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【丁寧道】4843
武田双雲氏の心に響く言葉より…
きっと、多くの人は、何かを「丁寧にする」というと、ちょっと「ゆっくり」した動きが思い浮かぶのではないでしょうか。
でも辞書的な意味でいうと、「丁寧」とは「注意深く心がゆきとどくこと。また、てあつく礼儀正しいこと」(広辞苑) だそうです。
そう、「ゆっくり」というのは、「丁寧」の定義に含まれていないのです。
もちろん、何かに対して「注意深く心がゆきとどく」とき、あるいは「てあつく礼儀正しい」ときに、動作がゆっくりになる場合はあるでしょう。
だからといって「ゆっくり」が「丁寧」の必要条件というわけではない。
「ゆっくり丁寧に」というのは想像しやすいと思いますが、実は「ゆっくりではない丁寧」もあるのです。
逆方向から考えてみると、もっとイメージしやすいかもしれません。
「丁寧」の逆は「雑」です。
つまり、違いは「丁寧にするか、雑にするか」であって、「速いか、遅いか」ではない。
スピードは関係ないのです。
たとえば、現役時代に日米通算で4367安打を打ったイチロー選手のスイングス ピードは、めちゃくちゃ「速い」ですよね。
イチロー選手は、そんな目にも留まらぬ速さの動作の中で、どんなふうに足を上げるか、どんな軌道でバットを出すか、どんな角度でバットをボールに当てるのか等々、一瞬の時間の中でものすごく「丁寧」にやっていたんじゃないでしょうか。
そうでなければボールをバットの芯で捉えたり、逆にあえて芯を外して内野と外野の間を狙ってヒットを飛ばしたりすることはできなかったでしょう。
守備のときに、ライトで捕ったボールをバックホームするときもそうです。
どこに打球が落ちてくるのか、どんなふうに落下地点まで走るか、どんな体勢で捕球するのがいいか、どんな軌道を狙ってどういった投げ方をするか、こういったことが噛み合わないとランナーをアウトにはできないことでしょう。
でも、その瞬時の判断や動作をおそらくものすごく「丁寧」にやられている。
だから「レーザービーム」なんて呼び名がつけられるくらい、正確にボールをホーム に届けることができたわけです。
もう一つ例を挙げましょう。
速さでいえば、極めつけはF1レースです。
時速300キロなんていう、常人では耐えられないようなスピードを出す中で、周りのレーサーの動きを把握し、無線でチームからの指示もイヤホンで聞きながら、ハンドルも常に意識して、ギリギリのコースを攻めていく。
ハンドル操作一つ誤れば、一瞬でクラッシュして命を落としてしまう。
スピードを競う人たちほど「丁寧」を意識しているはずで、「丁寧にすると遅い」というのは、イメージからくる誤解なのです。
スポーツ選手ではない方であっても、「丁寧」「遅い」というのは当てはまります。
「丁寧」をある程度の期間やってみていただければ体感できてくるのですが、丁寧のほうが結果的になぜか早い。
というのも、丁寧じゃない人は焦っていることが多いので、雑になってトラブルが起きやすくなる。
まさに「急がば回れ」っていうことわざのとおりなんです。
たとえば、お皿洗いのアルバイトをしているとします。
雑にガチャガチャ洗っていれば、目先のスピードという成果は一応得られるかもしれません。
でも、雑に洗うと汚れが残りやすいうえに、お皿を乱暴に扱って欠けたり割れたりする確率も高くなるので、総合的な意味での成果は低くなるでしょう。
それに、雑にしていると心が荒い状態なので、ちょっと油汚れがひどい食器が運ばれてきたりすると、すぐに自分の機嫌がイラッとする方向に反応してしまいます。
そしてイラッとするたびに作業の流れが止まります。
一方、丁寧に洗うと、目先の時間は多少かかるかもしれないけれど、まず汚れは残らないし、破損の確率も格段に低くなります。
それに、心が整うので体感時間として長時間に感じず、サクサク淡々とお皿を洗っていくことができます。
油がこびりついた食器が運ばれてきても、少しも心を乱されずに「あ、これね、オッケー♪」っていう感じで、スーッと汚れ落としに取りかかることができるでしょう。
そして実は思っているほど、せかせか洗っているときと、丁寧に洗っているときで、 実際の時間の差もありません。
つまり、結果的に「より早く、よりきれいに、お皿の破損もない」というパーフェク トな成果を得られるのは、一見スピードだけは速い「雑」よりも「丁寧」のほう、ということになります。
こんなふうに「丁寧」ならば、質・量ともに望んだことが叶います。
また、あらゆる仕事にも同じことがいえると思います。
『丁寧道』祥伝社
https://amzn.to/3pqwlmC
丁寧に生きるとは、些事(さじ)をゆるがせにしない、ということ。
些事とは、小さなこと、小事のこと。
「ゆるがせ」とは大和言葉で、一つひとつのことにしっかり向き合うこと、いいかげんにしておかないこと。
つまり、「小事が大事」ということだ。
小事をおろそかにしておくと、やがて大事になってしまう。
それはたとえば、森信三先生の「しつけの三原則」。
「あいさつ」「ハイという返事」「後始末きちんと(ぬいだクツはそろえる)」
これを「下学(かがく)」という。
身近で初歩的な簡単なことから学ぶということ。
「下学して上達す」(森信三 一日一語)より
下学とは日常の雑事を尽すの意。
それゆえ日常の雑事雑用を軽んじては、真の哲学や宗教の世界には入りえないというほどの意味。
「遅刻をしない」「返信はすぐに」「整理整頓清掃」「丁寧な応対をする」「傾聴の姿勢」「笑顔の実行」「感謝の実践」「愛語を使う」「お先にどうぞの気持ち」…
丁寧道の実践を重ねたい。
