詩59篇
11節「神はわたしに慈しみ深く、先立って進まれます。わたしを陥れようとする者を、神はわたしに支配させてくださいます」(新共同訳)
2節「わたしの神よ、わたしを敵から助け出し、立ち向かう者からはるかに高く置いてください」。1節の表題は、サムエル記上9章11~17節に出てくる。「見張らせたとき」とはダビデを襲撃しようと見張りを立てている様子が伺える。「高く置く」のは、身張りを意識しているからである。敵、立ち向かう者、悪を行う者、流血の罪を犯す者から救ってくださいと神に訴えている(3節)。
4節「御覧ください、主よ、力ある者がわたしの命をねらって待ち伏せし、争いを仕掛けて来ます。罪もなく過ちもなく」。「御覧下さい」は待ち伏せしているわたしの命を見て下さいということで8節と同じ。5節では「わたしに向かって目覚めて、見て下さい」と強く神の眼差しを求める。6節ではすべての民を「罰する」(検閲する、注意する)ために、目を覚まして下さいと祈る。何故なら「あなたは主、万軍の神、イスラエルの神」だからだという。
7節「夕べになると彼らは戻って来て 犬のようにほえ、町を巡ります」。同じ言葉が15~16節に繰返されている。敵対する者を犬になぞらえている。聖書では好ましくない動物である(22篇17節)。
8節「御覧ください、彼らの口は剣を吐きます。その唇の言葉を誰が聞くに堪えるでしょう」。「口は剣を吐きます」直訳「剣を彼らの口で注ぎ出す」だが、これは野犬が夜中餌を求めて吠える有り様を表現している。しかしあなたは彼らを笑い、すべての民らを嘲笑っている(9節)。
10節「わたしの力よ、あなたを見張って待ちます。まことに神はわたしの砦の塔」。神の慈愛を求める。直訳「彼の力は あなたに 私は見守ろう」で、主語が不明である。「見張る・見守る」は「褒め歌う」とも訳せる。口語訳「わが力よ、わたしはあなたにむかってほめ歌います」岩波訳「わが守りよ、あなたに私は待ち焦がれます」は独特である。
11節「神はわたしに慈しみ深く、先立って進まれます。わたしを陥れようとする者を、神はわたしに支配させてくださいます」。「先立って進む」は「出迎える」という意味もある。口語訳「わが神は…わたしを迎えられる」。「支配させて~」は「見せて」である。口語訳が判りやすい。わが神はわたしに敵の敗北を見させられるのである。見せしめのために殺さないで、倒れさせないで下さいと願う(12節)。
13節「口をもって犯す過ち、唇の言葉、傲慢の罠に、自分の唱える呪いや欺く言葉の罠に、彼らが捕えられますように」。因果応報で、敵対者の滅びとイスラエルの神の支配を祈る。呪いや欺く言葉の罠が自分自身にふりかかり、ひとりも残らず滅ぼしてくださいという(14節)。
17節「わたしは御力をたたえて歌をささげ 朝には、あなたの慈しみを喜び歌います。あなたはわたしの砦の塔、苦難の日の逃れ場」。「しかし」(原文にある)は、16節までの嘆願と祈りを受けた接続詞である。あなたは「わたしの力の神」として、救いの喜びを讃美する。「慈しみ深い方」「砦の塔」が繰り返される(18節)。「わたしの力と頼む神」。10節にもある。直訳「わが力よ」(ウズィ)で岩波訳「わが守りよ」、新改訳「わが力」NKJV「O my Strength,」である。
11節「神はわたしに慈しみ深く、先立って進まれます。わたしを陥れようとする者を、神はわたしに支配させてくださいます」(新共同訳)
2節「わたしの神よ、わたしを敵から助け出し、立ち向かう者からはるかに高く置いてください」。1節の表題は、サムエル記上9章11~17節に出てくる。「見張らせたとき」とはダビデを襲撃しようと見張りを立てている様子が伺える。「高く置く」のは、身張りを意識しているからである。敵、立ち向かう者、悪を行う者、流血の罪を犯す者から救ってくださいと神に訴えている(3節)。
4節「御覧ください、主よ、力ある者がわたしの命をねらって待ち伏せし、争いを仕掛けて来ます。罪もなく過ちもなく」。「御覧下さい」は待ち伏せしているわたしの命を見て下さいということで8節と同じ。5節では「わたしに向かって目覚めて、見て下さい」と強く神の眼差しを求める。6節ではすべての民を「罰する」(検閲する、注意する)ために、目を覚まして下さいと祈る。何故なら「あなたは主、万軍の神、イスラエルの神」だからだという。
7節「夕べになると彼らは戻って来て 犬のようにほえ、町を巡ります」。同じ言葉が15~16節に繰返されている。敵対する者を犬になぞらえている。聖書では好ましくない動物である(22篇17節)。
8節「御覧ください、彼らの口は剣を吐きます。その唇の言葉を誰が聞くに堪えるでしょう」。「口は剣を吐きます」直訳「剣を彼らの口で注ぎ出す」だが、これは野犬が夜中餌を求めて吠える有り様を表現している。しかしあなたは彼らを笑い、すべての民らを嘲笑っている(9節)。
10節「わたしの力よ、あなたを見張って待ちます。まことに神はわたしの砦の塔」。神の慈愛を求める。直訳「彼の力は あなたに 私は見守ろう」で、主語が不明である。「見張る・見守る」は「褒め歌う」とも訳せる。口語訳「わが力よ、わたしはあなたにむかってほめ歌います」岩波訳「わが守りよ、あなたに私は待ち焦がれます」は独特である。
11節「神はわたしに慈しみ深く、先立って進まれます。わたしを陥れようとする者を、神はわたしに支配させてくださいます」。「先立って進む」は「出迎える」という意味もある。口語訳「わが神は…わたしを迎えられる」。「支配させて~」は「見せて」である。口語訳が判りやすい。わが神はわたしに敵の敗北を見させられるのである。見せしめのために殺さないで、倒れさせないで下さいと願う(12節)。
13節「口をもって犯す過ち、唇の言葉、傲慢の罠に、自分の唱える呪いや欺く言葉の罠に、彼らが捕えられますように」。因果応報で、敵対者の滅びとイスラエルの神の支配を祈る。呪いや欺く言葉の罠が自分自身にふりかかり、ひとりも残らず滅ぼしてくださいという(14節)。
17節「わたしは御力をたたえて歌をささげ 朝には、あなたの慈しみを喜び歌います。あなたはわたしの砦の塔、苦難の日の逃れ場」。「しかし」(原文にある)は、16節までの嘆願と祈りを受けた接続詞である。あなたは「わたしの力の神」として、救いの喜びを讃美する。「慈しみ深い方」「砦の塔」が繰り返される(18節)。「わたしの力と頼む神」。10節にもある。直訳「わが力よ」(ウズィ)で岩波訳「わが守りよ」、新改訳「わが力」NKJV「O my Strength,」である。