photo93. . FH010016
子供時代に夏休みは毎年行っていた母の
生まれ育った村。いわゆるガンビボロンゴ
母は明治の人で当時の尋常小学校卒業後
すぐこの村を後にしてここ”てっぱん”の市内
(すでに広島市に次いで県内2番目の市に)
に就職した。当時の田舎から見れば上京した
気分(村内でもそう見られた)晩年里帰りしても
同年代の村人からは違って見えた。
道は大きい所でも2M程で村内に自家用車は
勿論ありません「おしん」より前の時代です
対岸の島に自分の足で行くなどあの頃は
思いもしなかった所からその原点を撮影した
のがこの絵ですモヤがかかっていますが2Km
海を隔てています
真ん中付近に白い洋風の4階建てがあるのは
バブルのころ近県の会社が保養に建てたもの
が現在はその会社がどうなっているかも不明
今でも昼間に道を歩いても村人に出会いま
せん。例外なく過疎化がすすんでいる
そのため大変静かなところ
対岸(大島町早川)付近の農協の有線放送がはっきりと聞こえます。心休まるいいところ
子供時代に夏休みは毎年行っていた母の
生まれ育った村。いわゆるガンビボロンゴ
母は明治の人で当時の尋常小学校卒業後
すぐこの村を後にしてここ”てっぱん”の市内
(すでに広島市に次いで県内2番目の市に)
に就職した。当時の田舎から見れば上京した
気分(村内でもそう見られた)晩年里帰りしても
同年代の村人からは違って見えた。
道は大きい所でも2M程で村内に自家用車は
勿論ありません「おしん」より前の時代です
対岸の島に自分の足で行くなどあの頃は
思いもしなかった所からその原点を撮影した
のがこの絵ですモヤがかかっていますが2Km
海を隔てています
真ん中付近に白い洋風の4階建てがあるのは
バブルのころ近県の会社が保養に建てたもの
が現在はその会社がどうなっているかも不明
今でも昼間に道を歩いても村人に出会いま
せん。例外なく過疎化がすすんでいる
そのため大変静かなところ
対岸(大島町早川)付近の農協の有線放送がはっきりと聞こえます。心休まるいいところ
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