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ハンサムウーマン、新島八重 人の心に灯をともす 1217より

2012年12月25日 | 
一円さん♪の愛読しているメールマガジンよりお福分けさせていただきます…(^人^)
写真は…ゆらゆら~のいねさん♪の提供です…(^人^)ありがとうございます…m(__)m☆☆☆


【ハンサムウーマン、新島八重】№1217


「新島八重 ハンサムな女傑の生涯」の中から、心に響く言葉より…



その個性から、「幕末のジャンヌ・ダルク」「ハンサムウーマン」「悪妻」など、さまざまに語られる新島八重。


会津藩の砲術師範・山本家に生まれた八重は、幼いころから力持ちで負けず嫌い。

兄に教わった砲術を、近所の子どもに教えていました。


八重のふるさと・会津若松は、戊辰戦争で官軍に包囲されます。

八重は城内に入り、鉄砲を手に奮戦しますが、衆寡敵せず、会津藩は降伏します。

この戦争で、八重は父と弟をはじめとする多くの縁者を亡くします。


八重と婚約した新島襄は、彼にとって「アメリカの母」であるハーディ夫人に宛てた手紙の中で、彼女の写真を同封した上で、

「彼女は決して美人ではありません。しかし、私が彼女について知っているのは、美しい行いをする人(person who does handsome)だということです」

と、紹介しました。

要するに襄は、容姿よりも、八重の美しい心根に魅かれたのです。


キリスト教教育の夢を叶えるため、多忙を極める夫の同伴者として、八重は献身的に襄を支えます。

「厳格」・「慎重」な夫に対し、「快活」・「豪縦」な妻という、真逆の性格を持った二人でした。


襄はその死に際し

「グッドバイ、また会わん」

と言い残したといわれています。

襄にとって、八重は終生「我最愛ノ友」でした。

『新島八重 ハンサムな女傑の生涯』(同志社同窓会・編)淡交社



新島八重の夫、新島襄は同志社の創設者だ。

八重は、若い頃一度結婚し、襄とは二度目の結婚だったが、襄が47歳と若くして亡くなったため、結婚生活はわずか14年間だった。


襄は、妻に「八重さん」と声をかけるが、八重は夫を「襄」と呼んだ。

アメリカ教育を受けた襄は、妻に限らず、生徒・女中・用務員に対しても「○○さん」と呼びかける人であったという。


戊辰戦争のときは、髪を断ち、弟・三郎の形見の袴を着て男装していた八重。

負けず嫌いで、勇敢で、しかも変化を恐れない柔軟な心も持っていた。


明治には、魅力あるハンサムウーマンがいた。





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