《 空想から科学へ 》 奧菜主義革命~ 革命的奥菜主義者同盟非公然ブログ

奥菜恵さんは、精神と肉体の両方から無駄なものをすべて削ぎ落とし、必死に舞台に立っていた

こんなふうな せつなさって~~或いは「歩道に伸びたあなたの影」

2008年03月12日 19時40分27秒 | Weblog
『……さまざまの価値の複合と葛藤が、社会の抗争と私たちの内面の葛藤を形成するが、人が学者として生き、あるいは芸術家として生きるということは政治家や司法官とは異なった価値軸を内に持っていることを意味する。

日常のなかにも含まれる極限状態において、その職業が天職である限りにおいて、殉ずべき価値というものが独自に選択され覚悟されていることを意味する。それ以外に文学者が文学者であり、科学者が科学者であり、宗教家が宗教家であることの社会的意味などはほとんどない。

生活者としては誰しもが大衆の一員であり、専門領域以外のことでは、たとえば学者も文学者も一大衆として……科学の恩恵にあずかり、……他の諸芸術を享受すればよい。しかしながら、社会を形成する諸価値に社会的衝突が起こったとき、全大衆が一斉にに政治的価値(※1)をのみ選び、権力志向的ないしは権力依存的に身を処せばどうなるか。それではなんのための専門家であり専門的営為か。

たとえば文学をやるということがその存在に対して持つべき意味は、……文人面をし、風流振ることによって自己を特別視しきわだたせることではない。日常の中の極限に面して、その芸術的価値や追究精神のがわを、なにほどかの損失と犠牲を覚悟しても選ぶということであろう。

ガリレオがなぜ迫害されねばならなかったか。彼には、当時の為政者とは違った科学的な価値軸が内部にあったからである。そしてそれを放棄しては彼の専門的営為自体が、成り立たず、追求する心自体が滅びねばならなかったからだ。

多くの芸術家が身の不遇を甘受しても自己の悩みに忠実であろうとしたのは何故か。

私を支えるものは文学であり、その同じ文学が自己を告発する。』

(高橋和巳 『わが解体』)

(※1)ここでの「政治」は自己犠牲的な政治活動を意味するものではなく、「あいつは政治的な人間だ」というような使い方の「政治」に近いと思われる。つまり、賢く利己的に価値観の衝突の合間を浮遊することを意味するのであろう。



高橋和巳は突き刺さるなぁ~。
そして高橋のすごいところは、
我々を突き刺す何倍もの力と深さで自己を突き刺しているところである。
太宰との質的差なんて、私が何か言う必要もないよね。

倖田來未さんの事件でも分かるとおり、
自分の表現は、その表現を成り立たせた状況が消え去っても、
消えてしまうことなく、表現者を突き刺し続ける。
時には、世間がその表現自体を忘れてしまっても内省が続くこともある。
表現することは、常に自己と対峙しつづけること。

とてつもなく恐ろしいことで、痛みを伴うことだけれど、
同時に胸を焼く酒のような味もそこには存在している。

私はその精神的二日酔い(おっと、太宰の表現を使っちまったぜ)が怖くて
盗用と引用とパロディーばかりに終始しているわけでありますが、

奥菜恵さん、この呪われたかのような「表現の世界」に、
そろそろ戻っていらっしゃいませんか?
表現主体に戻ることをあなた自身もお望みなのでは?

いま、このような呼びかけを、あなたに向けて、いいのだろうか。
私の表現が私を突き刺す。

私を支えるものは表現であり、その同じ表現が私を告発する。

私を支えるものは奥菜恵さんであり、その同じ奥菜恵さんが私を告発する。



それはさておき、

「え~っ、さておいちゃうんですかぁ~?」
「ええ、私、革命的おきな!主義者ですから。」

私は高橋和巳の写真を見ていると


春風亭昇太師匠の顔!


を思い浮かべてしまうのです。
世間では奥菜恵さんと川村ゆきえさんが似ているなどと言っております。
私は川村ゆきえさんを見ていると


浅尾美和さんの顔!


を思い浮かべてしまう。
しかし、奥菜恵さんと浅尾美和さんが似ているという意見を聞いたことがない。
これはどうしてなんだろう?



