日毎の糧

聖書全巻を朝ごとに1章づつ通読し、学び、黙想しそこから与えられた霊想録である。

告白を神へのいけにえとしてささげ

2013-04-15 | Weblog
  詩50篇 

  14節「告白を神へのいけにえとしてささげ、いと高き神に満願の献げ物をせよ」(新共同訳)

  1節「賛歌。アサフの詩。神々の神、主は、御言葉を発し 日の出るところから日の入るところまで、地を呼び集められる」。表題のアサフは聖歌隊のリーダー(歴代誌上16章5節see)。詩篇に12あり、73~83篇にまとめられている。「神々の神、主」直訳(エル エロヒーム ヤハウェ)。口語訳「全能者なる神」。「神」を反復し最高の神を表現する。神は法廷を開き裁判官として立ち、言葉を発し、陪席に世の被造物が召集されて裁判の情況を注目している。今や不義と偽りを除いて焼き尽くすため、神は黙して見過ごすことが出来ない(3節)。
  4節「神は御自分の民を裁くために 上から天に呼びかけ、また、地に呼びかけられる」。天と地が召集者として立てられ(4節)、被告人は御自分の民、生け贄を供えてわたしと契約を結んだ「慈しみに生きる者」である(5節)。口語訳「わたしの聖徒」。「聖徒」(ハスィード)は「敬う者」で、ヘセド(慈愛)と語源が同じである。岩波訳「わたしに忠実な者」。
  7節「わたしの民よ、聞け、わたしは語る。イスラエルよ、わたしはお前を告発する。わたしは神、わたしはお前の神わたしの民よ、聞け、わたしは語る」。「わたしの民よ、聞け」(シェマー アミー・申命記6章4節see)。いよいよ罪状認否の告発がなされる。神は形式的な諸々の犠牲を求められないことが明らかにされる。神は犠牲に雄牛や雄山羊を求めない(9節)。山々に群がる獣はわたしのもの(10~11節)、飢えてそれを食べ、血を飲むとでも言うのか(12節)。
  14「告白を神へのいけにえとしてささげ、いと高き神に満願の献げ物をせよ」。神が求められる生贄は、真実な告白である。「告白」(トダー)は口語訳「感謝」とも訳せるが、法廷での尋問という文脈から「告白」が相応しい。そしてわたしに求めるなら応えて苦難から救う(15節)。これは預言者がしばしば主張したテーマである。(イザヤ1章11~13節、エレミヤ6章20節、アモス5章21~22節、マラキ1章6~10see)。
  16節「神は背く者に言われる。『お前はわたしの掟を片端から唱え、わたしの契約を口にする。どういうつもりか」。形骸化した犠牲をささげて神の掟に背く者への罪状が告げられる。先ず偽善的行為(16節)、不服従=諭を守らない(17節)、盗みと姦淫(18節)、虚偽(19節)、兄弟の争い(20節)。
  22節「神を忘れる者よ、わきまえよ。さもなくば、わたしはお前を裂く。お前を救える者はいない」。神の掟を守らず、神を忘れている者を犠牲のように引き裂くことを悟れ。そうでなければ救いは無い。しかし心砕かれ、「感謝」を生け贄として献げる者に救いの道を示そう(23節)。神の温情ある判決である
  本詩の結論は、真実な告白を神の前にささげ、道を正し、幼子の心で主に信頼することである。