日毎の糧

聖書全巻を朝ごとに1章づつ通読し、学び、黙想しそこから与えられた霊想録である。

神よ、わたしの内に清い心を創造し

2013-04-16 | Weblog
   詩51篇 

  12節「神よ、わたしの内に清い心を創造し 新しく確かな霊を授けてください」(新共同訳)

  1~2節「指揮者によって。賛歌。ダビデの詩。ダビデがバト・シェバと通じたので預言者ナタンがダビデのもとに来たとき」。七つの悔改めの詩篇のひとつ。見出しはサムエル記下11~12章に記されているダビデのスキャンダルを指している。50篇と共通した内容の部分がある。
  3節「神よ、わたしを憐れんでください、御慈しみをもって。深い御憐れみをもって、背きの罪をぬぐってください」。罪の赦しを懇願する。直訳「あなたの憐れみの多さで、私の咎を消してください」。罪の表現が6節までに四つ出てくる。原文と訳が異なっており、整理すると次のようになる。
 ①「咎」(3節) フェシャー 新共同訳「背きの罪」、岩波訳「諸々の不義」
 ②「不義」(4節) アブォン 新共同訳「咎」、口語訳「不義」 故意による罪(evil)
 ③「罪」(同) ハタッア 「過ち」過失による罪(sins)
 ④「悪事」(6節) ハラア 「悪」 恥ずべきこと(blameless)。バテシバとの不倫を指している。
  4節「わたしの咎をことごとく洗い、罪から清めてください」。直訳「私の不義から多くして(踏んだり叩いたりして)私を洗い、わたしを清めてください」。人と人の関係より先に、神との歪んだ関係を糺すのである。それが「あなたのみに罪を犯し」と懺悔して恥ずべき悪事が明確にされる(6節)。口語訳「わたしはあなたにむかい、ただあなたに罪を犯し、あなたの前に悪い事を行いました」(4節)。認罪はここでのみ明確なものとなる。そして主の審きに決して誤りがないという。
  7節「わたしは咎のうちに産み落とされ 母がわたしを身ごもったときも わたしは罪のうちにあったのです」。わたしの母が懐妊した時にすでにわたしは罪の中にあったという。罪が生来のものとすることは、「アダムの罪」として新約聖書に取上げられている(ローマ5章14節、第一コリント15章22節see)。但しガラテヤ1章15節にある通り、神の創造の働きを否定する論拠にはならない。これは性悪説をいっているのではない。
  8節「あなたは秘儀ではなくまことを望み、秘術を排して知恵を悟らせてくださいます」。口語訳「見よ、あなたは真実を心のうちに求められます。それゆえ、わたしの隠れた心に知恵を教えてください」。新共同訳「秘儀」(ヴァトゥホット)は「心の奥」「内臓」のこと、「秘術」は「閉ざされたところ」で、口語訳が判りやすい。これは罪からの赦しを願い求めているのである。既に3~4節で慈しみと深い憐みを求め、更に神にヒソプによって罪を払い去り、洗い、清くして頂きたいと祈る(9節)。ヒソプについてはレビ記14章1~9節、民数記19章14~19節参照。「雪より白く」は神の新しい創造による御業である(イザヤ1章18節参照)。「新しい確かな霊」(12節)、「聖なる霊」(13節)、「自由の霊」(14節)によって生かして下さいと祈る。
  15節「わたしはあなたの道を教えます あなたに背いている者に、罪人が御もとに立ち帰るように」。罪赦された者の応答は、これを証しする。そして恵みの御業を喜び歌い、口を広く開けて讃美する」(16~17節)。「打ち砕かれ霊、打ち砕かれ悔いる心」を献げる(19節)。これは詩50編8~13節と共通している。これこそ神が求めておられる「焼き尽くす完全な献げ物」(21節)である。