詩57篇
2節「憐れんでください神よ、わたしを憐れんでください。わたしの魂はあなたを避けどころとし、災いの過ぎ去るまで、あなたの翼の陰を避けどころとします」(新共同訳)
2節「憐れんでください神よ、わたしを憐れんでください。わたしの魂はあなたを避けどころとし、災いの過ぎ去るまで、あなたの翼の陰を避けどころとします」。表題から判るようにダビデがサウルの追跡を逃れて洞窟に入り身を潜めていた時の歌(サムエル記上22章1節、24章3節)。56篇と共通したテーマである。洞窟のドームが雌鳥の翼にいる雛のイメージで、危機から逃れ慈愛の神の懐に抱かれる信頼を示す(36編8節、61編5節他)。「遣わして下さい、慈しみとまことを」は慈しみ(ヘセド)とまこと(アミー)が擬人化された御使。詩23篇6節see。ダニエルが獅子の中に投げ込まれたように、危険の只中に置かれ、嘲りは鋭い歯と舌で襲ってくる(5節)。
6節「神よ、天の上に高くいまし、栄光を全地に輝かせてください」。12節と同じリフレイン。
7節「わたしの魂は屈み込んでいました。彼らはわたしの足もとに網を仕掛け、わたしの前に落とし穴を掘りましたが、その中に落ち込んだのは彼ら自身でした」。「わたしの魂は屈み込んでいました」直訳「彼らは私の両足に網を仕掛けたので、私の魂はかがんだ」、岩波訳「網を彼らはわが足元に備え、わが魂を挫いた」、口語訳「…わたしの魂はうなだれました」である。しかし状況の逆転が起きる。それは敵側が仕掛けた罠に彼ら自身が陥るということである。
8節「わたしは心を確かにします。神よ、わたしは心を確かにして、あなたに賛美の歌をうたいます」。心を確かにしますと二度繰り返す。「確かにする」(揺るがない=ナホーン)と7節の敵が網を「仕掛けた」(ヒーヌー)は語呂合わせになっている。つまり敵は罠を仕掛けた(set)が、神にわたしの心は確かにした(set)のである。「心を揺るがぬものにする」とは、堅く信頼することである(TEV I have complete confidence, O God)。状況は変わらないように思われても、御業を信じて神を賛美する。この神への賛美は56編5節にも出ている。
9節「目覚めよ、わたしの誉れよ、目覚めよ、竪琴よ、琴よ。わたしは曙を呼び覚まそう」。「誉れよ」(カヴォ-ド)は「栄光」(岩波訳)と「魂」(口語訳)と二通り訳せる。ここは口語訳が良い。「わが魂よ、さめよ。立琴よ、琴よ、さめよ~」。積極的な先取りの信仰である。目覚めを告げるわたしの「体内時計」に曙が反応する。
10節「主よ、諸国の民の中でわたしはあなたに感謝し、国々の中でほめ歌をうたいます」。主の慈しみ(ヘセド)とまこと(アミー)が如何に豊かで大きいものであるかを褒め歌う(11節)。4節の嘆願は今や聞き届けられた。
12節「神よ、天の上に高くいまし、栄光を全地に輝かせてください」。6節と同じリフレイン本詩は閉じられる。
2節「憐れんでください神よ、わたしを憐れんでください。わたしの魂はあなたを避けどころとし、災いの過ぎ去るまで、あなたの翼の陰を避けどころとします」(新共同訳)
2節「憐れんでください神よ、わたしを憐れんでください。わたしの魂はあなたを避けどころとし、災いの過ぎ去るまで、あなたの翼の陰を避けどころとします」。表題から判るようにダビデがサウルの追跡を逃れて洞窟に入り身を潜めていた時の歌(サムエル記上22章1節、24章3節)。56篇と共通したテーマである。洞窟のドームが雌鳥の翼にいる雛のイメージで、危機から逃れ慈愛の神の懐に抱かれる信頼を示す(36編8節、61編5節他)。「遣わして下さい、慈しみとまことを」は慈しみ(ヘセド)とまこと(アミー)が擬人化された御使。詩23篇6節see。ダニエルが獅子の中に投げ込まれたように、危険の只中に置かれ、嘲りは鋭い歯と舌で襲ってくる(5節)。
6節「神よ、天の上に高くいまし、栄光を全地に輝かせてください」。12節と同じリフレイン。
7節「わたしの魂は屈み込んでいました。彼らはわたしの足もとに網を仕掛け、わたしの前に落とし穴を掘りましたが、その中に落ち込んだのは彼ら自身でした」。「わたしの魂は屈み込んでいました」直訳「彼らは私の両足に網を仕掛けたので、私の魂はかがんだ」、岩波訳「網を彼らはわが足元に備え、わが魂を挫いた」、口語訳「…わたしの魂はうなだれました」である。しかし状況の逆転が起きる。それは敵側が仕掛けた罠に彼ら自身が陥るということである。
8節「わたしは心を確かにします。神よ、わたしは心を確かにして、あなたに賛美の歌をうたいます」。心を確かにしますと二度繰り返す。「確かにする」(揺るがない=ナホーン)と7節の敵が網を「仕掛けた」(ヒーヌー)は語呂合わせになっている。つまり敵は罠を仕掛けた(set)が、神にわたしの心は確かにした(set)のである。「心を揺るがぬものにする」とは、堅く信頼することである(TEV I have complete confidence, O God)。状況は変わらないように思われても、御業を信じて神を賛美する。この神への賛美は56編5節にも出ている。
9節「目覚めよ、わたしの誉れよ、目覚めよ、竪琴よ、琴よ。わたしは曙を呼び覚まそう」。「誉れよ」(カヴォ-ド)は「栄光」(岩波訳)と「魂」(口語訳)と二通り訳せる。ここは口語訳が良い。「わが魂よ、さめよ。立琴よ、琴よ、さめよ~」。積極的な先取りの信仰である。目覚めを告げるわたしの「体内時計」に曙が反応する。
10節「主よ、諸国の民の中でわたしはあなたに感謝し、国々の中でほめ歌をうたいます」。主の慈しみ(ヘセド)とまこと(アミー)が如何に豊かで大きいものであるかを褒め歌う(11節)。4節の嘆願は今や聞き届けられた。
12節「神よ、天の上に高くいまし、栄光を全地に輝かせてください」。6節と同じリフレイン本詩は閉じられる。