「似てないからじゃないっすか?それより八戸市議の藤川優里氏の方が…」
「越後屋、おぬしも政治的人間よのぅ」
「私は三河屋です!」


さっぱり訳が分からなくなってきたので、
これもさておき、ここで1曲お送りしましょう。
中森明菜『セカンド・ラブ』


恋も二度目なら少しは上手に
愛のメッセージ伝えたい
あなたのセーター袖口つまんで
うつむくだけなんて

舗道に伸びたあなたの影を
動かぬように止めたい

抱きあげてつれてって
時間ごとどこかへ運んでほしい

切なさがクロスするさよならに
追いかけられるのイヤよ



ずいぶん勝手に切り繋いじゃっていますので、
明菜さんのファンに皆さん、来生さんのファンの皆さん、
どうもすみません。

それにしても、「舗道」はずっと「歩道」だと思って生きてきたんですけど…。
いまさら真実を知らされる、

『こんなふうな せつなさって』

の1日でした。


ああ、そうそう、奥菜恵さんの『この悲しみを乗り越えて』の

「だれよりも わかってあげたかった
 彼女が知っている そのずっと多くを」



「……そのずっと奥を」

だと思っていました。 ジャンジャン!

コットンフィールドの風

2008年03月11日 20時52分59秒 | Weblog
長かった冬の終わりを思わせる穏やかな一日でしたね。
奥菜恵様、そして同志の皆様、お元気でいらっしゃいますか?

さて、私こと奥菜主義革命は、3月11日、本日をもって県立リハビリセンターを退院することができました。
多くの皆様にご心配とご迷惑をお掛けしたことを深くお詫び申し上げるとともに、今日までのたくさんの励ましのお心、お言葉に対して厚く御礼申し上げます。


退院できたとは言っても、どちらかといえば廃療(医療でできることは終わった)に近いものでして、このリハセンは90日間で退院することがあらかじめ決まっているのでございます。早い話が、もっと状況の悪い人にベットを譲りなさい、ということです。


それでもただ歩くということであれば、1.5kmは杖無しでも歩けるようになりました。
手のほうも5分以内に25本の紐を蝶々結びすることができるようにまでなりました。
リハセンの訓練士の皆さんが縁もゆかりもない私のリハビリに、とことん付き合ってくださったお陰であります。規則外ともなりかねない別枠のリハを課外授業のように入れてくださったり、訓練士同士の研修という名目で足底器(靴の中に入れるパッドのようなもの)をお作りいただいたり。頑張っている人だから、もっと頑張らせてあげよう、という本当の意味の、本当に私が欲していた愛情に包まれながら90日弱を過ごせたお陰であります。


ただ、麻痺のある右足で片足立ちすると、1.5秒しかもたない(ちなみに左なら2分30秒以上可能)。右の手のひらで背中を触ることができない。右腕を90度以上上げられない。肘を上げると肩にかなり強い痛みが走る。など、課題がまだ残ってはいます。通院によるリハをこれからも継続していかねばなりません。

通院によるリハは週に40分訓練が2回。入院中のように60分が週5回というわけにはいかなくなります。
1つの病名で2つのリハビリ病院に健康保険で通院することはできません。そして、この通院リハに保険が適用されるのも発病後半年まで。私は5月28日まで。これが今の医療制度なんだそうです。私は自分が病気になるまで知りませんでした。
ひとつ病名だと、その病気治療に健康保険が効くのは半年以内。よく覚えておいてください。


わたしは通院日以外は鍼灸マッサージを受けたり、スポーツセンターでリハビリ代わりになるような体力づくりをしようかと考えています。


そういうわけで、いいこと半分、暗いこと半分というような退院なんですが、
やっぱり我が家に帰ることができたのは嬉しいです。
自由にパソコンを使えるのは実にありがたい。
今日からこのブログも完全復活です。
また、しばしばお立ち寄りください。
闘病記を売りにするつもりは毛頭無く、あくまでも

『革命的奥菜主義者同盟の非公然ブログ』

として運営していくつもりでおります。
もう私のほうから積極的に病気のことを取り上げる考えはありません。
これまでどおりの

《空想から科学へ》奥菜主義革命

のつもりでお付き合いくださいませ。




それではここで1曲お届けしましょう。
トワエモアの『虹と雪のバラード』です。
この曲は72年札幌オリンピックのテーマ曲として71年に発表されました。



  虹の地平を歩み出て
  影たちが近づく手を取りあって
  街ができる 美しい街が
  あふれる旗、叫び そして歌

  ぼくらは呼ぶ あふれる夢に
  あの星たちの間に
  眠っている 北の空に
  君の名を呼ぶ “奥菜恵”と  
 
  雪の炎に ゆれめいて
  影たちが飛び去る ナイフのように
  空が残る 真っ青(サオ)な空が
  あれは夢、ちから それとも恋

  ぼくらは書く 生命(イノチ)の限り
  今 太陽の真下に
  生まれ変わる サッポロの地に
  君の名を書く “奥菜恵”と

  生まれ変わる サッポロの地に
  君の名を書く “奥菜恵”と



入院中によく聴いていた『ラジオ深夜便』にちょっと影響された締めくくり方です。