詩44篇
22節「我らはあなたゆえに、絶えることなく 殺される者となり 屠るための羊と見なされています」(新共同訳)
1~2節「指揮者によって。コラの子の詩。マスキール。神よ、我らはこの耳で聞いています 先祖が我らに語り伝えたことを 先祖の時代、いにしえの日に、あなたが成し遂げられた御業を」。本詩の時代背景は、バビロン捕囚後の近い頃と考えられる。その状況は、民の苦難と辱めの中から、神による解放と勝利を嘆願する内容になっている。ここから国を憂い執り成す祈りの姿勢を学ぶことができる。「先祖が我らに語り伝えたこと」とは、出エジプトの出来事を指し、それは信仰の原点でもあった。過去の出来事を根拠にして現在の苦境からの解放を願うのである。
4節「先祖が自分の剣によって領土を取ったのでも 自分の腕の力によって勝利を得たのでもなくあなたの右の御手、あなたの御腕 あなたの御顔の光によるものでした。これがあなたのお望みでした」。カナンに侵入して嗣業の地を得たのも自分たちでは無く、あなたが、あなたの手、あなたの腕で勝利して得たこと。だから今その勝利を得させて下さいと嘆願する(5節)。立ち向かってくる敵をあなたの名によって踏みつけてください、自分の弓や剣では救われない、彼らを辱めるのは、ただあなただけですという(6~8節)。そうすれば我らは絶えず神を賛美し、感謝をささげる(9節)。
10節「しかし、あなたは我らを見放されました。我らを辱めに遭わせ、もはや共に出陣なさらず~」。しかし、何故神は我らを見放なされるのですかと問い掛ける。ここでバビロン捕囚という苦境の現実に目を向ける時、住みなれた地から敗走して、辱めと略奪と嘲りの的となり、ののしりの声が降りかかっていると訴える(11~17節)。
18節「これらのことがすべてふりかかってもなお、我らは決してあなたを忘れることなく、あなたとの契約をむなしいものとせず~」。裏切る(原語=退く)ことをせず、あなたの道(原語=小道)からそれなかった(19節)。神の聖名を忘れて異教の神に向かって手をのべることは無いが、なおあなたはそれを探りだされる(21~22節)。わたし達は屠られるために殺される羊のように見なされている(23節)。神の助けから見放されるような原因があるなら、それを神は明らかになされる筈だというのである。23節は、ローマの信徒への手紙8章36節に引用されている。
24節「主よ、奮い立ってください。なぜ、眠っておられるのですか。永久に我らを突き放しておくことなく、目覚めてください」。「奮い立ってください~」は意訳で直訳「目覚め給え、わが主よ、なぜあなたは眠っている」、更に「目覚め給え、突き放ち給うな~」で目覚め給え、と繰り返している。見放さないで下さいという切望である。十字架上の主イエスの祈りに共通している(マタイ福音書27章46節)。詩59篇5~6節にもある。
キリスト者として、困難のどん底からの叫びを神に向けることが出来るだろうかが問われる詩である。
22節「我らはあなたゆえに、絶えることなく 殺される者となり 屠るための羊と見なされています」(新共同訳)
1~2節「指揮者によって。コラの子の詩。マスキール。神よ、我らはこの耳で聞いています 先祖が我らに語り伝えたことを 先祖の時代、いにしえの日に、あなたが成し遂げられた御業を」。本詩の時代背景は、バビロン捕囚後の近い頃と考えられる。その状況は、民の苦難と辱めの中から、神による解放と勝利を嘆願する内容になっている。ここから国を憂い執り成す祈りの姿勢を学ぶことができる。「先祖が我らに語り伝えたこと」とは、出エジプトの出来事を指し、それは信仰の原点でもあった。過去の出来事を根拠にして現在の苦境からの解放を願うのである。
4節「先祖が自分の剣によって領土を取ったのでも 自分の腕の力によって勝利を得たのでもなくあなたの右の御手、あなたの御腕 あなたの御顔の光によるものでした。これがあなたのお望みでした」。カナンに侵入して嗣業の地を得たのも自分たちでは無く、あなたが、あなたの手、あなたの腕で勝利して得たこと。だから今その勝利を得させて下さいと嘆願する(5節)。立ち向かってくる敵をあなたの名によって踏みつけてください、自分の弓や剣では救われない、彼らを辱めるのは、ただあなただけですという(6~8節)。そうすれば我らは絶えず神を賛美し、感謝をささげる(9節)。
10節「しかし、あなたは我らを見放されました。我らを辱めに遭わせ、もはや共に出陣なさらず~」。しかし、何故神は我らを見放なされるのですかと問い掛ける。ここでバビロン捕囚という苦境の現実に目を向ける時、住みなれた地から敗走して、辱めと略奪と嘲りの的となり、ののしりの声が降りかかっていると訴える(11~17節)。
18節「これらのことがすべてふりかかってもなお、我らは決してあなたを忘れることなく、あなたとの契約をむなしいものとせず~」。裏切る(原語=退く)ことをせず、あなたの道(原語=小道)からそれなかった(19節)。神の聖名を忘れて異教の神に向かって手をのべることは無いが、なおあなたはそれを探りだされる(21~22節)。わたし達は屠られるために殺される羊のように見なされている(23節)。神の助けから見放されるような原因があるなら、それを神は明らかになされる筈だというのである。23節は、ローマの信徒への手紙8章36節に引用されている。
24節「主よ、奮い立ってください。なぜ、眠っておられるのですか。永久に我らを突き放しておくことなく、目覚めてください」。「奮い立ってください~」は意訳で直訳「目覚め給え、わが主よ、なぜあなたは眠っている」、更に「目覚め給え、突き放ち給うな~」で目覚め給え、と繰り返している。見放さないで下さいという切望である。十字架上の主イエスの祈りに共通している(マタイ福音書27章46節)。詩59篇5~6節にもある。
キリスト者として、困難のどん底からの叫びを神に向けることが出来るだろうかが問われる詩である。