AI (ええ愛・Atelier Ichien)

ここは、『AI(ええ愛)』のある人たちの自由な空間です。一つ一つの記事に『AI(ええ愛)』が込もっているものばかりです。

本の紹介です♪

2010年10月24日 | 浜松・はまちゃんコーナー

京都コクーンコンサートで紹介されていて知りました、岡部明美さん著書の「気づきのノート もどっておいで私の元気!」(善文社)を紹介させて頂きます

とても素適な本でした。岡部さんが脳腫瘍になり生死の境をさまよった体験から気づきを得て本にされています

思わずメモした文があり、それを紹介致します

自立

自立とは一人でも生きていく力を身につけながら、人は一人では生きていけない事を心と体の芯から感じ取る事

「自由と孤独」「愛と憎しみ」が背中合わせにある事を知り臆病になってしまったとしてもなおもう一度、心から人と一緒に生きていこうという気持ちが湧き上がるのを静かに待てる自分になる事

これを読んで凄いなと思いました

こんな気づきの・内容によってはとても深いものを得られるような1冊です

宜しければご参考にして頂けましたら・・と思います

今日は日差しも少なく気候も良く行楽日和で、子供と浜松フルーツパークの収穫祭を楽しみました

皆さんもうたしな一日になった事と思います

名古屋では一円さんの素適な絵画教室がなごやかーに行われたと想像致します様子の情報が楽しみです

明日はまたお年寄りとの時間を楽しんできます

皆さんも素適な一日となりますように

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5 コメント

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それとですね~~~ (松本 一円)
2010-10-29 01:21:47
このアトリエ一円のブログでは、

一円はみなさんの迷いを生じるもとを

について究明していこう、

そして、すこしでも迷い悩み暮らすことから

解放されたらいいなってことを

考えていますので、

『自由と孤独』についても考えてみたいと

思うのですが、

自由と孤独が背中合わせということ

なんですけど、これにも、

ちょっと誤解があります。

孤独は一人のことです。

人間はみな孤独。

肉体をもったとき、一人ひとり孤独な存在

となります。

ですから、自由でも、不自由でも、

孤独は孤独なのです。

自由が孤独を意味するわけではなく、

自由も不自由も、どちらも孤独な存在の

人間なんだということ。

ただ、人間は心。魂で、

みんな、生命とつながっています。

だから、その意味では孤独ではけっして

ありません。

この、心でのいつもみんなとのつながり、

生命とのつながりを見出すことができたら、

感じることができたなら、

孤独を感じて暮らすことは金輪際無くなること

でしょう。

そして、自由は一人で孤独のことをかならずしも

意味するわけではありません。

自由な人間は一人なのでしょうか。

いいえ、違います。

自由というのは執着がないということです。

自由とは一人でいることではありません。

一人になってしまう自由は個我の状態。

自分の主張のままに、

あれ欲しい、これ欲しい、ああなりたい、

こうなりたいという塊の自由、

これが個我の自由。

これは調和をみだし、一人になって

しまうことがおおいので、孤独感を感じることが

おおくなるでしょう。

本当の自由は没我・無我の状態でして、

ここで見方考え方が本当に

自由自在になるのでして、

それは神の住所でもありまして、

それはまわりの人たちとの調和の世界。

まったく孤独なものではありません。

多くの、それは多くの生命とつながり

神と生きていることを実感しながら

生きていくことのできる状態で、

まったく孤独を感じることはありません。

また、考え方も自分自身で自由自在に展開

できるフリースタイルを確立できる場所でも

あります。
とはいっても、没我・無我なのですから、

べつに何をするわけでもないんですけど…

これは孤独というものなのでしょうか、

人間はみな孤独なのです。

そして、また孤独でありながら、

心や魂でみんなとつながっているのです。

肉体をもったことで、この孤独な状態は

生まれました。

肉体をもつことはありがたいことなんですけど、

そういう孤独感を感じる要素となることは

しかたのないことなんです。

わたし達は肉体をもつことでできる体験を

この世にしにきたのですから。
あらゆる生命との心のつながり、魂のつながり

を取り戻すことができれば、

孤独感を感じて暮すことはなくなります。
本当の自由とは、このあらゆる生命

との心のつながり、魂のつながりが取り戻された

状態のときに実現されているものなので、

自由と孤独が背中合わせという言葉は

事実と一致しないと一円は考えますし、

そのように考えている限り、

孤独と自由のはざ間で多くの人たちが

迷いかねないし、現に多くの人たちが迷っている

思いましたので、言及しておきました。

みなさんの参考になれば幸いです。

返信する
ハハハハハハ~ (松本一円)
2010-10-26 12:27:25
MARIKAさん、独特の言い回しで、

はまちゃんさんを嬉しい楽しい幸せ~の

園へ飛ばしてくれましたね~

マリカさんどうもありがとう

はまちゃんさんがステキな本を紹介して

くださりましたので、一円も読んでみたい

と思います

このブログでもアフィリエイトの欄から

アマゾンに入って、本を紹介することもで

きるので、はまちゃんさん、皆さん、

ご活用ください
返信する
ふたつのこころ (MARIKA)
2010-10-26 00:14:08
はまちゃんさんの優しくてまっすぐな気持ちは真実駅に走っているんだーーー

男の子女の子
朝と夜表と裏空と海近くと遠く

ふたつのこころ
どなたの前にも現れる

ふたつあるから意味があるのかな

自由と孤独
愛とにくしみ
少しでもや笑いで欲しいから
ひらがながいいかなあ

にくしみは身に苦しだから
忘れようーーー

自由と孤独
自優と個どくに
自分に優しく生き物さんに優しく
どくっぽいものがもしあったら
スマイルビームで削除スルー

はまちゃんさんのスマイルビーム
静岡から宇宙へーーー
返信する
ステキな本の紹介ありがとうございます。 (松本一円)
2010-10-25 16:27:06
はまちゃんさん、

またステキな言葉を紹介してくださり

ありがとうございます

よく噛み締めて消化したい言葉ですね

一つ気になるのは

『愛と憎しみが背中合わせ』

の表現ですね

これは愛でも執着のある愛のことで

一円のいう愛とは違います

一円の愛は執着のない愛で

神の愛です。

執着がない愛だから、憎しみを生じません
言葉でいいあらわすと

神の愛、聖なる愛は

あなたがどうしようと

どんなあなたであろうと

また、あなたになにをされても

なんでもかまわない、

私はあなたを憎むことはない

私はあなたを愛していますです

キリストさんの愛ですね

執着のある愛は

わたしはあなたを愛していますが

思い通りにならないとき

あなたのことを憎みますです

となりましょうか

執着のある愛は愛ではありません、愛に似

て、愛にあらざるものです

愛は憎みません

憎んだら、憎んだときから、それは愛では

なくなったのです

ほんとうの神、愛なる存在は決して

憎みません

憎む存在は魔神に堕ちたのです。

この部分は大切なことなので、

詳細を明かしてみました

はまちゃんさん、いかがですか


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ありがとうございました (なおちゃん)
2010-10-25 15:43:46
はまちゃんさん、ありがとうございました
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