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【世代を超えた人脈】5064
明治大学教授、齋藤孝氏の心に響く言葉より…
同世代とつき合うのはラクだ。
たとえば小・中・高・大・社会人と同窓会的な集まりに出向くと気を遣わないでいい。
しかしそれだけに、自ら意識していないと同じ世代とのつき合いに限定されていく傾向にある。
ちょっと世間の幅が狭くなる。
市民大学などでは、受講者は六十代の方が多い。
その中に四十代くらいの人がいると、ちょっと目にとまる。
世間感覚では決して若いと言える年齢ではないが、周囲から「若い人は感覚が違うね」と言われたりする。
若い人ほど一回り二回り上の人と交わるメリットは大きい。
彼らの経験知に触れることで自分自身の幅が広がってくる。
私の父は大正の末の生まれなので、戦後生まれの人とは明らかに人生観や価値観が違う。
明治生まれ、大正生まれ、昭和ヒトケタ生まれ、とそれぞれ違う。
日本人の気骨の面からでも変化を感じとれる。
どんな世界でも自分を引き上げてくれるのは、同世代ではなく世代が上の人である。
彼らの好意を得たり誼を結ぶことは大事で、むしろ積極的に飛び込むくらいがいい。
いまの五十代は昔ほど怖くない。
話しやすい。
仕事関連なら「どんな仕事でもいい から手伝わせてください」とストレートに迫るのもいい。
仕事ができる人は人手をほしがっているから、気に入れば有料で仕事を依頼してくる。
そうやって人から人へと 人脈を広げていく。
幕末の維新があれほどの熱気をもって行なわれたのは、世代を超えて人脈が広がっていったからだ。
幕末の思想家、吉田松陰や佐久間象山の元に人が集まり、紹介から紹介で勝海舟、 西郷隆盛などに人が結集していった。
当時は情報化社会ではないが、面と向かって会った志士の数は驚くほど多い。
案外身軽に遠くまで出向いて会っている。
そういう動きが結集していくと、「ああ、あの人知っているよ」となり、社会的パワーを引き起こす。
フランスの社会学者ピエール・ブルデューは、それを社会資本と呼んだ。お金の資本ではなく人間関係の資本のこと。
これがある人は強い。
人脈は強力だ。
「じゃあ、この件はよろしくね」と頼むだけで一件落着することも多い。
自分と同世代のコミュニケーションだけだと刺激が少なく、情報の窓は閉じがちになる。
上や下の世代とのコミュニケーションはこれを開く感じになる。
十二支の 「ネ・ウシ・トラ・ウ......」という一巡りはよくできていて、世代間の距離感を把握しやすい。
自分より若い世代と遊ぶのは、上の世代にとって大事なチャンスだ。
若さというの は非常に魅力的なもので、たとえば幼稚園児から高校生まで、たいていは中高年より は、大学生のお兄さん、お姉さんのところへ集まっていく。
人は、若くてエネルギーのある人間が基本的に好きなのだ。
年をとった人は若い人たちと遊べること自体ありがたいことなのだから、説教などしないでお金を置いていくとか、やあ楽しかったと声をかけるくらいでいい。
私も卒業した教え子たちと飲むことがある。
気心も知れているので教え子というよりお互い同志的なところもあって、二次会にカラオケへ行って盛り上がったりする。
彼らとは一回り以上違うから結構刺激がある。
学生たちと夏合宿をすると三十代のOBも顔を見せる。彼らは若い学生たちの空気に触れるだけで元気が出ると口を揃える。
『“ちょっと尊敬”される人になる本』三笠書房
https://amzn.to/3zZjXz8
安岡正篤先生は「斡旋の才」についてこう述べている。(東洋人物学/致知出版社)
鎮西(ちんぜい)第一の人物と称された、真木和泉(まきいずみ)は、
『此にいふ才は斡旋の才といひて、人事をなす才なり、いかばかり善い人にても、いかほどの徳ありても、人として此の斡旋の才なきものは世の用に立つことなく、無用のものなり。
たとひ無学にてもこの斡旋の才あるものは、何事にあたりても功を成し用立つなり』と語った。
鎮西とは九州のこと。
九州一の風格と讃嘆された真木和泉は、人物たるにふさわしい条件をいくつかあげているが、その中の最も大事なものが斡旋の才だという。
どんなに、人事の才能があっても、善人であろうが、徳があっても、人を斡旋する才能がなければ、世の中では役に立たない。
誰と誰を紹介するという、斡旋の才能がある者は、無学であっても、人物たるにふさわしい。
斡旋とはただ単に、仲を取り持ったり、なかだちをするだけでなく、その人にふさわしい、あるいは役に立つ人物や、物品を斡旋するということ。
斡旋は利己的な人はできない。
人の世話をいとわない、大らかな性格で、双方に喜んでもらいたいという利他の心が必要だ。
世代を超えた人脈にも、まさにこの「斡旋の才」が必要となる。
斡旋というのは、紹介の連鎖で人脈を広げるということだからだ。
年配者の中には、往々にして、偉そうになってしまう人がいるが、そういう人は真っ先に若い人から嫌われる、ということを覚えておいた方がいい。
斡旋の才を身に付け…
