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【執着から苦しみが生まれる】5472
佛心宗大叢山福厳寺住職、大愚元勝(たいぐげんしょう)氏の心に響く言葉より…
【ブッダの言葉】
師は答えた、「子のある者は子について憂い、また牛のある者は牛について憂う。実に人間の憂いは執着するものである。執着するもとのもののない人は、憂うることがない」 (スッタニパータ3)
《執着から苦しみが生まれる》
なぜ、この言葉に牛が登場するかというと、インド人にとって牛は財産だからです。
つまり、子どもや財産を持つ者は、子どもと財産のことで悩み、何も持たない者は悩むことはないと、ブッダは説いています。
自分の子どもが大きくなって、言うことを聞かなくなったり勉強ができなかったり、それこそニートになったりすると、親として心の安定が揺らいでしまう人は多いでしょう。
一方、「財産はあればあるだけいい」と思うかもしれませんが、増えたり減ったりで一喜一憂してしまいます。
たとえば、「1億円を持っています」 と言っても、戦争などにより、貨幣価値が大きく下がる可能性もあります。
また、土地や家を所有していれば、それらの価値も気になります。
こうした悩みの原因は、子どもも財産も「自分の所有物」だと思い込んで執着しているからです。
さらに、自分でコントロールしたいと考えてるからです。
しかし、こうした形のあるものだけに頼るのはとても愚かなことです。
なぜなら、 「諸行無常」という言葉があるように、すべては変わりゆくからです。
形あるものはすべて壊れ、消えてしまいます。
また、子どもにしても配偶者にしても、友だちにしても、あなたの所有物ではありません。
あくまで1人の人間です。
誰しもみな自分の意思があるので、あなたの思う通りになるわけがないのです。
ブッダは、「自分の思い通りにならないもの」に対して自分が思うようにコントロールしたいと思い、執着することを、あらゆる苦しみの根源とみなしています。
そうならないためには、自分自身を頼りにし、さらに仏教の教えをよりどころとすることです。
『和尚が伝える ブッダの言葉』大洋図書
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ブッダは、『「苦」の本質は「執着」である』と説いた。
「若さ」に執着するから、「老い」を苦と思う。
「健康」に執着するから、「病気」を苦と思う。
「生命」に執着するから、「死」を苦と思う。
執着とは、「こだわり」や「とらわれ」。
その執着をなくすには、すべてを受け入れること。
現実を受け入れ、すべてを肯定すること。
「若さ」もいいが、「老い」もまたよし、だ。
それを、松下幸之助翁は「好況よし、不況またよし」と言った。
「ああ、そうなりましたか」「そういうことだったんですね」と淡々と受け入れる。
起こることのすべては、「必要、必然、最善」、だからだ。
ブッダが亡くなろうとしているとき、弟子のアーナンダは「ブッダ亡きあと、私たちは何をよりどころとしていけばいいのでしょうか」と尋ねた。
するとブッダは「自灯明(じとうみょう) 法灯明」といった。
自灯明とは、自らをよりどころとしなさい。
自分を信じて、まどわされずに、しっかりと生きていきなさい、と。
法灯明とは、法をよりどころとしなさい。
いつまでも変わらない真理や仏法をよりどころとしなさい、と。
「執着から苦しみが生まれる」という言葉を胸に刻みたい。
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佛心宗大叢山福厳寺住職、大愚元勝(たいぐげんしょう)氏の心に響く言葉より…
【ブッダの言葉】
師は答えた、「子のある者は子について憂い、また牛のある者は牛について憂う。実に人間の憂いは執着するものである。執着するもとのもののない人は、憂うることがない」 (スッタニパータ3)
《執着から苦しみが生まれる》
なぜ、この言葉に牛が登場するかというと、インド人にとって牛は財産だからです。
つまり、子どもや財産を持つ者は、子どもと財産のことで悩み、何も持たない者は悩むことはないと、ブッダは説いています。
自分の子どもが大きくなって、言うことを聞かなくなったり勉強ができなかったり、それこそニートになったりすると、親として心の安定が揺らいでしまう人は多いでしょう。
一方、「財産はあればあるだけいい」と思うかもしれませんが、増えたり減ったりで一喜一憂してしまいます。
たとえば、「1億円を持っています」 と言っても、戦争などにより、貨幣価値が大きく下がる可能性もあります。
また、土地や家を所有していれば、それらの価値も気になります。
こうした悩みの原因は、子どもも財産も「自分の所有物」だと思い込んで執着しているからです。
さらに、自分でコントロールしたいと考えてるからです。
しかし、こうした形のあるものだけに頼るのはとても愚かなことです。
なぜなら、 「諸行無常」という言葉があるように、すべては変わりゆくからです。
形あるものはすべて壊れ、消えてしまいます。
また、子どもにしても配偶者にしても、友だちにしても、あなたの所有物ではありません。
あくまで1人の人間です。
誰しもみな自分の意思があるので、あなたの思う通りになるわけがないのです。
ブッダは、「自分の思い通りにならないもの」に対して自分が思うようにコントロールしたいと思い、執着することを、あらゆる苦しみの根源とみなしています。
そうならないためには、自分自身を頼りにし、さらに仏教の教えをよりどころとすることです。
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ブッダは、『「苦」の本質は「執着」である』と説いた。
「若さ」に執着するから、「老い」を苦と思う。
「健康」に執着するから、「病気」を苦と思う。
「生命」に執着するから、「死」を苦と思う。
執着とは、「こだわり」や「とらわれ」。
その執着をなくすには、すべてを受け入れること。
現実を受け入れ、すべてを肯定すること。
「若さ」もいいが、「老い」もまたよし、だ。
それを、松下幸之助翁は「好況よし、不況またよし」と言った。
「ああ、そうなりましたか」「そういうことだったんですね」と淡々と受け入れる。
起こることのすべては、「必要、必然、最善」、だからだ。
ブッダが亡くなろうとしているとき、弟子のアーナンダは「ブッダ亡きあと、私たちは何をよりどころとしていけばいいのでしょうか」と尋ねた。
するとブッダは「自灯明(じとうみょう) 法灯明」といった。
自灯明とは、自らをよりどころとしなさい。
自分を信じて、まどわされずに、しっかりと生きていきなさい、と。
法灯明とは、法をよりどころとしなさい。
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