今日の記事は【そば・うどん・そば】みたいに展開します。
ときには【うどん・そば・うば・そどん】かもしれません。
『労働者M』を観ていない人には通じない《お断り》ですが。
とはいうものの、三遊亭白鳥さんについて語ろうとか
そういう気は、さらさらありません。
「なんで歌之介師匠は“師匠”なのに白鳥“さん”なんですかね」
「まあ、何となく?
いいじゃない、語らないよ、て宣言しているだけだから」
☆【そば】の話。
近年、落語とか、松尾スズキさんやケラさんの作品
などに傾倒しているせいか、
耳から入ってきたときに、そこはかとなくおかしいネタ、
というものに漠然とあこがれております。
こういうネタの魅力は、文字にしちゃうとおよそ1/4、
正確には25÷103くらい、になってしまいます。
「くらい、ってぜんぜん正確じゃないから!」
「いいじゃない、三遊亭白鳥さんについては語ってないんだから」
☆【うどん】の話。
ザテレビジョンスナックに反響がありましたので、
奥菜恵さんが宣伝した「Xmas・ウィーンビア」の缶
も保管していることを告白しちゃおう!
こちらの賞味期限は“0007”と印字されているので、
2000年7月のようですね。
こちらは缶を保管しているだけですので、ご安心ください。
中身は飲み干して、缶は丁寧に洗浄しておきました。
こういうもの持ってんぞ!
というネタは、自慢ぽくなってしまうので、
あまり続けないようにしないと。
☆【そばの話】に戻ります。
たとえば昨日の歌之介師匠の句
運動会/ 2等じゃなくて/ 3等か
だって、文字にしてしまうと
歌之介師匠のあったかさが、ない!
CDで聴いたときには涙流れるほどおかしかったのに。
最後の五音をどう表記すれば、
歌之介師匠の長女への想いは伝わるのか。
「山頭火」がいいのか、
「さんとうか」がいいのか、
「サントウカ」がいいのか 。
三日三晩寝ながら考えました。
今は懐かしの〔糞ブログ向上委員会〕を招集し、
諮問して得た結論が
「3等か」
でした。
私の苦悶はくみ取っていただけましたでしょうか。
でも、はっきり言ってつまんない。
これは私の罪・咎であろうか?
☆だんだん【そどん】ぽくなっていきます。
ここは、言語にとって詩とは何か、
という根本に立ち返らなければならないのではないか。
大学時代に茶店でのダベリがこういう方向に傾いていった、
あのときのことを思い出す。
「◎と※の交際には『赤いスイートピー』的なものを感じない」
「なんすか、それ?」
「♪なぜ知り合った日から半年過ぎても…ちゅうような」
などという話の末に
ある先輩が〔詩的言語〕の例として挙げたのが
“真っ赤な女の子”
であった。その先輩が、
《これが詩的言語である》とした理由
に感動したからこそ、
あのときのことを忘れずに四半世紀生きてきたのだが、
悲しいかな、その理由はもう思い出せない。
でも、その先輩が杉▽のおっさんだったことははっきり記憶している。
☆するとここからは【うば】ですがね。
じゃ、今日も一曲お送りしましょう。
あー私のココロは 悲しくしく泣いてるわ
ゆうべはゴメンね おびえてしまったのよ
約束の舟に乗って Tonight
流されて 何処へ行くの
肩と胸とそして髪が触れ合うから
そこだけが大人びてくるの Hold Me Tonight
あー私のココロは 嬉しくしく感じるの
明日も少女ね 半分少女なのね
あー私のココロは 嬉しくしく感じるの
やさしく守って 何かがこわれそうよ
☆ついには【永谷園 お茶漬け簡単パスタ】の話になります。
「これ、小泉今日子の『半分少女』ですよね」
「そうですね、って、笑っていいとも!みたいで照れますね」
「こういうときは普通『真っ赤な女の子』をお届けするものでしょ」
「私、あの歌、嫌いなんです」
「もう!何かがこわれそうよ!」
だから「川の流れは急なれど、月は動かず」と言うたんじゃ!
