかし泣き崩れていることだろう、
どのような言葉をかけて勇氣づけてあげようかと、
ずっとそのことばかり考え、心の中で神様にお祈りしていました。
私が病室をお訪ねした時、奥様が毛布にくるまれた赤ちゃんを抱き、
ベッドの脇でご主人が座っておられました。
しかし驚いたことに、病室の雰囲氣はとても明るいのです。
二人は私の訪問をとても喜んでくれました。
そして赤ちゃんに向かって一生懸命笑顔で語りかけていました。
「鈴木先生が来てくださったよ。本当にありがたいね」
「いまあなたを抱いているのがお母さん。
横にはちゃんとお父さんもいてくれる。
だから安心してちょうだいね」
「お父さんも、お母さんもあなたが
生まれてきてくれて本当に幸せ。
お母さんのお腹の中に十か月も一緒にいてくれたものね。
毎日毎日がワクワク、ドキドキだった。
たくさんの勇氣をくれたあなたのことが大好き。
何があっても守ってあげるからね」
障害のある赤ちゃんには両親の言葉は聞こえなかったかもしれません。
しかし、その病室は、子供が生まれた後、
どの親も見せるような笑顔や大きな喜びに溢れていました。
身寄りのない東京で厳しい労働に明け暮れ、
貧しい生活を強いられている二人は、
様々な人生の苦労を味わいました。
虐げられたり、嘲られたり、孤独に打ちのめされそうになったり
人に言えない思いをたくさんしてきたに違いありません。
そんな二人にとって、我が子の誕生はただ一つの明るい希望でした。
首を長くして待っていた我が子の誕生。
しかし、その我が子は重い障害を背負って生まれてきた・・・
普通であれば精神的などん底に突き落とされたとしても
不思議ではありません。
しかし、この両親は悲しみに暮れることなく
長くは生きられないであろう我が子に喜びを語り
限りない愛情を注ぎ続けたのです。
赤ちゃんは両親を選んで生まれてくる
赤ちゃんは両親を選んで誕生してくるといわれています。
魂の成長に必要な両親を自分で選び
この世に生を受けて様々な出来事を体験し
多くの大切な人に出会って魂を磨き、再び魂の故郷へ帰っていく。
それが人生なのだと私も考えています。
この両親も、魂が永遠であることを確信し、
そのような人生観をお持ちだったようです。
「あなたは、こんなに貧しく学歴もない私たちを
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