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武田双雲氏の心に響く言葉より…
きっと、多くの人は、何かを「丁寧にする」というと、ちょっと「ゆっくり」した動きが思い浮かぶのではないでしょうか。
でも辞書的な意味でいうと、「丁寧」とは「注意深く心がゆきとどくこと。また、てあつく礼儀正しいこと」(広辞苑) だそうです。
そう、「ゆっくり」というのは、「丁寧」の定義に含まれていないのです。
もちろん、何かに対して「注意深く心がゆきとどく」とき、あるいは「てあつく礼儀正しい」ときに、動作がゆっくりになる場合はあるでしょう。
だからといって「ゆっくり」が「丁寧」の必要条件というわけではない。
「ゆっくり丁寧に」というのは想像しやすいと思いますが、実は「ゆっくりではない丁寧」もあるのです。
逆方向から考えてみると、もっとイメージしやすいかもしれません。
「丁寧」の逆は「雑」です。
つまり、違いは「丁寧にするか、雑にするか」であって、「速いか、遅いか」ではない。
スピードは関係ないのです。
たとえば、現役時代に日米通算で4367安打を打ったイチロー選手のスイングス ピードは、めちゃくちゃ「速い」ですよね。
イチロー選手は、そんな目にも留まらぬ速さの動作の中で、どんなふうに足を上げるか、どんな軌道でバットを出すか、どんな角度でバットをボールに当てるのか等々、一瞬の時間の中でものすごく「丁寧」にやっていたんじゃないでしょうか。
そうでなければボールをバットの芯で捉えたり、逆にあえて芯を外して内野と外野の間を狙ってヒットを飛ばしたりすることはできなかったでしょう。
守備のときに、ライトで捕ったボールをバックホームするときもそうです。
どこに打球が落ちてくるのか、どんなふうに落下地点まで走るか、どんな体勢で捕球するのがいいか、どんな軌道を狙ってどういった投げ方をするか、こういったことが噛み合わないとランナーをアウトにはできないことでしょう。
でも、その瞬時の判断や動作をおそらくものすごく「丁寧」にやられている。
だから「レーザービーム」なんて呼び名がつけられるくらい、正確にボールをホーム に届けることができたわけです。
もう一つ例を挙げましょう。
速さでいえば、極めつけはF1レースです。
時速300キロなんていう、常人では耐えられないようなスピードを出す中で、周りのレーサーの動きを把握し、無線でチームからの指示もイヤホンで聞きながら、ハンドルも常に意識して、ギリギリのコースを攻めていく。
ハンドル操作一つ誤れば、一瞬でクラッシュして命を落としてしまう。
スピードを競う人たちほど「丁寧」を意識しているはずで、「丁寧にすると遅い」というのは、イメージからくる誤解なのです。
スポーツ選手ではない方であっても、「丁寧」「遅い」というのは当てはまります。
「丁寧」をある程度の期間やってみていただければ体感できてくるのですが、丁寧のほうが結果的になぜか早い。
というのも、丁寧じゃない人は焦っていることが多いので、雑になってトラブルが起きやすくなる。
まさに「急がば回れ」っていうことわざのとおりなんです。
たとえば、お皿洗いのアルバイトをしているとします。
雑にガチャガチャ洗っていれば、目先のスピードという成果は一応得られるかもしれません。
でも、雑に洗うと汚れが残りやすいうえに、お皿を乱暴に扱って欠けたり割れたりする確率も高くなるので、総合的な意味での成果は低くなるでしょう。
それに、雑にしていると心が荒い状態なので、ちょっと油汚れがひどい食器が運ばれてきたりすると、すぐに自分の機嫌がイラッとする方向に反応してしまいます。
そしてイラッとするたびに作業の流れが止まります。
一方、丁寧に洗うと、目先の時間は多少かかるかもしれないけれど、まず汚れは残らないし、破損の確率も格段に低くなります。
それに、心が整うので体感時間として長時間に感じず、サクサク淡々とお皿を洗っていくことができます。
油がこびりついた食器が運ばれてきても、少しも心を乱されずに「あ、これね、オッケー♪」っていう感じで、スーッと汚れ落としに取りかかることができるでしょう。
そして実は思っているほど、せかせか洗っているときと、丁寧に洗っているときで、 実際の時間の差もありません。
つまり、結果的に「より早く、よりきれいに、お皿の破損もない」というパーフェク トな成果を得られるのは、一見スピードだけは速い「雑」よりも「丁寧」のほう、ということになります。
こんなふうに「丁寧」ならば、質・量ともに望んだことが叶います。
また、あらゆる仕事にも同じことがいえると思います。
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丁寧に生きるとは、些事(さじ)をゆるがせにしない、ということ。
些事とは、小さなこと、小事のこと。
「ゆるがせ」とは大和言葉で、一つひとつのことにしっかり向き合うこと、いいかげんにしておかないこと。
つまり、「小事が大事」ということだ。
小事をおろそかにしておくと、やがて大事になってしまう。
それはたとえば、森信三先生の「しつけの三原則」。
「あいさつ」「ハイという返事」「後始末きちんと(ぬいだクツはそろえる)」
これを「下学(かがく)」という。
身近で初歩的な簡単なことから学ぶということ。
「下学して上達す」(森信三 一日一語)より
下学とは日常の雑事を尽すの意。
それゆえ日常の雑事雑用を軽んじては、真の哲学や宗教の世界には入りえないというほどの意味。
「遅刻をしない」「返信はすぐに」「整理整頓清掃」「丁寧な応対をする」「傾聴の姿勢」「笑顔の実行」「感謝の実践」「愛語を使う」「お先にどうぞの気持ち」…
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