このブログの常連さんのように
教養深い方には説明不要ですよね。
これが台湾の珍味
“恥里都転珍(チリトテチン)”です。
ウ~ンまずい、もう一杯!
さて、今日の池袋演芸場夜席のことです。
喬太郎師は『粗忽長屋』でした。
前回喬太郎師の話を聞いたときも『粗忽長屋』だったので、
「前から来る人、見たことあるなー、誰だっけかな」
ときたとき、いすから滑り落ちそうになるくらい、がっかりしました。半日休暇をもらって来たのに同じ噺…
「夫婦喧嘩はやめろ、みっともねえー」
「夫婦喧嘩は出来ねえよ、俺は独り者だから」
「だけど『おっかァ、出て行け!』そう言ってたじゃねえか。」
「イヤ、せっかくきれいに掃除した土間に赤犬が入ってきたんで、
『アカ、出て行け!』そう言ってたんだ。」
このネタを、何の悪意も無く、
『赤旗祭り』でやっちゃった師匠がいるんだそうですね。
で、『粗忽長屋』をグダグダな気分で聴き続けました。
次はこう来るんでしょ、その後はこうなんでしょ、
と、なげやりな気分で。
ところが、サゲが変わっていたんですね。通常は熊さんが
「抱かれているのは確かに俺だけど、抱いている俺は誰なんだろう」
となるんですが、その直前のところ、
野次馬整理をしていた男が
「駄目だよ、勝手に持ってっちゃ。抱いてみて分かんねぇかな、
お前さんじゃないんだよ、お前さんじゃ」
のあと
「これは、俺だ」
と言い出す。それを聞いて八公までが、
「ちがう、これは俺だ」
で、死骸が
「いったい俺は誰なんだろう」
というサゲでした。
その場ではすっごく面白かったんですが、
数時間たつと、元のサゲの方が素直な笑いを誘う
いいサゲであることが分かりますね。
今日のサゲは元ネタを知っていること前提のサゲで、
このサゲだけで味わうとなんか不自然ですもの。
古典には生き抜いてきただけの理由があるんでしょうね。
白酒師が『そば清』のサゲを
「そば清さんがいなくなったぞ、神隠しか」
「いえ、このそばは戸隠でして」
と工夫したことがあったけど、
明らかに工夫だったのに、
次に上がった馬生師に
「噺家は前もって噺を決めておくこともあるが、
客の顔を見てから決めることもある。
その証拠に今の『そば清』別のサゲに行っちゃったでしょ」
と間違い扱いを受けていた。
あれもやはり通常のサゲ、「そばの羽織を着たのがいた」
の方がゾクッとする凄みがあってイイと思う。
でも、そこがまた寄席のいいところだよな~。
9割9分いつも通りに来てもまだ何が起こるか分からない。
小三治師に「同じ話を何度も聴いて面白いんですかね」
といじられても、やっぱり聴きたくなっちゃう。
教養深い方には説明不要ですよね。
これが台湾の珍味
“恥里都転珍(チリトテチン)”です。
ウ~ンまずい、もう一杯!
さて、今日の池袋演芸場夜席のことです。
喬太郎師は『粗忽長屋』でした。
前回喬太郎師の話を聞いたときも『粗忽長屋』だったので、
「前から来る人、見たことあるなー、誰だっけかな」
ときたとき、いすから滑り落ちそうになるくらい、がっかりしました。半日休暇をもらって来たのに同じ噺…
「夫婦喧嘩はやめろ、みっともねえー」
「夫婦喧嘩は出来ねえよ、俺は独り者だから」
「だけど『おっかァ、出て行け!』そう言ってたじゃねえか。」
「イヤ、せっかくきれいに掃除した土間に赤犬が入ってきたんで、
『アカ、出て行け!』そう言ってたんだ。」
このネタを、何の悪意も無く、
『赤旗祭り』でやっちゃった師匠がいるんだそうですね。
で、『粗忽長屋』をグダグダな気分で聴き続けました。
次はこう来るんでしょ、その後はこうなんでしょ、
と、なげやりな気分で。
ところが、サゲが変わっていたんですね。通常は熊さんが
「抱かれているのは確かに俺だけど、抱いている俺は誰なんだろう」
となるんですが、その直前のところ、
野次馬整理をしていた男が
「駄目だよ、勝手に持ってっちゃ。抱いてみて分かんねぇかな、
お前さんじゃないんだよ、お前さんじゃ」
のあと
「これは、俺だ」
と言い出す。それを聞いて八公までが、
「ちがう、これは俺だ」
で、死骸が
「いったい俺は誰なんだろう」
というサゲでした。
その場ではすっごく面白かったんですが、
数時間たつと、元のサゲの方が素直な笑いを誘う
いいサゲであることが分かりますね。
今日のサゲは元ネタを知っていること前提のサゲで、
このサゲだけで味わうとなんか不自然ですもの。
古典には生き抜いてきただけの理由があるんでしょうね。
白酒師が『そば清』のサゲを
「そば清さんがいなくなったぞ、神隠しか」
「いえ、このそばは戸隠でして」
と工夫したことがあったけど、
明らかに工夫だったのに、
次に上がった馬生師に
「噺家は前もって噺を決めておくこともあるが、
客の顔を見てから決めることもある。
その証拠に今の『そば清』別のサゲに行っちゃったでしょ」
と間違い扱いを受けていた。
あれもやはり通常のサゲ、「そばの羽織を着たのがいた」
の方がゾクッとする凄みがあってイイと思う。
でも、そこがまた寄席のいいところだよな~。
9割9分いつも通りに来てもまだ何が起こるか分からない。
小三治師に「同じ話を何度も聴いて面白いんですかね」
といじられても、やっぱり聴きたくなっちゃう。