世代を超えた人脈を広げられる人でありたい。
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明治大学教授、齋藤孝氏の心に響く言葉より…
同世代とつき合うのはラクだ。
たとえば小・中・高・大・社会人と同窓会的な集まりに出向くと気を遣わないでいい。
しかしそれだけに、自ら意識していないと同じ世代とのつき合いに限定されていく傾向にある。
ちょっと世間の幅が狭くなる。
市民大学などでは、受講者は六十代の方が多い。
その中に四十代くらいの人がいると、ちょっと目にとまる。
世間感覚では決して若いと言える年齢ではないが、周囲から「若い人は感覚が違うね」と言われたりする。
若い人ほど一回り二回り上の人と交わるメリットは大きい。
彼らの経験知に触れることで自分自身の幅が広がってくる。
私の父は大正の末の生まれなので、戦後生まれの人とは明らかに人生観や価値観が違う。
明治生まれ、大正生まれ、昭和ヒトケタ生まれ、とそれぞれ違う。
日本人の気骨の面からでも変化を感じとれる。
どんな世界でも自分を引き上げてくれるのは、同世代ではなく世代が上の人である。
彼らの好意を得たり誼を結ぶことは大事で、むしろ積極的に飛び込むくらいがいい。
いまの五十代は昔ほど怖くない。
話しやすい。
仕事関連なら「どんな仕事でもいい から手伝わせてください」とストレートに迫るのもいい。
仕事ができる人は人手をほしがっているから、気に入れば有料で仕事を依頼してくる。
そうやって人から人へと 人脈を広げていく。
幕末の維新があれほどの熱気をもって行なわれたのは、世代を超えて人脈が広がっていったからだ。
幕末の思想家、吉田松陰や佐久間象山の元に人が集まり、紹介から紹介で勝海舟、 西郷隆盛などに人が結集していった。
当時は情報化社会ではないが、面と向かって会った志士の数は驚くほど多い。
案外身軽に遠くまで出向いて会っている。
そういう動きが結集していくと、「ああ、あの人知っているよ」となり、社会的パワーを引き起こす。
フランスの社会学者ピエール・ブルデューは、それを社会資本と呼んだ。お金の資本ではなく人間関係の資本のこと。
これがある人は強い。
人脈は強力だ。
「じゃあ、この件はよろしくね」と頼むだけで一件落着することも多い。
自分と同世代のコミュニケーションだけだと刺激が少なく、情報の窓は閉じがちになる。
上や下の世代とのコミュニケーションはこれを開く感じになる。
十二支の 「ネ・ウシ・トラ・ウ......」という一巡りはよくできていて、世代間の距離感を把握しやすい。
自分より若い世代と遊ぶのは、上の世代にとって大事なチャンスだ。
若さというの は非常に魅力的なもので、たとえば幼稚園児から高校生まで、たいていは中高年より は、大学生のお兄さん、お姉さんのところへ集まっていく。
人は、若くてエネルギーのある人間が基本的に好きなのだ。
年をとった人は若い人たちと遊べること自体ありがたいことなのだから、説教などしないでお金を置いていくとか、やあ楽しかったと声をかけるくらいでいい。
私も卒業した教え子たちと飲むことがある。
気心も知れているので教え子というよりお互い同志的なところもあって、二次会にカラオケへ行って盛り上がったりする。
彼らとは一回り以上違うから結構刺激がある。
学生たちと夏合宿をすると三十代のOBも顔を見せる。彼らは若い学生たちの空気に触れるだけで元気が出ると口を揃える。
『“ちょっと尊敬”される人になる本』三笠書房
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安岡正篤先生は「斡旋の才」についてこう述べている。(東洋人物学/致知出版社)
鎮西(ちんぜい)第一の人物と称された、真木和泉(まきいずみ)は、
『此にいふ才は斡旋の才といひて、人事をなす才なり、いかばかり善い人にても、いかほどの徳ありても、人として此の斡旋の才なきものは世の用に立つことなく、無用のものなり。
たとひ無学にてもこの斡旋の才あるものは、何事にあたりても功を成し用立つなり』と語った。
鎮西とは九州のこと。
九州一の風格と讃嘆された真木和泉は、人物たるにふさわしい条件をいくつかあげているが、その中の最も大事なものが斡旋の才だという。
どんなに、人事の才能があっても、善人であろうが、徳があっても、人を斡旋する才能がなければ、世の中では役に立たない。
誰と誰を紹介するという、斡旋の才能がある者は、無学であっても、人物たるにふさわしい。
斡旋とはただ単に、仲を取り持ったり、なかだちをするだけでなく、その人にふさわしい、あるいは役に立つ人物や、物品を斡旋するということ。
斡旋は利己的な人はできない。
人の世話をいとわない、大らかな性格で、双方に喜んでもらいたいという利他の心が必要だ。
世代を超えた人脈にも、まさにこの「斡旋の才」が必要となる。
斡旋というのは、紹介の連鎖で人脈を広げるということだからだ。
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