日毎の糧

聖書全巻を朝ごとに1章づつ通読し、学び、黙想しそこから与えられた霊想録である。

思い起こす、喜び歌い感謝をささげる声

2013-04-05 | Weblog
  詩42篇 

  5節「わたしは魂を注ぎ出し、思い起こす 喜び歌い感謝をささげる声の中を祭りに集う人の群れと共に進み神の家に入り、ひれ伏したことを」(新共同訳)

  1節「指揮者によって。マスキール。コラの子の詩」。43篇に表題が無いことと、6節、12節と、43篇5節に同じ繰り返しがある処から、この二つは連続した詩とみなされる。
  2節「涸れた谷に鹿が水を求めるように 神よ、わたしの魂はあなたを求める」。かつてはエルサレム巡礼の行列を導いた音楽を奏でる者であったが(43篇4節)、今は捕囚によりエルサレムと神殿から追放され、異教徒に苦しめられ激しい嘆きの中にある。干上がった川床で鹿が水を求めて喘ぐように、わたしの魂はあなたを慕い喘いでいるという。
  3節「神に、命の神に、わたしの魂は渇く。いつ御前に出て 神の御顔を仰ぐことができるのか」。エルサレムの神殿に詣でて主を賛美する日を待ち望むわたしには、涙は昼も夜もパンのようであり、お前の神は何処にいるのかと人々の嘲笑が聞こえてくる(4節)。わが上に魂を注ぎ出して私は思い起こす。それは喜びと感謝の声を聞きながら神の家まで祭りを祝う群衆の中を通り過ぎることである(5節)。岩波訳「祭りを祝う群衆の歓呼と讃えの声の中」である。「心を注ぎ出す」は魂が空になる程に思いを集中することである。
  6節「なぜうなだれるのか、わたしの魂よ なぜ呻くのか。神を待ち望め。わたしはなお、告白しよう『御顔こそ、わたしの救い』と」。前述の通り12節、43篇5節で繰り返される。「うなだれるのか」、岩波訳「くずおれる」。「呻くのか」、口語訳「思い乱れるのか」。しかしなお、神の御顔の救いを仰いで、神に感謝する(7節)。
  8節「あなたの注ぐ激流のとどろきにこたえて、深淵は深淵に呼ばわり、砕け散るあなたの波はわたしを越えて行く」。ヘルモンとミザルの山頂から雪溶けの水が激流となってヨルダン川に注ぐ光景を思い描き、その轟きに神の声を聞き取ろうとしている。大水の轟は苦難を象徴している。昼は激流の中に神の慈しみを読み取り、夜はその轟の中に神への賛美を感じ取って心を注いで祈るのである(9節)。そこに不動の「岩なる神」が見えてくる(10節)。
  詩篇には、神への切なる待望と祈りの信仰が示される。
  ①過去に与えられた神の御業を思い起こす(5節)
  ②命の神を慕い求めて、祈りに心を注ぐ(2~3節)。
  ③そして神を待望する(6、12節)
  ④祈りが応えられたと確信して、神への感謝の賛美を捧げる(43章:4節)。