夢二画集
国会図書館のデジタル化資料は以下の通り
1 info:ndljp/pid/851910 夢二画集. 春の巻 図書
竹久夢二 画 (洛陽堂, 1911)
2 info:ndljp/pid/851911 夢二画集. 夏の巻 図書
竹久夢二 画 (洛陽堂, 1911)
3 info:ndljp/pid/851912 夢二画集. 秋の巻 図書
竹久夢二 画 (洛陽堂, 1911)
4 info:ndljp/pid/851913 夢二画集. 冬の巻 図書
竹久夢二 画 (洛陽堂, 1911)
大正3年に縮刷版・夢二画集が出版される。これには洛陽堂から出された初版と再版と、版権が他社に譲渡された後に出された三英堂版/蜻蛉館書店/若月書店などがあるようだ。洛陽堂・再版において夢二いわく、初版は複数の彫刻家が自分の原画を木版化したけれど、自分の意図とはちょっと違うので、一部画像の順番などを入れ替え、自分の意図に近付けるために再版を出したと断っている。
蜻蛉館書店・初版はこんな感じだ。大正6年、作家宇野浩二は26歳のとき生活に窮したため東京神田錦町の出版社蜻蛉館(社長・加藤好造)に「水上潔」の変名で勤務し、文芸雑誌「処女文壇」を編集。したがって宇野が大正5、6年ころ「縮刷・夢二画集」の版権が洛陽堂から蜻蛉館書店に譲渡された裏事情を聞き知っていた可能性もある。
復刻版(ほるぷ出版)は残念ながら洛陽堂・初版を使っている。
復刻版は製紙段階に紙に入った縦の筋を生かさず、横筋状態で印刷している点と、コントラストを強調気味の写真印刷のため、元版に見られる絵像の微妙な細部がことごとく潰れてしまっており、概ね不良である。
シミは無い。
復刻版では夢二版画のよさが微妙に損なわれている.この画文は「夢二画集・夏の巻」から。
これは俳画集でもないし、一コマ漫画集でもないし、新感覚の絵本?
わたしが入手した再版は「背」の部分にわずかながら破れがあるが全体としては状態がよかった。扉絵に朱色で竹久の「久」の字が丸久マークで入っている。游古洞の女主人の話では鎌倉に住んでいた「外山賢三」(画家)の旧蔵書らしい。
游古洞・女主人の増田多賀子さんwrote
「この方は一応画家だったらしく(大成はしなかったようです)、ずっと以前に板絵の油彩画をたくさん買ったことがあって、その時この方は明治の学者で東大総長でもあった外山正一の子供だか親戚だかということを聞いたのが記憶に残っていて、この本はその時買ったものではありませんが、字体をみてすぐわかりました。」
国会図書館のデジタル化資料は以下の通り
1 info:ndljp/pid/851910 夢二画集. 春の巻 図書
竹久夢二 画 (洛陽堂, 1911)
2 info:ndljp/pid/851911 夢二画集. 夏の巻 図書
竹久夢二 画 (洛陽堂, 1911)
3 info:ndljp/pid/851912 夢二画集. 秋の巻 図書
竹久夢二 画 (洛陽堂, 1911)
4 info:ndljp/pid/851913 夢二画集. 冬の巻 図書
竹久夢二 画 (洛陽堂, 1911)
大正3年に縮刷版・夢二画集が出版される。これには洛陽堂から出された初版と再版と、版権が他社に譲渡された後に出された三英堂版/蜻蛉館書店/若月書店などがあるようだ。洛陽堂・再版において夢二いわく、初版は複数の彫刻家が自分の原画を木版化したけれど、自分の意図とはちょっと違うので、一部画像の順番などを入れ替え、自分の意図に近付けるために再版を出したと断っている。
蜻蛉館書店・初版はこんな感じだ。大正6年、作家宇野浩二は26歳のとき生活に窮したため東京神田錦町の出版社蜻蛉館(社長・加藤好造)に「水上潔」の変名で勤務し、文芸雑誌「処女文壇」を編集。したがって宇野が大正5、6年ころ「縮刷・夢二画集」の版権が洛陽堂から蜻蛉館書店に譲渡された裏事情を聞き知っていた可能性もある。
復刻版(ほるぷ出版)は残念ながら洛陽堂・初版を使っている。
復刻版は製紙段階に紙に入った縦の筋を生かさず、横筋状態で印刷している点と、コントラストを強調気味の写真印刷のため、元版に見られる絵像の微妙な細部がことごとく潰れてしまっており、概ね不良である。
シミは無い。
復刻版では夢二版画のよさが微妙に損なわれている.この画文は「夢二画集・夏の巻」から。
これは俳画集でもないし、一コマ漫画集でもないし、新感覚の絵本?
わたしが入手した再版は「背」の部分にわずかながら破れがあるが全体としては状態がよかった。扉絵に朱色で竹久の「久」の字が丸久マークで入っている。游古洞の女主人の話では鎌倉に住んでいた「外山賢三」(画家)の旧蔵書らしい。
游古洞・女主人の増田多賀子さんwrote
「この方は一応画家だったらしく(大成はしなかったようです)、ずっと以前に板絵の油彩画をたくさん買ったことがあって、その時この方は明治の学者で東大総長でもあった外山正一の子供だか親戚だかということを聞いたのが記憶に残っていて、この本はその時買ったものではありませんが、字体をみてすぐわかりました。」