ときには【うどん・そば・うば・そどん】かもしれません。
『労働者M』を観ていない人には通じない《お断り》ですが。
とはいうものの、三遊亭白鳥さんについて語ろうとか
そういう気は、さらさらありません。
「なんで歌之介師匠は“師匠”なのに白鳥“さん”なんですかね」
「まあ、何となく?
いいじゃない、語らないよ、て宣言しているだけだから」
☆【そば】の話。
近年、落語とか、松尾スズキさんやケラさんの作品
などに傾倒しているせいか、
耳から入ってきたときに、そこはかとなくおかしいネタ、
というものに漠然とあこがれております。
こういうネタの魅力は、文字にしちゃうとおよそ1/4、
正確には25÷103くらい、になってしまいます。
「くらい、ってぜんぜん正確じゃないから!」
「いいじゃない、三遊亭白鳥さんについては語ってないんだから」
☆【うどん】の話。
ザテレビジョンスナックに反響がありましたので、
奥菜恵さんが宣伝した「Xmas・ウィーンビア」の缶
も保管していることを告白しちゃおう!
こちらの賞味期限は“0007”と印字されているので、
2000年7月のようですね。
こちらは缶を保管しているだけですので、ご安心ください。
中身は飲み干して、缶は丁寧に洗浄しておきました。
こういうもの持ってんぞ!
というネタは、自慢ぽくなってしまうので、
あまり続けないようにしないと。
☆【そばの話】に戻ります。
たとえば昨日の歌之介師匠の句
運動会/ 2等じゃなくて/ 3等か
だって、文字にしてしまうと
歌之介師匠のあったかさが、ない!
CDで聴いたときには涙流れるほどおかしかったのに。
最後の五音をどう表記すれば、
歌之介師匠の長女への想いは伝わるのか。
「山頭火」がいいのか、
「さんとうか」がいいのか、
「サントウカ」がいいのか 。
三日三晩寝ながら考えました。
今は懐かしの〔糞ブログ向上委員会〕を招集し、
諮問して得た結論が
「3等か」
でした。
私の苦悶はくみ取っていただけましたでしょうか。
でも、はっきり言ってつまんない。
これは私の罪・咎であろうか?
☆だんだん【そどん】ぽくなっていきます。
ここは、言語にとって詩とは何か、
という根本に立ち返らなければならないのではないか。
大学時代に茶店でのダベリがこういう方向に傾いていった、
あのときのことを思い出す。
「◎と※の交際には『赤いスイートピー』的なものを感じない」
「なんすか、それ?」
「♪なぜ知り合った日から半年過ぎても…ちゅうような」
などという話の末に
ある先輩が〔詩的言語〕の例として挙げたのが
“真っ赤な女の子”
であった。その先輩が、
《これが詩的言語である》とした理由
に感動したからこそ、
あのときのことを忘れずに四半世紀生きてきたのだが、
悲しいかな、その理由はもう思い出せない。
でも、その先輩が杉▽のおっさんだったことははっきり記憶している。
☆するとここからは【うば】ですがね。
じゃ、今日も一曲お送りしましょう。
あー私のココロは 悲しくしく泣いてるわ
ゆうべはゴメンね おびえてしまったのよ
約束の舟に乗って Tonight
流されて 何処へ行くの
肩と胸とそして髪が触れ合うから
そこだけが大人びてくるの Hold Me Tonight
あー私のココロは 嬉しくしく感じるの
明日も少女ね 半分少女なのね
あー私のココロは 嬉しくしく感じるの
やさしく守って 何かがこわれそうよ
☆ついには【永谷園 お茶漬け簡単パスタ】の話になります。
「これ、小泉今日子の『半分少女』ですよね」
「そうですね、って、笑っていいとも!みたいで照れますね」
「こういうときは普通『真っ赤な女の子』をお届けするものでしょ」
「私、あの歌、嫌いなんです」
「もう!何かがこわれそうよ!」
だから「川の流れは急なれど、月は動かず」と言うたんじゃ!