《 空想から科学へ 》 奧菜主義革命~ 革命的奥菜主義者同盟非公然ブログ

奥菜恵さんは、精神と肉体の両方から無駄なものをすべて削ぎ落とし、必死に舞台に立っていた

コットンフィールドの風

2008年03月11日 20時52分59秒 | Weblog
長かった冬の終わりを思わせる穏やかな一日でしたね。
奥菜恵様、そして同志の皆様、お元気でいらっしゃいますか?

さて、私こと奥菜主義革命は、3月11日、本日をもって県立リハビリセンターを退院することができました。
多くの皆様にご心配とご迷惑をお掛けしたことを深くお詫び申し上げるとともに、今日までのたくさんの励ましのお心、お言葉に対して厚く御礼申し上げます。


退院できたとは言っても、どちらかといえば廃療(医療でできることは終わった)に近いものでして、このリハセンは90日間で退院することがあらかじめ決まっているのでございます。早い話が、もっと状況の悪い人にベットを譲りなさい、ということです。


それでもただ歩くということであれば、1.5kmは杖無しでも歩けるようになりました。
手のほうも5分以内に25本の紐を蝶々結びすることができるようにまでなりました。
リハセンの訓練士の皆さんが縁もゆかりもない私のリハビリに、とことん付き合ってくださったお陰であります。規則外ともなりかねない別枠のリハを課外授業のように入れてくださったり、訓練士同士の研修という名目で足底器(靴の中に入れるパッドのようなもの)をお作りいただいたり。頑張っている人だから、もっと頑張らせてあげよう、という本当の意味の、本当に私が欲していた愛情に包まれながら90日弱を過ごせたお陰であります。


ただ、麻痺のある右足で片足立ちすると、1.5秒しかもたない(ちなみに左なら2分30秒以上可能)。右の手のひらで背中を触ることができない。右腕を90度以上上げられない。肘を上げると肩にかなり強い痛みが走る。など、課題がまだ残ってはいます。通院によるリハをこれからも継続していかねばなりません。

通院によるリハは週に40分訓練が2回。入院中のように60分が週5回というわけにはいかなくなります。
1つの病名で2つのリハビリ病院に健康保険で通院することはできません。そして、この通院リハに保険が適用されるのも発病後半年まで。私は5月28日まで。これが今の医療制度なんだそうです。私は自分が病気になるまで知りませんでした。
ひとつ病名だと、その病気治療に健康保険が効くのは半年以内。よく覚えておいてください。


わたしは通院日以外は鍼灸マッサージを受けたり、スポーツセンターでリハビリ代わりになるような体力づくりをしようかと考えています。


そういうわけで、いいこと半分、暗いこと半分というような退院なんですが、
やっぱり我が家に帰ることができたのは嬉しいです。
自由にパソコンを使えるのは実にありがたい。
今日からこのブログも完全復活です。
また、しばしばお立ち寄りください。
闘病記を売りにするつもりは毛頭無く、あくまでも

『革命的奥菜主義者同盟の非公然ブログ』

として運営していくつもりでおります。
もう私のほうから積極的に病気のことを取り上げる考えはありません。
これまでどおりの

《空想から科学へ》奥菜主義革命

のつもりでお付き合いくださいませ。




それではここで1曲お届けしましょう。
トワエモアの『虹と雪のバラード』です。
この曲は72年札幌オリンピックのテーマ曲として71年に発表されました。



  虹の地平を歩み出て
  影たちが近づく手を取りあって
  街ができる 美しい街が
  あふれる旗、叫び そして歌

  ぼくらは呼ぶ あふれる夢に
  あの星たちの間に
  眠っている 北の空に
  君の名を呼ぶ “奥菜恵”と  
 
  雪の炎に ゆれめいて
  影たちが飛び去る ナイフのように
  空が残る 真っ青(サオ)な空が
  あれは夢、ちから それとも恋

  ぼくらは書く 生命(イノチ)の限り
  今 太陽の真下に
  生まれ変わる サッポロの地に
  君の名を書く “奥菜恵”と

  生まれ変わる サッポロの地に
  君の名を書く “奥菜恵”と



入院中によく聴いていた『ラジオ深夜便』にちょっと影響された締めくくり方です。