2019年6月。なんだかふらりと電車に乗って遠くへ行ってみたくなり、ふらりとひとり北鎌倉にきてみました。
「紫陽花寺」としても知られる名月堂の「悟りの窓」。やはり美しい。。うーん、来てよかった。
奥の庭園は本堂後庭園。花菖蒲と紅葉の季節以外は非公開。こんな窓に憧れる。うちにも欲しい!郊外の一軒家でないと、無理か。
向かいの枯山水庭園。つつじがキレイ。
沙羅双樹の花の色、盛者必衰のことわりをあわはす。。 平家だけではない、悲しいかな。権力争いは古代から。
明月院には2500株もの日本古来の種「ヒメアジサイ」が植えられているそうです。特に明月院の紫陽花は「明月院ブルー」と呼ばれるほどの青一色。
明月院には2500株もの日本古来の種「ヒメアジサイ」が植えられているそうです。特に明月院の紫陽花は「明月院ブルー」と呼ばれるほどの青一色。
北鎌倉、紫陽花の時期は特にいいですね。
明月院は花の寺。花をかかえる花想い地蔵。みているだけで心が洗われるようです。常にそんな心を持つ人でありたい。
明月院は花の寺。花をかかえる花想い地蔵。みているだけで心が洗われるようです。常にそんな心を持つ人でありたい。
瓶の井戸。今でも使える、鎌倉十井のひとつ。
明月院やぐら(羅漢堂)。壁面に彫刻があります。大変珍しいそうです。
いわれとしてはこの通り。1160年の平治の乱で京都で戦死したこの地の武勇、山内俊道の菩提供養のためその子経俊によって造られた、とあります。
岩の中に巧みに根を張り、こんなにも大きくなった紅葉。自然界の生命力の力強さに圧倒されます。
それにしても岩がごつごつってなんとも鎌倉らしい。
お、紫陽花を抜けていくと、竹林が。
お次は、浄智寺。1281年創設、臨済宗円覚寺派 鎌倉五山第四位。
山門には、円覚寺開山の無学祖元の筆とされる「寶所在近(ほうしょざいきん)」の額。
寶所在近とは「仏を信じ、修行を積めば心の平穏が得られる」という仏の教えを意味します。
鐘楼門は2007年に再建。一階は山門、二階には花頭窓に1649年鋳造の梵鐘が下げられています。
鎌倉七福神のひとつ、布袋尊。みているだけでパワーがやってきませんか?なんともステキなお顔です。
福徳円満のご利益があるそうで、撫でられすぎてつるつるのおなか。
こちらにもやぐら。
平地の少ない鎌倉の、土地の有効利用。当時は僧侶の修行の場だったり、位の高い人のお墓として利用されたりしました。平地が少ない鎌倉では、墓地を作ることがとても困難でした。
初夏の新緑。緑があおあおとしています。
空高くぐんぐん伸びる竹林。その生命力が伝わって来ます。
おつぎの番よ〜、は東慶寺。駆け込み寺、縁切寺として有名ですが、1285年、元寇で指揮をとった八代執権北条時宗の死後、その妻である覚山尼が開山した寺で開基は九代執権北条貞時。北条時宗は禅宗に帰依し、蘭渓道隆死後、新たな名師を求め無学祖元を宋から招聘しました。無学祖元は円覚寺を開山し、時宗は開祖となったのです。
鐘楼は20世紀ですが、梵鐘は1350年の鋳造。
奥は墓地となっています。仏像もたくさん置かれています。
その後、円覚寺、建仁寺に立ち寄りながら、ここまで来たらいざ、鶴岡八幡宮。
わわわわ。人馴れしているリスだ! かわゆい。
源平池。大きい方は源氏池。源氏とて、将軍の地位についてたった三代で絶えてしまうのですが。
ここからは、小町通をそぞろ歩いて江ノ電に乗って長谷下車。お腹が空いたので、新しいところを開拓しようと思いながらも結局いつものレストラン。モエのロゼでしばし休憩。。
しらすがいっぱいのサラダ。鎌倉に来たらやっぱり、個人的にはしらすをいただきます!
かわゆい珈琲屋さんの看板。鎌倉でも長谷は特におしゃれ。この後はもちろん、大仏様でしょ。
イタリアンやマクロビなど、小さなレストランがいっぱいの裏道を通って行きます。
御堂を失った16世紀からは外に出たままで金(きん)もはがれてますけど、長い歴史の中で焼かれず爆破されず残ったことを考えると奈良の大仏さんより古いかと、
1252年からずっと世の中をみてくださっている感いっぱいの大仏様。親しみを感じます。
大仏様をみたら満足しました。それにしても今日はいっぱい歩いたナ。もう疲れたから帰ります。
と思ったけど、喉が乾いて入ったお店で、何を思ったか2回目のランチタイム。自分でもよくわからないが、またもやしらすご飯を頼んでしもうた。歩き疲れてお腹が空きすぎたのかな。
いや、実はソリマチ、それほどしらすが好きなんです🐟
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