ローマの神学者であり思想家アウグスチヌスは次のように語る。
植物は人間から見られることを求めており、見られることがそれにとって救済である。
この文章から感じられるのは、キリスト教の神学者であったからなのか「救い」という面が強く感じられる。
日本人が感じるような「山川草木悉皆仏」とは少し違う気がする。
ここまで難しくは考えないのだ。
ようやく雪解けが始まり春の訪れが感じられる。
雪の下でもチューリップが芽を出していた。
昨年の秋に植えた球根が、厳しい寒さを乗り越えて芽を出しているのを見ると、なんとも愛おしく感じる。
クリスマスローズも芽を出している。
このような植物の世界の新陳代謝の繰り返しを見ていると、今の政界の淀んだ空気は何とかならないものか。
昔の武士は身体が言うことを聞かなくなったら自ら隠居したものだ。
ところが最近の政治家は身体も頭も言うことが聞かなくなっているのに地位にしがみついている。
よほど「楽な仕事」なのであろう。
室内園芸で花をつけた木立性ベゴニア。