日毎の糧

聖書全巻を朝ごとに1章づつ通読し、学び、黙想しそこから与えられた霊想録である。

神を知らぬ者は心に言う『神などない』と

2013-04-18 | Weblog
  詩53篇 

  2節「神を知らぬ者は心に言う 『神などない』と。人々は腐敗している。忌むべき行いをする。善を行う者はいない」(新共同訳)

  1~2節「指揮者によって。マハラトに合わせて。マスキール。ダビデの詩。神を知らぬ者は心に言う『神などない』と。人々は腐敗している。忌むべき行いをする。善を行う者はいない」。本詩は14篇と殆ど原形は同じである。「神を知らぬ者」口語訳「愚かな者(ナヴァル)」 52篇では「力ある者」であったが、本詩は背信の民に対する呼び掛けである。神を信じない者の腐敗した有様を激しく告発する。「目覚めた人」口語訳「賢い者(マスキール)」と対照的である(3節)。ここでは神を求めず、『神などいない』という人類の無神論的堕落が言い表されている。この歴史的事実をローマの手紙3章10節以下に引用されている。天の御座から見下ろされる神は、これを一笑に付される(2篇4節see)。「腐敗している」は食物の腐敗した状態を指し、「汚れている」と同じである。イスラエルの祭儀で供え物には厳密に腐敗を避ける規定がある。例えば酵母をいれないパンがそうである(出エジプト12章8節、レビ記2章11節)。
  4節「だれもかれも背き去った。皆ともに、汚れている。善を行う者はいない。ひとりもいない」。ここで「汚れている・善を行う者はいない」を繰り返して強調する(2節)。「だれもかれも背き去った」は、直訳「皆が一緒にしり込みし堕落する」で、心の頑なさが堕落の原因となっている。この箇所がローマ3章10~12節で「悟る者、神を探し求める者」がいないとして引用される。「パンを食らうかのように、わたしの民を食らう者」(5節)とは2節に指摘されている通り、経済的搾取による不義不正を示す。そこで、神を恐れない者に向って呼び掛ける(6節)。
  6節「それゆえにこそ、大いに恐れるがよい、かつて、恐れたこともなかった者よ。あなたに対して陣を敷いた者の骨を、神はまき散らされた。神は彼らを退けられ、あなたは彼らを辱めた」。「神を恐れない者」とは不信心なイスラエルの民を指している。それは何か。「あなたに対して陣を敷いた者」とは、敵が周囲に陣を敷いて攻撃する有り様である。「骨をまき散らす」とは死後に正当に扱われないことで、死者を辱める行為である。口語訳が判りやすい。「神はよこしまな者の骨を散らされるからである。神が彼らを捨てられるので、彼らは恥をこうむるであろう」。このような歴史的な状況が何時起きたかは不明である。
  7節「どうか、イスラエルの救いが、シオンから起こるように。神が御自分の民、捕われ人を連れ帰られるとき、ヤコブは喜び躍り、イスラエルは喜び祝うであろう」。最後は神の助けと全き救いに対する待望を歌う。バビロン捕囚からの解放が想定されるが、それならば「神を知らぬ者」(1節)とは、イスラエルを攻撃したバビロンを指すことになる(紀元前598~586年)。「大いなる恐れ」(6節)とはこのことを指しているといえよう。
  しかし本詩には、ローマ3章に引用されている通り、すべての民の罪過が伺われる。